第7話 夜空のちキザ
『冷食の担々麺 ~山盛りの白米を添えて~』
そんな優雅な夕飯を済ませた俺は、風呂に入った後、夜風を浴びたくなってベランダに出た。そして、なんとなく夜空を仰ぐ。
べつに気取ってるわけでも、格好つけてるわけでもなければ、星を探しているわけでもない。というかこのあたりだと、星なんて綺麗に見えないしな。
田舎の方だとよく見えるって話だが、あいにくここらは都会に分類される。地上の明るさに、黒に散りばめられたはずの煌めきが、淡くぼかされてしまうのだ。
でも、俺はそんな、人間の照らした光が侵蝕する、明るい夜空を見るのが好きだった。
――ガラガラ。
そうしていると、隣の部屋のベランダに、誰かが出てくるのがわかる。
「夕ご飯、食べました?」
壁を挟んだ、隣のベランダ。
顔は見えない向こう側から、心愛の声が聞こえた。
「食べたぞ。冷食に白米の豪勢なセットだ」
「はあ、偏食するなと言ったばかりですのに」
「心掛けてるつもりだが。でも、毎食バランスよくなんて、無駄に金もかかるし難しいだろ? 少しくらいは自炊もやろうと思ってるけどさ」
「買う時に、少し炭水化物を減らして野菜を取り入れるように気をつかってください」
「炭水化物を減らすなんて、腹が減ってしまうだろ。というか、心愛は涼みにきたのか?」
「そんなところです。悠は……気取ってましたね。はい。間違いありません」
「……俺も涼みにきただけだよ。つーか、俺がそんなキザ野郎に見えるか?」
「おかしいですね。悠はここぞという時にキザっぽくなると、私の辞書に記録されていますが」
こほんと、心愛が咳払いをして続ける。
「星のような特別なものに頼らなくても、地べたから照らす幾重もの光が暗闇を晴らせるのだと知れば、それほど心強い現実もないものだ――でしたっけ」
「……あ……」
「これ、昔、悠が私に言った言葉ですよね」
「…………」
確かに昔、心愛が落ちこんでいた時に、そんな話をして励まそうとしたことがある。
「どうやら、思い出せたようですね」
「だって、あの時は、なにを喋っていいかわからなくて……その……俺なりに、必死に考えてたんだよ。だいたい、心愛の辞書ってなんだよ。俺が辞書に載ってるのか?」
「そんなの決ま――こほん。……そんなこと、今はどうでもいいでしょう。問題にしているのは、悠がキザかどうか、です」
「それこそどうでもいい話題じゃないか」
「確かに、それはどうでもよかったです。それはどうでもいいですけど、そうではなくて……」
なんだ?
まだ心愛は、なにか言いたそうにしているが。
「……その、だから、そのうち元気は出ると言っているんです。べつに特別なことがなくったって、次第に気分は晴れていくものです。嫌なことがあっても、いつかきっと、元気は出ますから」
ああ。なるほど、どうやら心愛は、俺を励まそうと思って、昔俺が彼女に伝えたキザな言葉を掘り起こしてきたらしい。
「ありがとう。おかげで元気出たよ。まさか心愛に励まされるなんてな」
「なんですかそれ。私に励まされることが、そんなに不服だと」
「違う、逆だ。嫌われてると思ってたし嬉しいんだよ。この数日、お前に看病されて体調も治ったしさ。元気になれたのは心愛のおかげだ。ありがとう」
「なっ……!」
壁の向こうで、心愛が何故か絶句しているのがわかった。
あれ、俺、なにか変なこと言ったか?
「はあ……あなたはそうやって、突然キザですし、唐突に素直すぎます。そういうの、心臓によくないです」
「え? なんで?」
「なんででも、です。とにかく、元気なら安心しました。夜風を浴びすぎて、風邪を引かないように気をつけてください。また体調崩しても、絶対に看病してあげませんから」
心愛が冷たくそう告げてくる。
そして、壁の向こうから、室内に入っていく人の足音と、ベランダに続くドアを閉める音が聞こえた。どうやら、彼女は部屋に戻ったようである。
「何だったんだいったい……」
心愛の理不尽な怒りと態度に不可解さを覚えながら、もう一度夜空を見上げた。
「星のような特別なものに頼らなくても、地べたから照らす幾重もの光が暗闇を晴らせるのだと知れば、それほど心強い現実もないものだ――ね……」
しかし、まさか過去の自分の言葉に励まされるとは。
それにしても……。
「あいつ、俺の言葉をよく覚えてたな」
それだけ相手の記憶に残っていたなら、キザになった甲斐もあったというものである。
「俺も部屋に戻るか」
そう呟いて、もう一度夜空を見上げてみる。
頭上に広がる、人の光に照らされて白みがかった黒い海。
たとえば、今日の放課後遊びに誘ってきた風間や、昼休みわざわざ話しかけてきた春日井だって、俺のことを心配してのものだった。
そして、看病しにきてくれて、今こうやって話しかけてきてくれた、心愛だって。
じんわりと、心の奥があたたかくなっていくのを感じる。
「昔の俺、結構正しいこと言ってるじゃん」
そんなことを呟きながら、俺は部屋に戻った。
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