第32話 始まった宴


縦長でかまぼこ型の空間、両側にテラス席、最奥に一段上がった演壇――。

ハイドラ離宮一階の大広間は、俺の貧相な語彙で表すならば、『巨大な体育館』のような形をしていた。

会場には木製の長テーブルが連ねて並べられ、甲冑を脱いだ数百人の兵士たちが両軍入り混じるように座っている。さすがに黒狼軍全員は収まるはずもないが、今回の遠征に参加したマギア王国騎士団員は全員、席を確保してもらっているらしい。


晩餐会の開始の合図が為されてから、30分弱。

場は早くも出来上がりつつあった。

蝋燭に照らされる広間で、豪華な料理が並び、美麗な音楽が流れる様は殊更に非日常感を演出し、おまけにたらふく酒を飲んでいいと言われたのだから、疲れきった兵士たちには堪らないだろう。



そんな無数の声が入り混じる中、一際大きなヴォルークの声が響く。


「――おい、ローレン・ハートレイ! もう一度、氷を出して見せろ! このグラス目掛けて飛ばせ!」


正面で膝をついた俺は命令されるがまま、小石ほどの氷を生み出し、ヴォルークの持つ酒の入ったグラスに向けて飛ばす。

すると緩やかな放物線を描いた氷の礫は、ぽちゃんという音とともに吸い込まれ、水滴が跳ねた。

ヴォルークが手を叩いて笑う。


「まこと便利よ、氷魔法は! 弾は固く、壁にも足場ともなる。既存の魔法の欠点を補う、あまりにも戦いにおいて有用な魔法ではないか! これからは、水魔法の適正者でも氷魔法が扱えるか否かによって大きく評価が変わるであろう、なあ、サーベージ!」


王子が振り返ると、壁際に立った隻眼の武将が首を縦に動かす。

他の軍団長2人は席に座って食事を取っているが、彼だけはずっと直立不動だ。


「仰る通りかと」


「すでに会得したと聞いたが、実際に扱ってみてどうだ」


「つい昨日初めて目にしたばかりで扱えるなどと言えば、ローレン殿に笑われてしまいましょう」


「はっは、それもそうだ! せいぜいこの機会に教えを請うておけ」


形式的な謙遜の言葉を口にしつつ、品定めでもするかのような温度のない視線がこちらに向けられる。一方、その横のロズヴィータからは熱のこもった視線を感じるのだが、どちらも正直心地良くはなかった。


「ローレン・ハートレイよ、短い滞在ではあったがハイドラはどうであった。何かとマギアとは違うところが多かったのではないか」


「ええ、すべてが新鮮でした。今後の魔術研究への大きな刺激となり、このように貴重な機会をいただけたことを感謝いたします」


「重畳重畳。卿にはますます魔術研究に勤しんでもらわねばならぬ。例の水晶も、その一助となるのであろう?」


「――え、ええ、左様でございます」


イハイオット水晶。

離宮に帰ってからもずっと気にしていた話題が出たので、俺は内心身構えた。魔術研究というよりも個人的な事情という側面が強いという気まずさもあり、なんとなく返事がたどたどしくなってしまう。ヴォルークは小さく笑って言った。


「心配するな。昨夜鳩を飛ばしたのであれば、恐らくもう離宮に届けられている頃であろう」


「……それはつまり、本日の魔術試合はお気に召したと考えてよろしいでしょうか」


「なんだ、そこから疑っていたのか。余をなんだと思っている。卿は期待以上の魔術を披露してみせ、黒狼軍の誰もが感嘆した。余との交渉条件を果たした上で、卿は水晶を勝ち取った。なんなら証書でも用意してやろうか」


