第40話 幼なじみのち……

 公園に足を踏み入れると、古い鎖の軋むような音が聞こえてきた。ブランコの音だ。近付き、確認してみると、ぶらぶらと遊具を揺らす心愛の姿があった。


 心愛は、俺の気配にまったく気が付かない程度にぼーっとしていた。いや、ぼーっとしているのかはわからないか。考え事をしているのかもしれない。とにかく、俺の気配に気付かないほどに、自分の世界に入りこんでいる。


 ……ふむ。


 だったらと、気配を消し、視界に入らない背後へと回りこむ。足音を立てないようにそっと近付いて、背中に向かって、


「わっ」


 と、声をあげた。


「きゃああああああああああああああああああああああああ!」


 心愛が、ブランコから立ち上がりながら絶叫する。


 そして、すぐに振り返りながら、ギロリと睨み付けてきた。


「いきなりなにをしてくるんですか! 寿命が縮むかと思いましたよ! だいたい、どうしてこんなところに悠が……って……」


 心愛の顔から、一瞬表情が消えた。思考が滝のように流れて、脳が追いつかなくなってしまったのか。もし心愛がコンピューターであったとすれば、フリーズしたとか、そういう表現が妥当なのかもしれない。


 それから、ぼうっと燃えるような真っ赤な表情へと変わる。照れてるような、恥ずかしいような、焦ってるような、動揺の二文字がありありと伝わってくるような顔。


「な、な、な……なんで悠がいるんですか!?」


「なんでって、ここに心愛がいるって天々に聞いたから?」


「聞いたからって、えっと、そんな、そんな……」


 刹那、心愛がとっさに背を向け、再び逃げようとする。俺は慌てて手を伸ばし、逃げられないよう彼女の右腕を掴んだ。


「な、なにをするんですか! 逃がしてください!」


「だから落ち着けって。逃げる意味がわからない」


「わからないって、わかってるでしょう。私の、その、日記を、見たなら!」


「べつに日記を覗いちゃいないよ。内容については、あの女子たちから聞かされたけどな」


「やっぱり知ってるんじゃないですか!」


「ああもう、とにかく逃げてどうするつもりだよ。家に戻ったところで、隣に住んでるのは俺だぞ? 学校でも顔を合わせる」


「それは、そうですが……」


「まあ、落ち着くまで放っておいて欲しいって言うなら、そうするんだがさ」


 俺がそこまで言うと、心愛は逃げることを諦めたのか、彼女の身体からすうっと力が脱けた。


「……悠は」


「うん?」


「悠は、よくそんななんでもない風でいられますね」


 えーっと、それは。


「心愛の気持ちを知って、俺が普通すぎるって話?」


「それ以外になにが」


「べつに、普通ってわけじゃないぞ。今も内心緊張してるし、ちょっと恥ずかしい」


「嘘ですよ。普段通りです」


「嘘じゃない」


「……そんなこと、知ってます」


 なんなんだよ。今、自分で嘘って言ったばかりじゃないか。


「…………」


「…………」


 そして、沈黙。


 互いに牽制しあうように口を噤みながら、相手の様子を伺った。


 ちらちらと、互いに視線を飛ばしあっては、偶にぶつかって顔を逸らす。


「……まあ、なんとなく、わかってたし」


「わかってたんですか!?」


「なんとなく、だけどな」


 そう、予感はあったのだ。


 心愛は俺のことが好きなのではないかって。


「心愛ってわかりやすいし」


「だったら、そのわかりやすい私の気持ちに、長い間気付かなかった悠はなんなんですか。鈍チンですか」


「鈍い方なのは否定しないさ。ずっと気付いてなかったのは本当だし。その……なんだ、ごめんな。これまで、気付いてなくて」


 思えば、ヒントはたくさんあった。


 心愛が怒っていたことや、拗ねていたこととか、振り返ってみれば申し訳ないことをしたなと思う場面が、いっぱい。


「……ズルイです。また、そうやって、素直に謝るなんて」


「悪いことをしたら正直に謝るって決めてるんだよ」


「なんですかいい子ぶって。私の心を盗んだ悪い子のくせに」


 いや、盗もうとして盗んだつもりはないんだが。というかなんだよその言い回し。人のことキザとか言っておいて、心愛も大概だろ。


 …………。


「あのさ、俺はまだ気持ちの整理がついてなくてさ。まだ、その、先輩のことを、どうしても引きずってるというか」


「知ってます」


「でもさ、その、心愛と付き合うとかそういうのはよくわからないけど、少しずつ俺も次に進みたいっつーかさ……」


 なんて言えばいいんだ、こういう時は。


「だから、とりあえずは、幼なじみ以上の関係からってことであれば」


「幼なじみ、以上?」


 再び、心愛が固まった。


 ジッと、無言のまま、呆気に取られたような表情で、しばらく俺を見つめ続ける。


 そして――。


「ふふっ、なんですか、それ」


「なぜ笑う」


「意味がわからないからですよ。幼なじみに以上も以下もないでしょう」


「あるんだよ。今決めた」


「なんですかそれ」


 くすくすと、心愛が笑い続ける。


 なにがおかしいのか、俺は真面目に言ったつもりなんだが。まあ、なんだか気まずい空気もなくなったし、これでいいか。


「では、改めて。これからよろしくお願いしますね、悠」


「ああ、こちらこそ。心愛」

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