第89話 ゆりとてんとうむしの距離
そんな気の迷いは別にしても、最近アマリリスはどこか、アマロックに対して距離を感じがちだった。
自分でもバカバカしく思うほどに、きっかけの少なくともひとつは、クリプトメリア博士に植えつけられた自律的創出論の思想だった。
人間を含む生物の世界が、生体旋律の自己保存競争によって作り上げられた、という、自律的創出論の考えは、非人間的で、感情を否定される気分がしたが、
それだけに有無を言わせない説得力を持っていた。
もっと人間らしい曖昧さをはらんだ考え、例えば、”人は何のために生きるのか?” といわれたら、
ある人は家族のためと答え、別の人は祖国のため、またある人は神のため、と言うだろう。
そして、それらはどれも正しい。
なぜならその問いは、世界でたった一つの真理を探しているのではなく、実は、答える人ひとりひとりの心の有りようを尋ねているのだから。
けれど、自律的創出論の正しさは、そういうのとは違う。
それは、坂道にボールを置いたら、坂の下の方へ転がり下って行く、といった類の定理で、
その思想が発見された時には既に揺るぎない真実で、議論の余地は予め封じられているのだ。
ばらの谷間に咲くゆりに、恋人の姿を思ったり、
すべりひゆの茂みから飛び立つ、てんとうむしの見上げる空を想像したり、
そういうのは、それを見る人が、自分の中にあったもやもやした思いを、その時見えたものに勝手におしつけているだけで、
実際のゆりや、てんとうむしそのものには何ら関係がない。
その考えは、彼女の生活そのものになりつつある
そして特にアマロックを見、言葉を交わすとき、
アマロックの示すしぐさ、しゃべり方などに感じるちょっとした異質さが、人間と魔族の隔たりを語っているように思えてならなかった。
以前は、ミステリアスな、どこか魅力的な男の子、ぐらいに思っていたのだけれど。
クリプトメリアが、純然たる獣、と呼ぶ魔族。
ゆりや、てんとうむしのそのものと同じ、自律的創出論の向こう側にある冷たい心。
人と人の間にあるような、想像や思いやりの働きは、期待してはいけないのだ。
一体アマロックは何を思って、あの時あたしにキスしてきたのだろう?
初めてのキスだったけれど、もうそれを知ることもできないのだろうか。
あの時どんなだったか、どんなふうに触れられ、この目で何を見ていたのかも、思い出せなくなってきていて 。 。 。 。 。 。 。 。 。
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