「安心いたしました。大見栄を切ってしまった手前、ご期待に添えなければどうしようかと……」


「昨夜から思っていたが、実力と言動の見合わぬ男だな。しかし、そのせいで今宵の宴を楽しめぬのであれば台無しだ。――――おい!」


ヴォルークが手を掲げて背後を振り返ると、すぐさまアニカが裏手から音もなく現れた。

「今すぐ、例の水晶をここへ持ってまいれ」と命じられた彼女は、また暗がりへと姿を消していった。


「よ、よろしいのですか?」


「もはや貴様の所有物だ、悪い道理がない――」


ヴォルークは片頬を持ち上げ、何でもないというように手を振った。

そして横に座るノノの肩に腕を回して言った。


「――であろう?」


無言で俺とヴォルークの会話を眺めていたノノは、ちらりと俺に視線を向けたあと、深く頭を下げた。


「ヴォルーク様のお取り計らいに感謝いたします。水晶取引の話を持ち出した身といたしましては、胸を撫で下ろす思いでございます」


「此度の演習の成功は、旅の同行を許可したノノの手柄でもある。いっそハイドラへ嫁ぎに来る時に、この男を連れてくればどうだ。よい案であろう」


「そ、れは――――」


唐突な提案に、一瞬、ノノの表情が引きつったように見えた。

思わず俺も硬直してしまう。

しかし、ヴォルークはそれに気づいてもいない様子で「冗談だ」と笑い、酒をあおる。その時、ちょうど別の者が挨拶に来たので会話は終了となった。


去り際、一礼をした俺の胸に、首から下げたペンダントが擦れる。


ボイシーチの館で顔を見せて以降、セイリュウはずっと大人しく眠っていた。

声をかけるまで出てくるなと強く言ってあるからだ。

ヴォルーク本人の口から確約が出たのだから、もう起こしてしまおうかと思うが、俺は少し考えた後にやめておくことにした。

ただでさえ騒がしくなりつつある大広間に、あのやかましい青蛇を呼び出すこと自体気が進まない。

起こすのは、この宴が終わってからでいいだろう。


俺は一度席に戻る。

大広間の壇上の中央には、この晩餐会の象徴たる2人が並び座っていて、その両脇に少し距離を置いてマギアの賓客が席をもらっている。

賓客というのは団長ベルナールはじめ、そのほか騎士団の幹部、マギア王宮関係者などだが、その中に俺も含まれているというのがなんとも妙な感じだ。


しかし、ここからであればノノの姿がよく見える。

俺は彼女から目を離さないようにしつつ、周りを行き交う人影に注意を払っていた。

と、そこへ大きな影が視界の端から現れた。


「食が進んでいないじゃないか、ローレン」


第一騎士団長ベルナール・バーミリオンがどかっと腰を下ろすと、木製の椅子が軋む音を立てた。


「食事が喉を通らんほどにくたびれたか。しかし、出立は明日の早朝だ。悠長に朝食飯をとっている余裕はないぞ」


「……ええ、分かっています」


俺は自分のテーブルに用意された食事に目を落とす。その中には昨夜の夕食で非常に美味だったメニューもあるが、今のところほとんど手をつけていなかった。

どうにもフォークを持つ手が重いのである。


「毒など入っていないから安心しろ」


「えっ」


俺はベルナールの物騒な発言に驚き、慌てて辺りを見回した。幸い、皆それぞれの会話に忙しいようで気にするものはいなかった。


「俺やお前だけならまだしも、ノノ王女の口に運ばれるものだ。晩餐会に並ぶ食事の用意の場にはマギアの人間も目を光らせているし、毒味も行っている。あらゆる可能性を考慮に入れて王女をお守りするのが護衛の役目だ。だから安心しろ。少なくとも、毒は、入っていない」


ベルナールはそう言って、目の前の骨つき肉をむしゃりと齧ってみせた。

なにもベルナールは、ハイドラへの信頼云々を言っているのではないだろう。

食材が傷んでいるかもしれない、食べ合わせの問題があるかもしれない、王宮外部の何者かが紛れ込んでいるという可能性もある。思いつく全ての可能性を怪しみ、対処しなければノノ王女の身は守れない。職務と責任の話をしているのだ。


俺はなるほどと思い、彼に倣った。


「しかしさすがにすごいな、これだけの数になると。なんと言うか熱気がな」


ベルナールが、大広間に視線を向けて言う。


「両国あげての大晩餐会と銘打ってるだけのことはありますね……。しかし、この大人数を屋内にわざわざおさめる必要はなかったと思いますが」


「ハイドラの夜は冷え込むという時期的な理由もあるが、そもそも食事に砂が混ざって大変だからな。毒入りステーキもまずいが、砂入りも問題だろう」


「ああ、そういう理由で……」


そう言えば演習場から帰って離宮へ入る時も、服のあちこちに砂が忍び込んで大変だった。だからこれだけ巨大な広間が用意されているのかと、俺は納得する。


「外国観光は新鮮でしたが、やはりマギアが恋しくなりますね。あの豊かな水と緑が早く見たいです」


「なにごとも離れて初めてそのよさが分かるものだ。生まれ育った国というのはなかなかに離れがたいだろう。そのせいか、ノノ王女もどこかお元気がないように見える」


赤のガウンを羽織った筋骨隆々のヴォルークと、水色のパーティ用ドレスを身に纏ったノノが横に並び座る姿は、四方からのライトアップもあって絵画の様だ。

しかし、上機嫌なヴォルークと比べて、ノノの表情は対照的に暗い。口元に料理を運ぶ様子もどこか機械的だった。


「――あそこまで露骨に顔に出るのは珍しい。あれで気丈なお方だ。ただ感傷に浸っているだけという風ではないな。っさっきヴォルーク王子とどのような話をしていた」


「先ほどの魔術試合についてと、水晶の取引についてですが……」


「思えば王女は広間においでになった時からどこか様子がおかしかった。何か知っているか?」


「……さ、さあ……、ご気分でもすぐれないのでしょうか……」


俺がそう返すと、ベルナールは眉に皺を寄せてこちらを覗き込んできた。

そして声を落として、俺の名前を呼んだ。


「…………ローレン」


「は、はい?」


「お前まで心ここにあらずと言った様子だ。何か知っているのだろう。いや、そうだ。確か宴の直前にノノ王女の部屋に呼ばれていたな。まさかお前、何かやらかしたのではあるまいな」


「やらかし――、何もしてませんよ! 人聞きの悪い!」


「いいや、2人揃って様子がおかしいのには理由があるはずだ。2人の時にのだろう? 違うか?」


「――――」


俺を上から睨みつけるベルナールは、もはや白状しなければ殴るぞとでも言いそうな雰囲気である。


何かあったのか。

ベルナールの問いは鋭く、的を射ていた。

俺の脳裏に、つい先ほど赴いたノノの部屋での出来事がフラッシュバックする。すると喉がぎゅっと締まり、胸が痛んだ。


しかし、あの部屋で何があったのかを説明するのは極めて難しい。俺自身、いまだに頭の整理が全くついていないのだ。

くわえて厄介なのは、その問題が茫洋として形を持たないということだった。ひょっとすればそれはただの取り越し苦労であり、問題ですらないのかもしれない。

そうであればどれだけよいか。俺たちは心の底からそう願っている。


「ローレン、どうした」


ベルナールが再び俺の名前を呼んだ。

話声と笑い声が飛び交う中、低く問いただすような声が俺にだけ届く。

会は始まったばかり。夜の月が頂上に差し掛かるには、まだまだ時間があるだろう。


俺は静かに息を吸った。

杞憂ならばそれに越したことはない。

しかし、ノノがついさっき俺に言った言葉は、決して冗談の類ではなかったように思うのだ。

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