第8話 男の子? いいえ、男の娘です。

 少し俺と久遠が交わした契約について話しておきたい。


 俺は久遠の隠れ蓑として、周囲にバレることなく恋人のふりをする。

 その対価として、俺は久遠を好きにしていい。

 期限は二年生の間だけ。三年になれば受験を言い訳に恋愛沙汰からは遠のけるから、というのが久遠の考えだ。


 簡潔に話せば、以上である。

 一見釣り合わない交換条件かもしれないけど、俺側の契約には続きがある。

 つまるところ、俺がその権利を行使できる条件についてだ。


 一つ目は、先立って久遠の側に用事がある場合、そちらが優先されること。

 二つ目は、双方の日常に支障をきたすほどの強行は無効になること。

 そして三つ目、良識の範囲内であること。


 最後の曖昧さは一旦置いておくとして、この条件があることで、実質的に俺が久遠のオタク化に使える時間はそう沢山あるわけじゃないのだ。

 


 俺と久遠の恋人話が広まって、早いことに半月が過ぎた。

 まだ多少の騒めきはあるものの、今は表立って話題にされるようなことはなくなった。つまり、俺が久遠の恋人であると認められたのだろうか。


 答えは知っている、否である。


 認められたのではない。クラスメイトの抱く感情は、決して容認ではない。

 ただ目の前の事実にそれ以外の回答しか見出せないから、そう解釈するしかないと思考を止めて、諦めて受け入れているに過ぎない。

 この関係が偽物だという真実を知らないから、あるだけの事実で妥協しているだけだ。


 何故わざわざ、事実だろうが真実だろうが話したところで大差ないことを説明したかというと、その僅かな差が教室に影響をもたらしていたからだ。

 正確には、久遠を取り巻くクラスメイトたちに。


 俺の前では高飛車毒舌お嬢様の姿を見せてはいるものの、学校内での久遠は、あくまで人当たりのいい完璧超人で通っている。いや、そう思っていたけど、もっと正確に言い表すならば、極端に人当たりの良い人だろう。お嬢様らしい傲慢さがないどころか、『一人のクラスメイトの女子』のような認識が、クラスで久遠に向けられているそれだった。

 ともかく、容姿が優れているというだけで、必然とカースト最上位の人間と連まなくてはならなくなる。


 久遠が属している——久遠としては勝手に寄ってきている的な感じだろうけど——グループは、男子三人と女子二人。そこに久遠を入れて男女三人ずつ。

 その久遠を除く皆の様子が、先の件以来変わっている。


 今だってその同調する愛想笑いがぎこちないし、会話や立ち位置にしたって、どこか壁がある風だ。普段通りに振る舞っているつもりだろうけど、俺の目は誤魔化せない。

 なんせ中学の頃……いや、これ話すと心痛くなるからやめとこう。


 帰りの準備の片手間にちょっと視線を向けてみただけでこれだ。おまけにその時、男子クラス一の爽やかイケメン君に嫌な顔をされてしまった。たぶん、久遠のこと好きだったんだろうな。別に取ったわけじゃないけどごめんよ。


 これが久遠の言う、落胆の現れならいいんだけど。

 今日は久遠も用事があるとか言ってたし、さっさと帰るか。


 いや、今日はたしか——


「あ、彩也」


 と、廊下で優雅な放課後の予定に耽っていると、名前を呼ばれて現実に引き戻された。


 高いながらもキンキンと響くことのない、柔らかく子供っぽい声。

 足を止めると、声の主はひょこひょこと寄ってきて横に並んだ。


「彩也も帰り?」


「おう」


「じゃあ、一緒に行こ」


「ああ」


 ここで、おや? と思った諸君、一つ言いたい。

 俺は今まで、一度として友達がいないと言ったか? にも関わらず、冴えないメガネオタクである俺を、予定調和とばかりにぼっちだと思い込んでいなかったか? 


