第18話 藤壷と女一宮のお喋り

 そうこうしているうちに三月二十八日になり、女一宮達と妹宮達が一つの車に乗り、藤壷のもとにやってきた。

 供人は四位や五位の者が大勢、正頼の子息達も一緒である。彼等は女宮達を下ろすと退出していった。

 訪れた二人の装束はまあもう言うまでもなく。対して藤壷はというと、喪中とあって軽い喪の服装だった。平絹の掻練かいねりの袿を一襲着た上に薄い鈍色の表裏張り合わせた唐衣をつけ、こう女一宮達に言った。


「私の方こそそちらへ伺おうかと思っていたのですが、そちらには貴女のお側を離れてくれない方がいるので、遠慮してたのですよ。そんな中、いらしてくださるなんて、恐縮してしまうわ」

「どうしてあのひとを恐れますの?」


 一宮からしてみると、自分の夫はそこまで恐れるものではない。


「ほら、少し前まで父の家の方で慣れていましたから、時々は知らない方ともご交際をして、閑の折にはぼんやりと思いにふけっておりましたの。ところが、どうしたことでしょう、宮仕えは心が晴れ晴れするなどと、誰がどうして言い出したのかと最近は本当に不思議に思うのですよ。そうは思いません? 緊張の連続で」

「私こそ、こうやって色んな方と交際して、遊びもし、物語などもして、今の境遇に慣れてしまって。そんなことしているうちに、嫁いで行ってまった貴女はもう私のことなんて忘れてしまったのかしら、と文をお出しすることもなく、何となくご無沙汰していてしまって。お下がりになっても、そちらから姿をお見せにならないので何か怖くなっちゃって。その上、うちのあのひとと向かい合ってしまっていると、ほら、何というか、色々こっちが気恥ずかしくなる様なひとだから、どうしてか息詰まってしまって、何となく、今までの自分は何処に行っちゃったの!? という様な変な気持ちになってしまうので、できればすぐにでも貴女のもとに来たかったの。やっとの思いでこられましたわ」

「けど貴女、あの子犬ちゃんを連れては下さらないのね」


 すると女一宮はため息をつき、


「あのひとが自分の側にばかり寝かせておいて、独り占めしてるのよ」

「あら、それだけ? どうして私にまで隠すのでしょうね? 幼い頃にはここにおいでの妹宮達も、皆私達同士では直接顔を合わせていたものですけど」

「隠してなんかないわ。犬宮はあのひとの側にばかり居るので、そこには誰も近づかないの。何かもう、生まれたばかりの赤子が珍しくて、ただ友達のようにして籠もってるのよ」

「犬宮といえば、生まれた時にあの方が弾かれたという琴を聞くことができなかったことが残念で残念で。退出したいと私、東宮さまにもお願いいたしましたのに。車も下さらず、そちらからも来るように、というお文も無かったので、残念なことでした。東宮さまも、『さっさと位を下りて気楽な身分になった折には彼奴に琴を弾かせてみたいものだなあ。召しても来なかったら、私が家に赴いてそこで弾かせよう』なんて仰有るのよ。私からしてみたら、あの日だったら聞きに来られたのに、と思うと貴女が妬ましくなってしまうくらい。ねえ教えて。あの日はどなたがまず琴をお弾きになったの? どの御琴を?」


 さすがに琴のことになるとぐいぐい食いついてくるな、と女一宮は思う。犬宮そのものよりずっと興味津々ではないか、と。


「あの三条にある琴よ。まずは子であるあのひとが先に。義母上のお弾きになる琴は、たいそう悲しく切なく聞こえて、ただ泣かずにはいられないようなうつくしいものだったの。でもそれを聞いているうちに、お産の後の苦しみがさっぱりと消えてしまって起きることができたの。そのうち琴の音は荒々しく、時には恐ろしくなって、胸が走る様でしたわ」

「ああ…… あの方のお琴はその通りでしょう。尚侍が仁寿殿でお弾きになった夜、せめて少しでも聞きたいと父上に泣いて頼んだの。そうしたら、父上ときたら私が気違いじみている、と機嫌悪くなってしまわれて。それでも何とか連れて行ってくれて、こっそりと聞くことができたのだけど。もうあの音ときたら、天上のひとが誤って地上に生まれ落ちてしまったのではないか、と思った程…… あ、私としたことが、こうは申し上げましたけど、まだ貴女のあの方のお琴は聞いていないのですわ」

「そんなこと言っても、私だってしっかり聞いたことなどないのよ。何とかして聞いてみたいと思うんだけど、ともかく私にはまるで聞かせてくれないの。どうしてなの、と聞いてみたらこういうのよ。『藤壷の御方だったら僕の技を全て伝えたいくらいなのだけど。あの人だけが、うちの一族の手を弾くことができるだろうから。たまたま貴女とこういうことになっちゃったから、そういう気持ちも伝えられなくなっちゃって何だけど』とかいつも笑って流してしまうのよ」

「何を馬鹿なことを。思い過ごしでしょう。夫婦ですもの。夜昼おねだりすれば、お教えくださらないことはありませんよ」

「私もそうしたんですってば。ところが全然駄目。『そのうち帝がご退位なさったら、御前で僕の知ってるあらゆる手をお聴かせしようと思うんだ。そこで聞いてくれればいいと思うよ』なんて言うのよ」

「あら凄い。じゃ、その時にはぜひ御文を頂戴ね。そっと私もそちらに伺うから。それはもう絶対に忘れちゃ駄目よ。貴女は長く連れ添うんだから、そういう機会はきっと沢山あると思うの。そもそも貴女は犬宮の母君ではないの」

「そうねえ。まあそれもいいけど、他の話もしましょう」


 とか言いつつ、様々な話をしながら髪の長さについてふとお互い触れる。


「髪は如何? 私のはずいぶん抜け落ちてしまったけど」


 二人、髪の長さを比べてみると、藤壷の方が三寸ほど長かった。


「ああ、昔は同じくらいだったのに、こういうところも貴女は勝ってしまうのね」


 女一宮はそう言って、妹宮の方を見ると、彼女のそれは袿の裾と同じくらいだった。

 女二宮の髪の筋や垂れ具合は一宮のそれとそっくりだった。ただ全く一緒という訳ではなく、妹宮の方は少しふっくらとして人懐っこい。彼女はまだ小さいが、上品ですらりとした姿で、髪は身の丈より少し長いくらいだった。

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