第58話 キュクロプスの鰓
「そういう機械を人間が発明したとは、あいにく聞いたことがないが。
しかし、見ようと思えばその動作に意思を認められなくもない、
そういう機械なら、わりとありきたりに転がっている。」
若干遠慮しつつ、クリプトメリアは答えた。
「そうなんですか?」
「何がいいかのう、、、そう、
『キュクロプスの
飛行船舶の姿勢制御を行う装置だよ。
このおかげで、空中にふわふわ浮いた船がひっくり返ることなく、安定を保つことができる。
それも、人間が操作するわけではなく、装置自身が船体の傾きを感知して、水平に戻す働きを行うものだ。
ごく単純な原理の機械で、船の両舷に取り付けられた水槽と、双方を繋ぐポンプ、竜骨にぶら下がった振り子から出来ている。
船体が水平のとき、振り子は垂直を保ち、この状態ではポンプは止まっている。
片側に重いものを乗せたかして船が傾くと、振り子も垂直を外れて重心の側に寄る。
するとポンプのスイッチが入り、傾きとは逆の方向に水を送る。
右に傾いたら、右の水槽から左、左に傾いたらその逆だ。
すると、水の重さで船は逆に傾き、やがて水平を取り戻したところでポンプのスイッチが切れる。
こうして船は常に水平を保つことができる、と、
簡単に言えばそういう仕組みだ。」
「なるほどー、頭いいですね。」
実際には原理を実用化するために、複雑な実装がされていることだろうが、
クリプトメリアも専門外のことなので簡単にしか説明できない。
アマリリスは十分感心しているようだ。
「そうだな、船を安定させるそのことに関しては、たまに居眠りするような人間の操舵手より優秀だし、責任感も強い。
この装置が、船体を安定させようとする自律的な意思を持っている、そのように見える、
と言ったら、擬人化のしすぎかね?」
「あーー、何か分かった。
石の心臓だ。」
「石の、、、何とな?」
「あ、何でもないです。続けてください。」
「石に、、じゃなかった、
この単純な機械に、意思などある筈もない。
振り子が片側に振れれば、反対側のバラストを積み増す。
結果として、船が水平を維持する、というだけの話だ。
しかしこの装置の存在を知らず、傾いてもひとりでに水平に戻る船を外部から見上げている人がいたら、きっと船が意思を持って船体を安定させようとしているのだと、そう考えることだろう。」
アマリリスが遠い目でクリプトメリアを見つめ、やがて言った。
「飛行船は乗ったことないから分からないけど、でも、おっしゃりたいこと、分かります。
私の故郷に、『小人の壺』っていうのがあるんです。
家畜小屋でね、ニワトリ飼ってるじゃないですか。
浅いタライに飲み水を入れてあげるんだけど、結構すぐ飲みきっちゃうんです。
で、小人の壺の出番なんです。
大きな瓶で、細口の。
口が斜めに切ってあって、水を一杯に入れて、逆さにして、タライに突っ込んでおくんです。
そうすると、水がまだあるうちは瓶の中の水は落ちてこなくって、
――あれ不思議ですよね、どうしてなんでしょう?
水がなくなってくると、少しづつ出てくるみたいで、いつもタライに水があるんです。」
「ふむふむ。」
実は大気の重さが、瓶内の水を押し上げている原理を説明してやりたい誘惑をこらえて、クリプトメリアはアマリリスの話に耳を傾けた。
「便利なんですよ。ウィスタリアの夏はとても暑くて、ニワトリは、水がなくなったら半日で死んじゃう。
でも、小人の壺のおかげで、1日1回、瓶に水を入れとくだけでいいんです。
――で、何でしたっけ。」
「推察するに、キュクロプスの鰓と、その『小人の壺』の共通点を論じたかったのではあるまいかね。」
「そう!そう、
いつもタライに水があるようにできるから便利だけど、本当に瓶に小人が住んでいるわけじゃなくて、
ただそう出来てるだけ、ってことですよね?」
「うむ。
私の事例と君の事例の共通点として、意思を持たない機械の挙動に、観察者が意図や目的を発見することが可能だ、
ということを主張しているのであれば、主旨は正しく伝わったと思う。」
科学研究者などという世知辛い職業のくせで持って回った言い方をしたが、アマリリスが紐解いて見せた解釈に、クリプトメリアは感心し、少し感動していた。
あまり頭の良くない娘、という印象が強かったが、なかなかどうして、本当はバカではないのかも知れない。
何かを知っているということは、実は賢さとは何ら関係なく、聞いたことを正しく素早く習得する能力も、器官としての頭脳の良し悪しを物語るにすぎない。
真の聡明さとは、物覚えが悪かろうが物分かりが遅かろうが、聞き知ったことから新しい知を作り出す才能にある。
アマリリスもそういう類の人間なのかもしれない、という予感がした。
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