第42話 治療のち涙

「転けたら地面に大きな石があって、右頬にぶつけてしまった。それで偶然殴られたみたいになった……ふむ……」


 保健室の花守先生が、俺の頬にガーゼを当てながら、じーっと疑うような眼差しを向けてくる。


「まあ、いいんだけどね。へるしがなにを言っても、どうせこれ以上教えてくれないんだろうし。せいぜい、わたしが残っていたことに感謝しとけばいいんだ」


「感謝してますよ。残っていたことも、それ以上聞かないことも」


 やってきて気付いたが、本来ならもう保健室は閉まっていてもおかしくない時間だった。今日は偶然、花守先生が残って仕事を片付けていたらしい。


「聞かないとは言ってないけど~」


「え、聞かないでくださいよ」


「えー、どうしよっかなー」


「お願いですって。そしてついでに、このことは、他言無用にしてください」


「え、どうして?」


「その、まあ、あまりバレたくない相手がいるというか……」


「えー、どうしよっかなー」


 おのれ花守先生。


「まあ、黙秘してあげてもいいですけど。ちゃんと黙っておける大人なへるしに感謝してよね」


 めちゃくちゃドヤ顔してくる。


「……ええ、感謝してます」


 いや、あんた大人だろうというつっこみはやめておく。


 しかしほんと、どこかで心愛に話が漏れたら面倒だからな。早乙女に喧嘩を売ったなんて知られたら、心配されたあとに怒られてしまう。


 ふと、昔、心愛が理由で喧嘩をした時のことを思い出した。


 幼い頃、心愛が近所の男子たちにからかわれて、そのことでイラっとしてしまった俺が手を出してしまった――そんな感情的な若気の至りの話だ。


 感情的なのは今も変わらないかもな。早乙女に喧嘩を売ったのも、嫌がらせを止めさせたかったというよりも、こいつへの苛立ちの方が大きかった気もするし。


 昔と違うことといえば、自分が喧嘩をした理由がなんとなく・・・・・ではないところ、くらいだろうか。


 と、花守先生と話していると、ガラガラガラという保健室が開く音とともに、今一番逢いたくなかった相手の顔が室内を覗いた。


「あれ、白雪さん。いらっしゃーい」


 花守先生が、予想外の客を出迎える。


「やっぱり、まだ学校にいましたか」


「げっ、心愛……」


 今、俺が一番出会いたくない相手。


「なんでそんなに嫌そうな顔をしますかね。そして、なんですかその顔は」


「いや、これは……」


「私が嫌がらせを受けているという話でも聞いて、早乙女くんと喧嘩でもしたんですか?」


 ――ぎくり。


 まるでこちらの心を見透かしているかのように、心愛が言ってくる。


「そ、そんなことはないが……」


「ありそうですね」


 はあ、と心愛が大きな溜息を吐いた。


「わかってるんです。私は悠に詳しいんですから」


 …………。


 まあ、もうごまかしようもないか。


「ま、心配しなくていいぞ。ちーっと取り引き的なことをしてたら、一発殴られただけだから。べつに喧嘩をしたわけでもないし。というか、なんで心愛がまだ学校にいるんだよ」


「悠が心配になって探してたんですよ。なにかあるような気がして」


「な、なんでわざわざそんな……」


「それを悠が言いますか? 先日、私のことが気がかりで放課後学校中を散策してたらしい悠が」


「うっ――」


 確かに、まったく同じことをやってたよな、俺。


「本当に……本当に……そんな、私のせいで……」


 と。


 心愛の瞳に、大粒の涙が浮かぶ。


 やばっ……これ、泣き出しているのでは。


「ああ、だから心愛のせいじゃないって。いや、心愛のことでこうなったのは確かだけど、そうじゃなくて俺のためというか」


「でも、私のためじゃないですか……ううっ……」


 あ~……。


 治療はもう終わったみたいなので、花守先生に一礼して立ち上がり、心愛の頭をそっとぽんぽんと撫でてやった。


 そのまま俺に体重を預けるようにして、胸元に顔を押しつける。


「まあ、なんだ。テストの時は俺が迷惑かけたわけだし、おあいこってことでさ」


「あれは母親のことでチャラになってます。私が貸し一です」


「だったら、アイスの奢りをちょっと減らしてくれ。それで手を打とう」


「馬鹿……本当に馬鹿、大馬鹿です……」


 そのままぐずぐずと俺の胸元で泣き出す心愛。


 まあ、なんだ。


「その、心配かけてすまなかった」


「なんで謝るんですか!」


 どうしろと!?


 仕方がない。しばらく胸を貸して優しく頭を撫でてやる。落ち着くまでこうしてやることにしよう。


 …………。


「で、へるしはどうしたらいいの?」

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