第12話 家主、帰還
結局、次の日に予定されていた魔術教室は暴れ象騒動の煽りをうけて休講となった。
伝え聞いた話だと我が魔術教室の生徒で実質的な被害を受けた者はいなかったそうだが、王都全体として見れば、軽微な被害を負った国民は少なからずいる。
街には迅速な修繕の手が入っているが、状況を鑑みてしばらくは見送った方がいいだろうというのがマドレーヌの判断だった。
なので例の本については、まだカイルに返すことができていないままである。
○
さらに、2日後――――。
「うわ」
俺が食堂に顔を出すと、テーブルに突っ伏している紅い毛玉が目に入る。
一瞬、妖怪かなにかかと思うがそんな訳もなく、すぐにテーブルに頭から突っ伏しているダミアンだと気づいた。
「おぉ……、ローレンじゃないか……。すまんな、帰って早々こんな情けないありさまで」
「いえいえ、護衛任務お疲れ様でした。二日酔いですか?」
「うむ……、頭がぐわんぐわんしてどうにかなりそうだ……。すまんが、誰かに言って温かい飲み物を持ってくるように……、おえ」
「ああ、はいはい」
俺は給仕係を探しながら、デジャヴだなと思いつつ再び机に突っ伏すダミアンを見やる。
ナラザリオ邸で夕食をともにした時も、翌日彼女はお酒を飲み過ぎて気分が悪くなっていた。
しかし今回二日酔いになっているのは、彼女が好んで酒を飲んだからではないようだった。
昨日の真夜中――、予定よりも半日遅れてダミアンは屋敷へ帰還した。
ちょうど研究作業のために起きていた俺は玄関で彼女を出迎えたが、足取りのおぼつかない彼女は不機嫌そうに「寝る」とだけ言って、ただいまも言わないままに自室へ入って行ってしまった。
マドレーヌがそれを見て「あれはヤケ酒をあおった時のお顔ですわね」と言ったのが印象的だった。
「どうぞ」
ダミアンの目の前に温かい飲み物の入ったカップを置くと、彼女は両手で包み込むようにしながらそれに口をつける。
「ああ……、染みる……」
「もうしばらく部屋で休んできたらいかがですか」
「……うむ、しかし横になっていても気分が悪くてどうにもな。
ああ、そうだ……。王都で騒動があったことは護衛中にも耳に入っていたよ、大変だったようだな」
ぎくっ。
「――ん? なんだそのギクッとした表情は」
「い、いえ、そんな顔してませんよ。それよりダミアン様こそどうして護衛任務でベロベロになって帰ってきたんです。詳しく聞かせてくださいよ」
「話の誤魔化し方が下手くそだな、君は……。まあいい、詳しくはあとでマドレーヌに聞くとしよう」
「うぐ」
「――それで、護衛任務の話だったか。そうだな、では頭痛を紛らわすためにも少し愚痴に付き合ってもらおうか」
「愚痴……、ですか?」
ダミアンはそれに小さく頷いてから、昨日までのことを思い出すように視線を左上に動かした。
「王族の護衛任務にあたっていたことは確か言ったな?」
「ええ」
「今回護衛したのは王家第三王子なのだが、これがなかなかのバカ王子でな。今回の任務も辺境の視察というのは名ばかりのものだったのだよ」
「……第三王子の評判があまりよくないというのは噂として聞いたことはありますが、バカ王子ですか……。では王子の目的はなんだったんです?」
「女買いだ」
「お、おんな……。
それが名目上は視察となっている訳ですか……」
「国民には口が裂けても言えない事実だ。遠征費も、気に入った女を連れ帰って囲う金も、辿ればすべて税金だからな」
どの国にもそういった問題児はいるものなんだな……、と俺は暴れ象騒動の原因たる隣国の王子についても思い出す。
シャローズはおてんばでこそあったものの、根っこの部分は国民のことを考えるよき王女だったし、良識もあった。しかし王室という非日常的空間では、むしろシャローズのようなまともな人格を有する方が珍しいのかもしれない。
「だから元より言っていたのだ、護衛任務などろくなものではないと。
実際、仕事といえば行く先々で起こる粗相の火消と、まだまだ足りないから別の街に行くぞと言い出す王子をなだめる事だったよ……。まったく、色狂いもあそこまでいくと感心させられる」
「それはなんとも、ご一緒したくない遠征ですね……。しかしそれでも、ダミアン様がこんな有様になった理由にはなってないような気がしますけど?」