 ああ、全く迷惑である。傍迷惑である。

 まあこいつは友達というより、幼馴染みで、腐れ縁のようなものだ。


 名前は高津紫音。家が近く、幼稚園からの幼馴染み。人懐っこい犬みたいなやつだけど、場の空気は読めるし、なにかと物分かりがいい。


 そしてこれが一番重要、男である。


 背低いし、声高いし、瞳大きいし、肌白いし髪綺麗だし女子みたいな顔立ちしてるけど!


 男である。


 ちゃんと制服もズボンを履いてる。それを意図的に伝えなかったのは認めよう。


「そういえば今日、彩也の買ってるラノベの新巻出る日だよね?」


「ああ、これから買いに行くつもり」


「ボクも同じ。一緒だね」


 紫音が 仲間に くわわった!


 付随して紫音の説明をすると、こいつもそれなりのオタクである。


 明日歩くの面倒だけど、自転車は学校に置いて帰るか。

 第一波が過ぎ去って人が疎らになった昇降口で靴に履き替え、駅に向かう。


「そういえば、西園さんと付き合い始めたんだっけ?」


「早速そのネタかよ。もう視線と陰口で散々なんだけど」


 たしか紫音のクラスは八組。俺は一組で一番離れている。

 二週間もあれば当然だろうけど、恋話のセキュリティの甘さは業界一かもしれない。


「というか、聞く気ならなんで俺のとこに来なかったんだ?」


「うん、絶対あり得ないデマ話だって確信してたから。聞ける時でいいかなって」


「……というと?」


「だってあの西園さんだよ? 学校一の美少女だよ? それが彩也みたいなオタクメガネを選ぶなんて、天変地異が起きてもポストアポカリプスになってもあり得ないもん」


 ひでぇ言われようだ。しかもさらりと言ってくるものだから、場合によっては久遠のストレートな毒舌よりタチが悪いかもしれない。


「それに、彩也に三次元の彼女がいるってこと自体まずおかしいよ。だから裏があるんじゃないか、っていうのがボクの結論」


 ほぅ、なかなか鋭いやつだ。さすが幼馴染み。伊達に俺のことを知ってるわけじゃない。


 それには俺も同意だ。リアルに俺に三次元の彼女ができるわけがない。そして可否以前の問題として、作る気はない。

 そして何より! 三次元に興味はない。以上だ。


 ——結婚とは、男の権利を半分にして義務を二倍にする事である。


 ドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアー大先生のお言葉だ。それは高校生の恋愛にも通じることで、どこにわざわざオタクとしての自分を隠してまで望まない交際をする意味があるのか。いやない。


 ちなみに俺が哲学者の名言を知っているのは、中学時代に厨二病拗らせた挙句、学校の朝読書なる時にドヤ顔で哲学書を読んでいたからだ。わーイタイ。いや、ガチめに心がイタイ。あれはまじで忘れたい……ッ!


「裏って、例えばなんだよ?」


「さぁ? もしかして当たり?」


「アニメの見過ぎだし、たとえあってもなくてもお前にだけには教えない」


「そう。じゃいいや」


 さっぱりしてんな。無頓着なわけじゃないけど、聞くにしては中途半端。昔から一緒にいるけど、いまいち紫音のことは掴めん。


「でもまあ、西園さんかぁ」


「なんだ? 何か知ってるのか?」


「同じクラスだったから。すごいよね、誰にでも分け隔てなく接して、仲良くして」


 不意に、にこりと貼り付けた笑みを紫音は俺に向けてくる。


「……けど、優しすぎるってのも、それはそれで危ないだろ」


 誰かに優しいというのは、誰かに合わせるということのは、自分の意思を殺すことだ。

 自分の意思主張を押しとどめて周囲と同調するのは別に悪だとは思わない。無論、俺は個人でいることの利点と集団でいることの欠点を主張したいところだけど、孤独を酷く恐れる人間が一定数いることもまた理解はしている。


 故に群れたがる人間性を肯定はしないけど、否定もしない。

 集団で同調しすぎることは、時に意思を殺すだけでは済まなくなる。


「なんか、やけに自虐的じゃない?」


「自虐? まさか、俺は優しいなんて言葉とは無縁もいいとこだろ」


「はは、たしかに」


 認めちゃうのかよ。ちょっとくらい否定してくれてもいいのに。

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