第39話 煽りのち怒り

「白雪はさー、お前のことが好きなんだって」


 名前も知らない女子生徒が、俺に向かってそんなことを言い放つ。


 にたにたと趣味の悪い、邪悪な笑みを浮かべながら。


 …………。


 心愛の方を見た。


 泣きそうな顔で、心配そうに俺の方を窺っていた彼女と目が合う。


「幼なじみなんだっけ~? 好きだったけど恋人がいるから手が出せなかったらしいんですわ。でも、恋人が亡くなってラッキーってなったから、アンタに手を出そうとしてるみたいよ? 日記にいっぱい書いてあった」


「根っからの泥棒猫気質! 男に媚びるの上手すぎ。早乙女くんにもそうやって色目使ったんだろうね。きゃはは!」


 …………。


 なにも面白い話はないのに、目の前の二人は不快な笑い声をあげながら笑い合う。


「ま、こいつ性悪なんでやめた方がいいっすよ。こんなのに騙されたら絶対後悔するか――」


 パチイイイイイイイイイイイイイイン!


 気が付けば、不快なことを喋り続ける女の右頬を平手打ちしていた。


 不快すぎて聞くに耐えなかったから、黙らせようと思ったのだ。


「ってえええええな! てめえなに――」


 もう片方から、もう一度平手打ちする。


「おまっ、女相手にそんな――」


 もう片方の女が抗議してきたが。


「知るか。これはお前の仲間が不快な分な」


 今度は反対から、もう一度ビンタ。


 男も女も関係あるか、クソはクソだし、これこそがジェンダーフリーでポリティカル・コレクトネスじゃ。差別しないぞ。


 とはいえ、やっぱり女の子に手をあげるのは気が引ける。グーにできなかったもんな。だから、平手打ちなのであって、俺の理性を褒めて欲しい。


 三連発のビンタをお見舞いした女子生徒は、真っ赤になった頬を手でさすりながら、心愛よりも泣きそうになっている。まあ、全力だったもんな、痛いよな。ごめんな、喧嘩とか全然得意じゃないから、手加減できないんだ。


「心愛から盗んだ日記を渡せ」


「…………」


「俯いてないで! いいから渡せ!」


「……は、はいっ!」


 今度は敬語かよ、さっきまでぎゃはぎゃは言ってたのにキャラが変わりすぎだろ。


 頬をぶった女子生徒が、可愛らしい装丁の白い日記帳を取り出した。よく見ると、ゲームセンターで一緒に撮ったプリントシールが貼ってある。


 恥ずかしさを感じながらそれを受け取ると、そのまま心愛に差し出した。


「ほら、お前の日記帳」


「……え、ええ。あ、ありがとうございます」


 心愛が俺から、日記帳を受け取る。


 そして、そそくさと日記帳を鞄にしまうと、そのまま無言で俺の方をジっと見る。


 …………。


「…………」


「…………」


 どうして心愛が押し黙ってしまったのかは、わかる。


 まあ、その、俺にだけは知られたくなかったであろうことを、そこの馬鹿二人にバラされてしまったわけだ。


 心愛が今なにを考えているのかはわからないが、心中平穏でないことだけはわかった。あるいは、混乱のあまり思考がショートしてしまっているか。


 とはいえ、この状況で俺からこの話を切り出すのもなんか違うよな。むしろ、なにをどう言えばいいんだ?


『俺のこと好きだったの?』


 いやいや、そんな気軽に聞いていくようなことでもないだろう。


 あー、うー、ええっと……。


「あの時のプリントシール、日記に貼ったのな」


「っ――!」


 背を向けた心愛が、急に走って逃げ出した。


 しまった、かける言葉をミスったか? いや、話題がなかったから、思い浮かんだことを口にしただけなんだが!


「おい、ちょっと心愛!」


「~~~~!」


 俺も慌てて心愛を追いかけようと――。


「あ、こっちです先生! あの男子が女子に暴力を振るっていました!」


「くううううう、職員室で優雅にソシャゲ周回してたら、喧嘩で呼び出されるとかどんな嫌がらせ? 狙ってやってたら陰湿すぎる……って、沢渡くんじゃないですか。いったいなにを?」


 げ、軽い騒ぎになってる!?


「紙代先生!? いや、べつに喧嘩をしていたわけじゃなくてですね」


「でもそこの女子、泣いてるじゃないですか。沢渡くんが泣かしたんでしょう?」


「そうですけど、それには事情があってですね……」


 ああ、心愛の姿が見えなくなってしまった!




 ひさびさに一人で下校する。


 だって、心愛に置いていかれたんだもの。いや、違うな。逃げられたのか。ぴえん。


 ――まあ、大して時間もかからずに解放されてよかった。


 救いは、あの場にやってきたのが紙代先生だったことだろうか。


 心愛が大事にしていた日記を盗まれたこと、内容を馬鹿にしてきたこと。それらを説明したら、先生はそれ以上俺を責めるようなことはなかったし、女子生徒二人もなにか言ってくるようなことはなかった。


 日記の内容は心愛のプライベートなので当然黙っておいたが、それについても察してくれた。俺の人と形を知っていて空気も読める、そんな紙代先生だったからこそスムーズにいったことだ。


 いやほんと、あそこで面倒な教師に捕まらなくてよかった。


 それにしても、心愛はどうしたのだろうか。


 あのまま逃げて家に帰ったのかな。あいつの性格的に、直帰しないような気はするんだけど。なんとなく。


 どこかで落ちこんでるのかな。心配になる。


「あれ???? 悠くんじゃーん!!!!」


 と。


 背後から聞き覚えのある訛った言葉が聞こえる。


 振り向くと、見知ったチャイナ服姿の少女がそこにいた。手には出前用の銀色の箱おかもちを持っている。


「天々。出前中か?」


「うん。だから急がないと、話している場合じゃないのよね」


「すまん、足止めしちゃって。仕事頑張れよ」


「あははっ、ありがとう!!!! あ、そういえば~……さっき、心愛ちゃんが公園で泣いてたけど、なにか知ってる????」


「いや、出前を急ぐんじゃなかったのかよ――って、心愛がなんだって?」


「心愛ちゃんが泣いてた。公園で」


 ああ、直帰せずにあの公園に行ったのか。


 どうやら、俺のなんとなくは当たっていたようだ。


 まだ、泣いているのだろうか。

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