第56話 架空の伝記

架空の島と鳥の物語は続いた。


「鳥の食物となる果樹が、地上から手の届かない高い木の上にのみ実るなら、翼を持つ鳥は樹冠まで到達できる一方、翼を持たない鳥は必要な生存資源を獲得することができず、餓えて滅んでゆくだろう。


地上を敏捷に走り回る捕食者がいたら、翼を持つ鳥が空中に逃れる道がある一方、翼を持たない鳥は、最も重要な生存資源である彼自身の表出型を失い、やはり子孫を残すことは難しいだろう。


このような環境の島では、飛翔可能な翼の有無が、表出型が生存資源を獲得する効率に大きな影響を及ぼし、

翼を発生させる生体旋律が、より多く自己保存に成功すると言える。


では次に、天敵となる肉食動物が生息せず、食物が地表に実るような島を考えてみよう。

翼持つ鳥も持たない鳥も、はじめは飢餓に苦しむことも、天敵におびやかされることもなく、恵まれた1世代目を終える。

2世代目、島の個体数は150羽に増えている。

翼を持たないかわりに2個の卵を産む鳥が、1羽あたり2個、合計100個の卵を産み、1個しか産まない鳥の分、50個に加算されたせいだ。


しかし、島の生存資源には限界がある。

150羽のヒナ鳥の大群は、おそらくは餓えにより、個体数上限の100羽まで押さえ込まれることになる。

2種類の鳥の、飢餓に対する耐性に差がないとすれば、両者は等しい割合で餓死者を出すことだろう。150羽が100羽に減るわけだから、3分の2が生き残る。


第2世代のはじめ、2卵産みの鳥のヒナは100羽いる。

これが3分の2に減るので、生き残りは67羽弱ということになる。

1卵産みの鳥ははじめ50羽いる。

これが3分の2に減るので、生き残るのは33羽強。

3世代目は、2卵産みの卵が134個、1卵産みの卵が33個。

結果は、計算するまでもないな。

要は世代を重ねるほど、2卵産みの鳥は、全体で100羽という制約の中で占有率を高め、あっという間に他方を駆逐くちくしてしまうだろう。


このような環境では、生体旋律の自己保存のうえで空を飛ぶ能力には価値がなく、競合よりも多くの卵を産むことのみが重要なのだ。


以上述べたように、競合する生体旋律の集合の中で、どれが最も効率的に自己保存を行い、勝ち組になるかは、その旋律が置かれた環境によって変わってくる。

仮に今言ったような2つの条件の島があったら、それぞれの島が見せる自然の光景は、大きく異なったものになるだろう。



多様な環境と、そこで高い自己保存比率を発揮する旋律の組み合わせ、

ニアリィ・イコールな表現をすれば、『生存に適した種の繁栄』は、現実の世界でも到るところで目にすることができる。


遥か南方、赤道直下の多雨地域に生息する樹木は、信じられないほどの高さにまで巨大な枝を広げ、自らが享受する太陽エネルギーを最大化すると同時に、周辺の競合者の上に陰を落とし、生育を阻害しようとする。

一方でここいらの野山に育つ松は、風衝や積雪の重みを避けて低く広く枝を巡らせ、文字通り地に這いつくばって生育地を広げて行く。


動物界に目をやればさらに多彩で、木の葉そっくりの羽模様で天敵の目を欺く蝶、逆に、小魚そっくりの触手で中型魚をおびき寄せて捕食する大型魚、など、数え上げたらきりがないほどだ。


この惑星に生存する生物のどれもが、生きるため、みなそれぞれに工夫を凝らし、

何となく、ただそうあるだけで生きているものなど一つもいない。


きっとこの世界には、人知を超えた崇高な知性があり、

これらの調和と神秘を用意することで、人間の目を驚かせ、彼の崇高さに引き上げようとしているのだと、


――そう思わずにはいられないほどだ。

神の幻想がその限界を露呈ろていして200年が経過した今日でもなお、そういった世界観を信じて疑わない人たちは実に多い。


世界の姿に感嘆する心をおとしめるべきではないし、何を信じるのも個人の心の自由だが、

この惑星の本当の神秘は、人間には知覚できない高次の意思の働きなどではなく、遥かに大きな驚きと興奮に満ちた、一方で誰にでも理解できる単純明快な原理にある。


生物とは、何らの恣意しい的な存在の関与なしに生成された機械であり、

その設計図となる生体旋律の、自己保存比率の差をふるいとした選択こそが、

この精緻な機械と、世界の多様性を創出した原理である、というのが、自律的創出論の主旨だ。」


クリプトメリアははかない望みを抱いて、アマリリスの表情を覗きこんだ。

クリプトメリア自身は、数十年前にこの概念を自分のものにした時、世界の真理に触れたと感じ、

身震いするような興奮を覚えたものだが、アマリリスは人形のようなうつろなガラスの目をしている。


じつのところ数字の苦手なアマリリスは、67羽弱の鳥の辺りから完全にお手上げになり、

あとは、滝のような言葉の羅列にただただ翻弄されていただけだった。



やはり、理解させようというのが無謀だったか。

いやいや、自分の説明が悪いのだ。

生体旋律とか、自分にあり相手にはまだない知識を前提として話を展開するからこうなる。

想像の及ばないことを理解させようというなら、もっと相手に寄り添わなくては。


クリプトメリアは路線を変えた。

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