第7話 お手並み拝見


「やっぱり剣は持たないのね」


模擬刀を軽く振りながら、シャローズが階段を降りてきた俺を迎える。


「……本当にやるんですか?」


「そうよ? 初対面で仲良くなるにはこれが一番でしょう?」


「残念ながら俺はそういう文化とは無縁だったので」


「あら、そうなの? あのダミアンと接戦を演じて見せたと聞いているけれど」


「いやぁ、それは……」


俺はあの手合わせの事を何と説明すればいいものか分からず、頭を掻いた。


改めて考えると俺が経験した手合わせと呼べるものはダミアンが最初で最後だ。

殺し屋襲撃事件を勘定に入れるわけにもいかず、魔術教室で生徒たちとも手合わせはしない。

するとこれが俺の人生で二回目の手合わせとなり、さらに恐ろしいことには一人が王都最高魔術師、二人目が王女という戦歴になる……。どういう戦歴だとツッコミを入れたくなった。


マドレーヌが俺の耳元に寄ってきて囁いた。


「ローレン様には、シャローズ様が満足されるまで適当にあしらって頂かねばなりませんので申し上げますが」


「言い方」


「シャローズ様は魔術方面にも精通されておられますが、特筆すべきはその剣技および身のこなしでございます。幼い頃から騎士団総長様の手厚い指導を受けていた事と、生まれ持っての身体能力が相まって、王都騎士団でも全く見劣りしないほどの実力の持ち主でいらっしゃいます」