「昨日の夕、王都から西に見た宿場町で食事をとった。その時点で予定よりも遅れていたのですぐに帰るように促したのだがな、すでに酒の入っていた王子に強く反発されたのだ。そしてこう言ってきた――。『ならばお前が俺の横に来て満足をさせろ』とな」
「なっ……」
俺が思わず彼女を見ると、ダミアンは不快そうに眉をひそめ、首を振った。
「私は騎士ではなく魔術師だがな、それでも今の地位には誇りを持っている。いかに王族の頼みとはいえ娼婦まがいのことはしないさ。もしそんな羽目になったとしたら、私は舌を噛んで死ぬ。
しかしさすがにただ嫌では通らないので、せめて酒には付き合ってやったのだ。
そして、王子が眠いから帰ると言い出すまで飲み比べに、半ばヤケで付き合っていたらこの有様というわけだ。ヤケ酒で悪酔い、そして二日酔い……、最悪だよ」
「そういう訳ですか……。お疲れ様です」
俺は素直に気の毒だと思いながらも、反面少し安堵した。
自分が世話になっている相手が、王族とはいえ会ったこともない相手にいいようにされている様を想像するのはさすがにごめん被る――。
が、しかし俺とて、見た目はいざ知らず心まで思春期の男の子ではない。
貴族社会でさも当たり前かのように行われる情事や汚れた金というのは、辺境の一貴族だったとしても全くの無縁ではいられない。前の世界でもフィクション、ノンフィクション問わず数多く見聞きしてきた分もある。
金と地位と権力と欲望の螺旋は、どろどろと絡み合って分かち難く、救い難い。たとえ世界線を隔てても――。
願わくば、貴族の名を棄てた今の俺は、そうしたものとは縁を切ったと思いたい。
「お目覚めになられましたの」
まだまだ出てくる今回の遠征の愚痴を聞いていた途中、一仕事終えた風のマドレーヌが食堂へ入ってきた。
「おお……、マドレーヌか。挨拶が遅くなったな、帰ったぞ」
「ええ、おかえりなさいませ。しかしまたもローレン様にみっともないお姿を晒しておられるのは感心できませんわね」
「む、固いことを言うな……。以前ならいざ知らず、今のローレンはもはや身内のようなものだ。別に構わんだろう、なあローレン」
「ええ、俺は別に気にしませんが」
「そうやって油断していると、呆れてお屋敷を出て行ってしまうかもしれませんわよ」
マドレーヌのいつもながらのトゲのある苦言に、ぐったりしていたダミアンがばっと飛び起きる。そして口をへの字に曲げて俺を睨んだ。
「――なにっ、出ていくつもりなのかローレン!!」
「いやいや、俺がダミアン様になんの筋も通さずに、この屋敷を出ていけるわけないじゃないですか」
「そ、そうだな! 君はそういう男だと信じているぞ」
「わかりませんわよ。ローレン様とて若い男性ですもの、よそに恋人でもできればどうなることやら」
「こここ、恋人ができたのか、ローレン!?」
「マドレーヌさん、ちょっとやめてあげてくれませんかね!」
「あら、これからが面白いところですのに……。まあ、弱っている主人をからかいすぎるのもよくありませんわね。
ところでローレン様、魔術教室がしばらくお休みになることはもうお伝えになられましたの?」
もう少しからかい足りなそうなマドレーヌだったが、ふと目線を俺に移して尋ねる。
「あっ、いえ……、まだです」
「なんですの、そんなギクっとしたような表情…………。
ええ、ええ、そうでした。忘れておりましたわ。ダミアン様に叱っていただかなければいけないのでしたわね」
「しまった。忘れてたのか……」
「おお、象騒動の件だろう? たしかにマドレーヌに話を聞かなければと思っていたんだ、ローレンには何か後ろめたいことがあるようだなぁ?」
「聞いてくださいませ、ダミアン様。ローレン様ったらひどいんですのよ?」
「あ、あはは……」
俺は一昨日の騒動の成り行きが報告される様子を、叱られるのがわかっている子供のように待ちながら、今日はいつにも増してノリノリだなあとマドレーヌの横顔を見やる。
なんだかんだ言いつつ、彼女も主が帰ってきたことが嬉しいに違いない。きっと他の使用人たちも同様だろう。
主人の帰還によってあるべき明るい雰囲気が屋敷に満ち、他ならぬ俺もそれを嬉しく思っていることに気が付いた。
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