第99話 キュムロニバス#1

最初、山の上にかかった雲の固まりか何かだと思った。

ごく緩慢な動作で、ゆらりゆらりと揺れながら、尾根の上を越え、谷をまたぎ、”それ”はこちらに向かってくる。


光線の向きが変わり、散乱光で一面に光る空を背にシルエットになって、それが雲や何かの影ではなく、

幾本もの長い脚に支えられた、途方もない大きさの生き物だと分かった。



今度こそ、夢でも見ているに違いない。

アマリリスは何度も目をしばたき、両手で頬を叩きさえした。

しかし、その大入道キュムロニバスは、消えてなくなるどころか、アマリリスの正気を試すかのように、見る見る大きくなっていき、今や空を覆わんばかりだった。


「ウソ。。。うそよ、こんな大きな獣がいるわけ、、、?」


「ウソもなにも、目の前にいるじゃないか。」


アマロックはむしろその問いかけが不思議だというふうにアマリリスに答え、頭上を通り過ぎて行く巨大な影を見上げた。


まるで山そのものだった。

7本の細長い脚によって遥か上空に持ち上げられた胴体は、大きなこぶが寄り集まったような不格好なかたまりで、目も顔も見当たらない。

周囲にたくさんの鳥が群がり、胴体の上で羽を休めている。


一つ一つの動作は緩慢に見えるが、それでも何しろこの大きさだから、結構なスピードが出ている。。


正面から、一本の脚がものすごい速さで迫ってきた。

大寺院の尖塔ミナレットくらいの太さがあるその脚が、もろに自分達にぶつかってくる気がして、

アマリリスは思わずアマロックにしがみついた。

しかし、実際にはだいぶ離れた場所に着地した。


静かだった。

これだけの大きさなのに、動くときほとんど音を立てない。


「ざっと4万から5万」


アマロックがぼそりと言った。


「え?」


「さっきの奴の装甲と一緒だよ。

たくさんの魔族が群体を作ってこんなでかくなってるんだ。

そら。」


アマロックはそう言って、ちょうど接地しようとしている脚を示した。

三本のあしゆびのついた先端が、チングルマの草むらに触れた瞬間、

そのひとまとまりの茂みが、身震いするように虹色に光った。

地面にはりついた蔦がばりばりと持ち上がって、爪の先に絡み付き、そのまま一体化して地面から離れ、運ばれていった。


「植物・・・?

植物の魔族なの?」


「植物だけじゃないけどね。

魚に、鳥、人型の魔族も混じってるんじゃないか。」


そう思ってよく見ると、周囲を飛び回っていた鳥の一羽が、巨獣の胴体めがけて突っ込んでいき、

そのまま一体化して見えなくなった。

この巨体全体が、おびただしい数の種種雑多な魔族が集まって出来ているのだ。


「一体どうして」


「え?」


「何でこんなことするの?

こんな、こんな途方もない、、、」


絶望にも近い感覚に、アマリリスは打ちのめされていた。

彼女が慣れ親しんだ世界の姿と、目の前で起きていることの余りの落差にめまいがして、どう受け止めればいいのか分からなかった。


異界に意味を問うことはナンセンスだと、クリプトメリアは言う。

でもそれだと、あたしはずっと異界を理解することはできなくて、、

この、足元にぽっかりと開いた穴に吸い込まれて行くような、断絶の中に取り残されたままなのか。。。



ところが思いのほか、アマロックはあっさりと答えを返してよこした。


「谷をまたげるからだよ。」


「・・・は? 何て?」


「これだけでかいと、ちょっとした谷は橋をかけるみたいにひょいと跨げる。

尾根も、脚をちょっと曲げれば通り越えられる。

いちいち下ったり登ったりするよりも楽だろう。


長い旅だから、そうやって体力を温存していくんだよ。」


「旅って? どこへ?」


尾根の向こうへと遠ざかって行く巨大な影を見送りながら、アマリリスは聞き返した。


「山のこっち側は、夏はいいけど冬は荒れる。

向こう側は、雪も少ないし、風も穏やかだ。

ここいらは、ああやって寄り集まって山を越えていく連中の、通り道になってるんだよ。」


「むこう側・・・」


「トワトワト脊梁山脈の向こう。

半島の西側だよ。」



・・・!


アマリリスははっと息をのみ、雪渓を蹴散らして走り出した。

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