「そ、そんな実力者なんですか? まずいじゃないですか……!」


「ご安心ください。それでもダミアン様の方が3倍は上手ですので。

ただ開幕一手目で後手に回ると、ローレン様と言えど不利になるかもしれないと思い、念のため」


「なんだかマドレーヌさんまで俺を過大評価している気がするんですよね……。本当に、万一の事があったら、俺責任取れませんからね?」


「私が声をかければそこで試合は終了です。もう少し気楽にお考えいただいてよろしいと思いますわ。

それに言ったでしょう。シャローズ様の身体能力は騎士団員も顔負け、こと危機回避能力については騎士団総長様の折り紙付きなのですわ」


「危機回避能力……?」


マドレーヌは俺の問い返しに無言で頷いた。


「……ねえ、そろそろいいんじゃないかしら」


見れば待ちくたびれたようにシャローズがこちらを眺めていた。

俺は諦めの吐息をもらして向かい合う。


「……分かりました。ただ、手合わせはこれっきりにしていただきたいと思います。アンコールは無しでお願いします」


「うん。それでいいわ」


「じゃあ、マドレーヌさん」


「かしこまりましたわ」


マドレーヌが居住まいをただす。

少しの間の後、マドレーヌの右手が掲げられ、そして振り下ろされた。


「はじめ――――」





「ぎゃはははははは」という下卑た笑い声が前を走る馬車から聞こえてきて、私は眉をひそめた。更にそれにかぶさる甲高い嬌声に近い声。


「ベルナール殿、すまないが窓を閉めてもよいかな」


私は耐え切れずに、同乗人に声をかける。


「……奇遇だな。私も今同じことを言おうとしていた」


目の前に座る体躯の大きな男が、目をつむり腕を組んだままに頷いた。

騎士団長の一人、ベルナール・バーミリオン――。普段寡黙に任務にあたる彼も、さすがに今回の護衛には辟易しているらしかった。

私は窓を閉め、ため息混じりに言う。


「全くバカ王子のお守りも楽ではないな。まさか遠出の目的が女を買う為だとは、さすがに思わなかったよ」


「一応の名目が辺境の視察となっている以上、護衛をつけないわけにもいかない。しかしダミアン殿まで駆り出すほどの用事ではなかったのは確かだ。申し訳ない」


「別にあなたが謝る必要はない。一応にも国王に仕える身として、王子から指名を受けては仕方がないと諦めている」


「ダミアン殿を指名をした理由が察せられるのがまた溜息ものなのだ」


「…………」


私は馬車前方の小窓から改めて、第三王子が乗っている馬車に目線を向けた。

無駄に豪奢な造りの馬車は、明らかに馬に引かれているのとは別の理由で大きく揺れている。

それを見れば確かにため息が漏れ出てしまうのだが、それでも4日の旅程は先ほど折り返しを迎え、今は再び王都への帰路へとついている最中だった。


あと一日、道中の宿で寝れば王都に着く。

それだけがせめてもの救いであった。


王家第三王子レクサミー・M・バーウィッチ。

文武両道な第一王子と、跡目争いに興味のない第二王子を兄に持つレクサミーは、国民にも知れ渡るほどの道楽者だった。

魔術や剣術の方面で芳しい才能を見せることが出来なかった彼は、18を境に酒と賭け事と女にのめりこみ、人格に難ありと王宮内での評判も悪い。

しかし本人にはそれを気にかけて自重する素振りはない。今年21になろうかというレクサミーは、今もこうして王子という身分を利用してやりたい放題である。


「まったく、シャローズとはえらい違いだな……」


私は思わず王都を思いそう呟く。

するとベルナールがわずかに薄目を開け、私の呟きを拾い上げた。


「そう言えばダミアン殿はシャローズ様と昔から仲が良いと聞いている」


「ああ、幼少の頃、彼女の魔術指南を任されていたこともあってな」


「訓練場にも時折顔を出されるよ。ダミアン殿の教えがよかったのか、王女でさえなければ騎士団に勧誘したいほどの実力だ。しかもまだまだ伸び盛りときている」


「私の教えじゃない、あれは元々の素質だよ。もはや何もせずとも優秀な王女として育ってくれるだろう」


「……願わくば、よくない手本の影響を受けて欲しくないものだがな」


ベルナールが顎をしゃくって、レクサミーの馬車を指す。

私はそれに対して深く頷いた。


「まったく。本当に、まったくだ」





「はじめ――――」


その掛け声とともに、目の前に立っていたはずのシャローズが消えた。

と思った次の瞬間、右方向から足音がして俺は急ぎそちらに目線を向ける。そこには屋敷の壁を横向きに蹴って飛び跳ねているシャローズがいた。


なるほど、マドレーヌが開幕一手目に気を付けろと言っていたのはこれか――。

俺は忠告をもらいながら、それでも油断していた自分を省みる。

その身のこなしはもはや曲芸、こんなアクロバティックな乱戦に持ち込まれたら俺に太刀打ちする術はない。


俺は模擬刀を振りかぶりながら急接近するシャローズに向けて右手を伸ばし、袖口に仕込んだ杖に魔力を流して、野球ボール大の水球を6つほど生成した。


まずひとつ、シャローズに向けて水魔法を放つ。

しかしこれは彼女の残像をとらえるのみだった。彼女の動きは早送りでもしているかのように俊敏でトリッキーだ。


俺はすかさず2つの水の弾丸を放つ。今度は先ほどのものよりも動きを先読みした場所に向けられているので、彼女の体のどこかにはヒットするはず――、と思ったがまたも外れ。

