第18話 あったはずのもの


「ああああううううううう! いたいいいいいいいい!」


俺は石畳の床の上で泣き叫ぶルフリーネに駆け寄る。


「狭いところで走るからだぞ。まったくもう……、どこを打ったんだ?」


「ひざぁぁぁあああ」


「とりあえず血は出てないみたいだけど……、骨が痛んでる可能性もあるから一応マドレーヌさんに診てもらおうな。我慢できるか?」


「うぐ、うう、……できるぅ」


「よしよし、じゃあおぶされ。しかし授業のたびにルフリーネは泣いてる気がするなあ」


「……そんなこと、う、ないもん……」


「はいはい」


俺はルフリーネを背中に乗せると、部屋の中を一瞥する。

そして机の下に入り込んだコインを拾い上げてポケットに入れた。


あの後、宝探しという名の鬼ごっこをしばらく繰り広げていたのだが、二階の廊下の端にまで追い詰められたルフリーネは、コインを奪われまいと頭を悩ませた結果、通風口から鍵のかかった俺の部屋の中に投げ込むという行動に出たのだ。

もはや宝探しの趣旨などどこにもなくなってしまっているが、俺は仕方なく部屋の鍵を開けてコインを回収しなければいけなくなった。

やむなく部屋に入っていく俺を更に追いかけようとしたルフリーネが、段差で派手につまずいてしまった――、というのが事の顛末である。


俺は顔を赤くして必死に泣くのを堪えようとしているルフリーネを宥めながら、マドレーヌを探しに部屋を後にした。





「大丈夫そうですわね。跡にもならなそうですし、ちょっとびっくりされただけだと思いますわ」


「そうですか。よかった」


食堂の隅の椅子に座らせ、しばらくルフリーネの膝を触診していたマドレーヌの言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろす。

魔術を実技形式で習いに来ている、という時点で多少の怪我くらいは注意事項に織り込み済みだが、それでも公爵家ご息女に目立った傷が残ってしまうというのはやはりまずいだろうと思ったからだ。


マドレーヌが、ルフリーネのすっかり赤みも引いた膝をポンポンとはたきながら尋ねる。


「ルフリーネ様も、もう痛くありませんわね?」


「…………うん……、大丈夫……です。

マドレーヌさん、ありがとう。……ローレン先生は、ごめんなさい」


椅子に座ったルフリーネはすっかりしょんぼりモードで、俯きながら小さく頭を下げる。一旦はしゃぎ始めると手が付けられないが、それでも怒られればちゃんと反省は出来るのがルフリーネのいいところだった。


「いや、これに関しては俺がちゃんと注意してなかったからだ。生徒の怪我は教師の責任、こっちこそ悪かったな」


「んーん、ルフがわがままだったの。どうしても先生と一緒に海に行きたかったから……」


ルフリーネがまだ少し未練を残した様子でそう呟いたのを、耳ざとく拾い上げたのはマドレーヌである。


「あら、ルフリーネ様と海へ? あらあらまあまあ、ローレン様、ダミアン様というものがありながら大胆な……」


「マドレーヌさん。今ルフリーネが真面目に反省してるんですからやめていただけます? 下世話スイッチはオフにしといてください」


「だって気になりますもの。一体どこからそんな突飛なお話が出てきたんですの?」


さっきまでの仕事モードから一変したマドレーヌに、俺は仕方なくルフリーネからの提案と、事の成り行きを話すことにした。


「――なるほど、そういうことでしたの。確かにジスレッティ家はマギア王国沿岸部に広い領地をお持ちでいらっしゃいますから、別荘は一つや二つではないでしょう。プライベートビーチで優雅にバカンス……。本来なら是非とも行っていらっしゃいと言いたいのですが、確かに少し難しいところですわね」


「そういう訳です」


「しかしこんな可愛らしいお嬢様までたぶらかしてしまうあたり、さすがローレン様ですわ」


「いや、その言い方は語弊しかない」


と、そんないつも通りの会話をしているところへ、背後の扉が勢いよく開いた。


「――おや、ここにいたのかローレン。それとルフリーネ嬢も」


「ダミアン様、お疲れ様です」


2人の授業が終わり、すっかり気軽な格好に着替えたらしいダミアンが、俺たちの輪に加わる。しかし、たとえ着崩したラフなシャツ一枚だろうと、なぜか様になってしまうのがこの人物のすごいところだった。

ダミアンは椅子に座るルフリーネの様子に気づき、声をかける。


「ん、涙の跡がついているな。どうかしたのか、ルフリーネ」


「えーと、お屋敷の中で走っててこけちゃったんです。あの、ローレン先生の言うことを、ルフがちゃんと聞かなかったから……」


ルフリーネは俺とダミアンの顔を交互に見比べながら、なんとか状況を説明しようとする。そんな様子を見てダミアンは大体の事情を察したらしい。

優しくうなずきながら、ルフリーネに顔を近づけた。


「そうか。先生の言うことはちゃんと聞かないといけないな。怪我はもう大丈夫なのかな?」


「だ、大丈夫、です。……あと、はい、ごめんなさい……」


「怒ってる訳じゃない。もうちゃんと反省できているようだし、次から気をつければいい。――だろう? ローレン」


「ええ、今回は俺の監督不行届きです。元々は俺が言い出した授業の延長線でもありましたし」


「ふむ。ローレンも先生としてはまだ新米だ。お互いに気を付けてもらわなければな。 ――ところでそうだ、カイルが君を探していたはずだが」


ダミアンはルフリーネの頭を軽くなでながら、俺の方を向いて言う。


「カイルがですか? ……え、あのカイルが?」


「うむ。部屋に戻っているだろうと見当違いなことを言ってしまったのは私だが、だとしても食堂を覗きに来てもおかしくない頃合いだ。というかむしろ、とっくに話し終わっているものだと思っていたな」


