第9話 迎えのち通学

 ブロック形の栄養補助食品という優雅な朝食を済ませると、来客を報せるチャイムが鳴った。インターホンのモニタを見れば、制服を着た心愛が欠伸をしているところが映る。

 ドアを開くと、少し眠たげな表情の心愛が、表情を変えずに軽く辞儀をした。


「おはようございます」


「……おはよう。で、何用だ?」


「寝坊してないか心配だったので」


「しないぞ。俺が朝に強いのは心愛も知ってるだろ」


「人は慣れないことをすると疲れるものです。昨日はひさびさの登校で疲弊したでしょう。それに、昨日したからといって、今日もできるとは限りませんから」


「引き籠もりを心配したわけか。大丈夫だ、ちょうど歯磨きも済ませたところだしな。社会復帰は目前ってわけよ」


「それはよかったです。じゃあ、まだ時間は余裕ありますし、ゆっくりと通学の準備でも済ませてください。私はここで待っていますから」


「おう」


 そう返して部屋に戻り、通学準備を進めた後で、はてと首を傾げた。待て、心愛は俺と一緒に学校に行くつもりなのか? どうしていきなり……。


 準備をして部屋を出ると、心愛が先ほどと同じ様子で待ち構えていた。


「なあ、本当に一緒に通学するのか? 下校時ならともかく、一緒に登校してもアイスを奢ることはできないが」


 確認すると、心愛はいつもの蔑むようなじとーっとした視線で俺を睨む。


「はぁ、アイスを奢ってもらうために一緒に行こうと言ってるわけじゃありませんよ。まったく、私をなんだと思ってるんですか」


「じゃあなんのために? もしかして俺が一人で通学するのが怖いのか? いやいや、そこまで心配してもらわなくても平気だって。学校くらいはちゃんと一人で行ける」


「特に理由なんてありませんよ。今から私たちが向かう場所は同じ学校です。同じ場所に向かう人間同士が、今こうやって同じ場所にいる。これで別々に通学する方が不自然でしょう」


「それは確かにそうだが」


 だったら、これまでも一緒に通学していたはずでは?

 まあ、俺には彼女がいたし、なにより心愛には嫌われていたっぽいしな。でも俺は失恋したし、何故かはわからないが心愛も俺に多少は気を許してくれたらしい。

 状況は変わったということなのだろう。


 部屋を出て施錠して、マンションのエレベーターを降りて外に出る。心地のよい朝の空気を感じながら、学校へ向かう街路を歩いた。


「そういえば、昔はよくこうやって一緒に登校したっけ。中学に入ってから少しくらいまではやってたか?」


「正確には、小学校低学年の時と、中学の最初一年とちょっとくらいですね」


「よく覚えてるな」


「当然ですよ」


 断言する心愛。

 なにが当然なのかはわからないが、記憶力の誇示のようなものだろうか。


「そういえば、小学生の頃はどうして一緒に通学しなくなったのかが思い出せないな。なんで一緒に行かなくなったんだっけ?」


「それは……からかわれたからですよ」


「からかわれた? あー」


 そうだった。

 恋愛やらなんやらの話題がクラスでも行われるようになった思春期なお年頃、同じクラスの生徒たちに、俺と心愛の関係をからかわれたのだ。

 曰く、付き合っているだの、なんだのと。


「思い出した。俺は別に気にしてなかったんだが、それでお前が一緒に行けないって言い出したんだよな」


「あの時は気にしてたんですよ、凄く」


「それに、あんまり酷いことを言ってくるやつがいたら、一発お見舞いしてやればよかっただけの話だろ」


「私としては、それも心配だったんです。昔の悠は、すぐにそうやって手を出そうとしましたから」


「いや、俺がバカにされるくらいだったら気にしないからいいんだけどさ。お前が嫌な思いをしていたら、気持ちのいいものではないし」


「なっ、だから、そういうところが――!」


「そういうところが?」


「な、なんでもないです!」


「なんなんだ一体。俺に気に入らないことがあるならしっかり言ってくれていいんだぞ? 直すかはわからないが、善処はする」


「そういうのじゃありませんから。……こっちこそ、なんなんですか……」 


 心愛はなにか怒っているようだが、一連の会話からどこに彼女を怒らせるポイントがあったのかさっぱりわからない。

 長いこと嫌われていたし、ひょっとして、俺は自分で思っている以上にデリカシーというものがないのだろうか。


 心愛の心情は難しい。


「そ、それはそうと――」


「うん?」


 心愛が、なにか意を決するように、すうっと息を吸い込む。


「悠は、今日のお昼はどうするんですか?」


「学食の予定だけど。お金節約したいし、適当にパンでも買って喰うかな」


「お弁当をつくってきたと言ったら、どうします?」


「……え? 俺の弁当? 心愛が? どうして?」


「今日、自分の分をつくる時に、多くつくりすぎてしまったんですよ。だから、どうかなって思っただけです」


「いや、もらえるならそりゃ嬉しいけど」


 混乱する。わざわざ看病してもらって、今度は弁当まで? 心配してもらえるのは嬉しいけど、ひょっとして……。


「まさか、利子をつけてアイスを奢らせるつもりじゃ」


「そんなことしませんよ! ああもう、いらないならいいですよ。あげませんから!」


「いや、欲しい。欲しいよそりゃ。学食のパンなんてもう飽きてるしな。でも――なあ心愛、なにを企んでいるんだ? 本当のことを言ってくれ」


「だからなにも企んでいませんって! はあもう、やっぱりいいです。だったらあげません。今日のお昼は自分で二個食べます。ドカ喰いします。嫌がってる相手に無理矢理食べさせる趣味はありませんし。太ったら悠のせいですね」


 え、マジで言ってるの? 本当に、なにも企んでいない……?


「えっと、くれるならありがたく頂戴します。心愛さんのお弁当が食べたくて仕方がないです。俺のために太らないでください」


「ま、そこまで言うなら仕方がないですね。では、お昼休みになったら、悠の教室に伺いますから」


 一瞬ホッとなったが、すぐに他の問題に気付く。ええっと、昼休みに弁当を持って心愛が教室にくるってこと?


 マジで……?

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