第29話 オオカミの名前#1
何日か、あてもなく森をさまよった後。
まったく思いがけなく、オオカミたちと再会することになった。
そのとき、アマリリスは歩きつかれて、沢に面した低い崖の上に座り込んで休んでいた。
不意に重い羽ばたきの音が聞こえ、大きな真っ黒な鳥の影がいくつか、頭上の梢をかすめた。
そばの木の梢から、リスが慌てて飛び出してきて、どこかの枝に走り去って行った。
トワトワトの
本当にこの森の動物は何もかもが大きい。
ウィスタリアのカラスより、倍とはいわないが、5割増しはある大きさだ。
ワタリガラスは、アマリリスが座り込んでいる尾根を飛び越えたところで大きく羽を広げ、空中を滑るように、谷の上を旋回し始めた。
低い地響きのような音が聞こえてきて、何だろうと首を伸ばすと、沢を隔てた向こうの尾根を疾走する十数頭のシカの群れと、周囲から追いすがる、複数の黒っぽい影が見えた。
見えていたのは数瞬のことで、やがて地響きも小さくなっていった。
アマリリスは跳ね起きて斜面を駆け下り、獣たちが去っていったと思しき沢筋に沿って歩いていった。
けれど、行けども行けどもそれっきり影も形も見えなかった。
だんだん飽きてきて、引き返そうかと思いはじめた時。
何気なく顔を上げると、彼女を見下ろす位置、わずか数歩離れたの岩の上に、3頭のオオカミが佇んでいた。
足に根が生えたように動けなくなった。
琥珀のようなトパーズのような、黄色い目。
ウィスタリアの動物園で見たオオカミと同じ、もっと遠い隔たりを感じる金色の目。
隈取りのような模様の、表情のない顔。
黒みがかった砂色の、ふさふさした毛並み。
大きい。これまでに知っているどんな犬より、桁違いに大きく見える。
・・・金色の目。
誰かによく似た、冷酷とも柔和とも違う、内にある心の見通せない瞳。
「アマロック・・・?」
ささやくように呼び掛けてみた。
「おぅ、お姫さま。」
背後から急に声がして、アマリリスは飛び上がり、お陰で金縛りが解けた。
アマロックが真後ろに立っていた。
「どうした? 今日も迷子か?」
「・・・」
また底意地の悪いからかわれ方をするのかと思って、アマリリスは後ずさりそうになった。
が、いったん踵の浮いた足を、思い直して戻し、意識した笑顔を作って言った。
「オオカミ。仲間の。」
「うん?」
「紹介、してくれるんでしょ?
この前言ってたじゃない。」
「そうだったっけか。」
いい加減な男だ。
アマロックは顔をあげ、岩の上のオオカミの方を見た。
アマリリスは双方を見比べた。
運命共同体の仲間同士、何かしらの交流があろうかと思ったが、アマリリスに対するのと全く同じように、互いを見る瞳に、親しみの情らしきものは何も見い出せなかった。
「あと、2頭。」
「え?」
「もう2頭いるんだけど、どこに行ったかな。」
やがて沢の上流の方から、2頭のオオカミが戻ってきた。
これで全部だ、と言って、アマロックはしれっとしている。
そんな紹介ってあるだろうか。
名前は? と聞くと、そんなものはない、と言う。
ないものは仕方がない。
しかし相手を理解するためには、名前以外にも色々知るべきことがあるような気もするが、
オオカミ相手だと何を訊けばよいのか、とっさに浮かんでこない。
「あたしのことは?
お仲間に紹介してくれないの?」
「大体分かってると思うよ? 匂いで。
昼飯を食ったばかりなのに、もう腹が減ってきてイライラしている。
今日はまだ失禁してない。
けど、昼飯のあとエゾニュウの茂みで排尿してきた。
あと5日ぐらいすると、月経が始まる。」
「・・・今日限定の情報ばっかじゃん!
それに身体的なことばっかじゃん!
お近づきになるって、そういうことじゃないでしょう。」
でも当たっている。
4つ目は分からないが、多分そんなものだろう。
そんなことまで分かるのか。
「それで十分なんだよ、知っておくことは。」
アマロックが言った。
何ら底意のない言葉なのだが、アマリリスは少しだけ、傷つけられた気持ちになった。
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