「いえ、ここには来てないですね……。マドレーヌさん、見ました?」


「いいえ、見ておりませんわ。客間のソファでアメリジット様が眠っているのは見かけましたけれど」


「そうか、どうしたのだろうな。もう少し待っていれば顔を出すかな?」


ダミアンはそう首を傾げながら、椅子を一つひいて腰かけた。マドレーヌはそれを見て、飲み物を用意しに食堂の奥へ引っ込んでいく。

ダミアンは改めて、ちょこんと椅子の端に座るルフリーネに顔を近づけて尋ねる。


「ルフリーネ、王都で象が暴れ回ったそうだが、君の家は大丈夫だったかな?」


「うん。大丈夫でした。すごい大きな音がして怖かったけど。あとしばらく家の外に出られなくてつまんなかったのがヤだったの」


「そうか、しかし無事で何よりだな。レレルのところは少し被害が出たそうだよ」


「レレル? あ、そう言えば今日いなかった……。え、レレル、死んじゃったの?」


「いやいや、そこまで大袈裟なものじゃない。敷地の塀が少し壊れたくらいだそうだが、まだ少しバタバタしてるようだな」


「そっか、よかった。ルフね、象さん絵本でしか見たことないの。怖いけど、ちょっと見てみたかったかもしれない」


「今は王宮でちゃんと鎖に繋がれているそうだがな。あんな事もあったし、見物とはいかないだろう。かくいう私も数えるほどしかお目にかかったことはないなぁ」


「ローレン先生は?」


「……ん?」 


俺は不意に飛んできた質問にどきっとする。


「ええっと……、見たことは、あるよ」


「へえ、いいなあ」


「しかも最近だよな、ローレン」


「そ、そうですね……」


ダミアンがニヤニヤしながら顔をのぞいてくるので、俺は居心地悪く目線を逃す。それをルフリーネが不思議そうな顔で見上げていた。


やがてマドレーヌが人数分のカップをトレイに載せて運んできた。その中には来るかもしれないカイルの分も含まれていた。

やがて前門の脇にジスレッティ家からの迎えの馬車が止まり、すっかり普段通りに戻ったルフリーネは元気に手を振りながら屋敷を後にする。それでも、カイルはついに食堂に顔を出さなかった。


ダミアンが不思議そうに言う。


「ふむ、結局帰ってしまったのだろうか? おかしいな……」


「まあ案外気紛れなところがありますからね。そもそも俺に用があるって方が不自然だし」


「いや、確かに用件はあるはずなんだ。あの様子で気が変わって帰ったとは考えづらいのだが……」


「ご存知なんですか?」


「ん、ああ……」


ダミアンは少し逡巡した様子だったが、「どの道話の順序が変わるだけだから構わないか」と言って、ダミアンとカイルの間で交わされた会話を明かしてくれた。


俺は、あの日カイルに魔法を目撃されていたという自覚がなかったので驚いた。

だが場面を思い返してみれば、タイミング的には確かに怪しかったか……。


教室の生徒には、魔力量が人並み外れている事がバレないように――、というのがダミアンとの元々の約束ではあった。

しかし、あの状況で上からカイルが顔を覗かせるなどと予想もできなかったし、少年を助けないという選択肢もなかった。仮に周りに人が大勢いたとしても、俺は同じ行動を選択しただろう。

だから結論、仕方なかったと言うしかない。あるいはバレたのが身近な相手でまだよかったとも言えるかもしれない。


「ちょっと探してみます。なにか困ってるのかもしれないし」


「うむ。ルフリーネの例もあるしな」


「カイルがこけて泣いてる姿はさすがに想像できませんけど……」





俺は食堂を出て、自室へ向かう。

一応途中で応接間を覗いてみたが、アメリジットの姿も見当たらない。2人が喧嘩でもしているのではと思ったが、どうやら違ったらしい。


一度降りた階段を登り直し、二階の廊下突き当たりが俺の部屋だ。

だがさすがにカイルが扉の前で待っているという事もなかった。


本当に考えが変わって帰ってしまったのだろうか。

と、思いながら俺はポケットから鍵を取り出して、ドアノブに差しこみ右に回す。


「…………ん?」


しかし本来あるはずのカチャリという音がしない。

確かに朝部屋を出る時、鍵は閉めたはずだが――、


「あ、そうか。ルフリーネがこけた時、急いでたから閉め忘れてたのか……」


そう気づいて、俺はノブを捻り扉を押し開く。

部屋の中はさっき一度入った時と同じ、特に変わった事はないように見える。


だが、その時俺は妙な違和感を抱いた。

いつもとは何かが違う、自分がいない間に誰かがここにいたという漠然とした気配を。


俺は記憶とすり合わせながら、違和感の正体を探した。

家具の配置は変わっていない。窓も閉まったままだし、ベッドも朝抜け出した時のままだ。一応壁と家具の隙間などを覗いてみるが、誰かが隠れているなんて事もない。

なのに、何かが俺の胸をざわつかせるのだ。とても大事な何かが失われてしまったような、そんな感覚――。





「――――え」





違和感の正体に気づいた時、俺は思わず声を漏らした。


仕事机の上に重ねられていたはずの、研究資料がごっそりとなくなっていたのだ。







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