しかし今度回避されてしまった理由は彼女の俊敏さではなく、魔法によるものだった。

彼女の体は透明な段差でも踏んだように宙に弧を描いて飛んだのだ。


「――――!?」


シャローズは驚く俺を見下ろしながら、空中でさらに一回、方向転換する。

その時、足元にわずかな空気の揺らぎが見え、俺は何が起きているのかを悟った。


「なるほど、光魔法か……!」


「あら、もうバレちゃったの?」


少し悔しげな表情を浮かべながらも、あるはずのない足場を蹴って迫り来るシャローズ。

その剣は今にも俺を間合いに収めようとしている――。


「――――」


俺は水の球ではとらえきれないと判断し、用意していた3つの水の球を魔素に還元して両手を勢いよく振り上げる。


彼女の顎を狙って間欠泉のように水が噴き上がった。


「!!」


今度驚いたのはシャローズの方である。

目の前に水の壁が生じた形の彼女は、慌てて光魔法で足場を作り、後ろ回転しながらすんでのところで回避する。


あの体勢から躱すだなんてもはや人間業じゃないなと、俺はあきれ半分関心半分で彼女を見やる。

後ろに跳ねて俺と距離をとりなおしたシャローズは、地面に足をつき、一度体についた埃を払っていた。


「……マドレーヌ」


「なんでございましょう」


「もしかして今、避けてなかったら一本で試合終了だったのかしら」


「さようでございますわね。私も手を振り上げかけたくらいですわ」


「危ないところじゃない……」


シャローズは口を結び、キッと目線を前に向ける。

そして今度は俺に呼びかけてきた。


「ねえ、ローレン」


「はい」


「あなたが撃ったさっきの水魔法、なんだか普通と違う気がしたんだけど何故かしら」


「普通と違う、ですか? そんなに変わった事はしていないつもりですが」


「見た目上はね。でもなんというのかしら、魔力の密度? 迫ってきたときの圧迫感? それが普通じゃなかった気がするの」


「…………」


俺は内心ぎくりとするが、それを表情には出さない。


今俺がシャローズに明かせる手の内は水魔法のみで、氷魔法、光魔法を使うわけにはいかない。加えて魔力量が露呈するのも出来れば避けたいところだ。

たとえマドレーヌがボロを出しても問題ないと言ったとしても、進んで手の内を明かしていい理由にはならない。


と、言うのは簡単。しかしこれにはダミアンの時とは違い、縛りプレイをしているようなせせこましさがあった。ゆえに俺はいささかの工夫をしていた。

魔力を質量ではなく密度に返還するよう意識し、魔法を撃っているのだ。それは魔法の発動速度や威力に直結するが、見た目からでは変化は分かりづらいはずだと思ったからである。


もし――、シャローズが今の一合でそのことを感じ取ったのだとすれば恐ろしい。

しかも魔法を受けたわけではなく、あくまで感覚でそれを察知している。

獣か何かなのだろうか、あの王女は。


「ダミアンと手合わせをするときの感覚とちょっと似てる……。やっぱりダミアンの評価は間違いじゃなかったんだわ」


「その結論は性急だと思いますが……。まあ、もし今ので納得いただけたら俺としては別に助かりますけど……」


「それとこれとは話が別よ。勝負は勝ち負けがわかるまでやるものだもの。さ、再開しましょう。言っておくけどわざと負けようとしたら駄目だからね」


「……はぁ、分かりました」


「その時は打ち首だから」


「あなたが言うと洒落になりませんよ!?」


シャローズが再び剣を構え、俺も足に力を込める。

しかし今度は彼女から飛びかかってくる様子はなく、俺の一手を待っているようだ。もしくはじっと観察をしているのか。


ならば望み通りこちらから仕掛けてみるのもいいだろう。

欲を言えば、今の俺の光魔法が実践に耐えうるかを確かめてみたいとも思ったが、さきほどのシャローズのアクロバティックな魔法を見たあとだとそんな気も失せる。

あの丁々発止の中、瞬間的に任意の場所に足場を生成するのは、素人目に見ても上級技法だ。そこには光魔法における経験値の差が端的に現れていた。


俺は素直に水魔法のみで彼女に対抗することを決め、魔力を込める。


生成したのは円盤状に回転する水の刃。水の球の回転を極端に強めると遠心力によって自然と球は薄くなる。

あとはまとまりを保ったまま勢いよく放てば、樹の皮をえぐるくらいの威力が生まれるのだ。うまく剣で受けてくれればいいが――、そう思いながら俺は3つの円盤を別々の軌道で放つ。


シャローズは俺の発動した魔法を見てから、前方に光の壁を展開した。しかしシャローズの魔法属性を知った俺はそれくらいは織り込み済み、放った円盤は壁を迂回するように左側面、上部、右側面から弧を描いてシャローズに迫った。

感覚的には川の水面で水切りをしたり、フリスビーを投げたりするのに近い。


シャローズは回転する水の刃が想定外の動きを見せたので、瞬時に光魔法を展開する方向を変えた。

しかし別々の方向から迫り来るものを全て同時に防ぐのは難しい。二つの円盤は光の壁にぶつかって霧散したが、右側面から迫る円盤だけはシャローズの懐に潜り込んだ。


当たればたやすく皮膚をえぐるだろう円盤の行方を、俺は半分冷や冷やしながら見ていたが、シャローズはその場で飛び上がって躱すと右手に持った剣で円盤を斬り下ろした。

その様子はまるで映画の中の殺陣でも見ているかのような優美さで、俺は思わず「お見事」と称賛の呟きを漏らす。


しかし、残念ながらそれで終わりとはいかない。


「――――!?」


シャローズはその異変に気づき、驚きの表情を浮かべた。

叩き切ったはずの円盤の回転速度が鋼の剣とぶつかってもなお衰えなかったからである。まるで鋼と鋼がぶつかったようなギャリンという音が上がり、円盤が水しぶきとなって飛散、同時にシャローズの持っていた剣も庭の生垣に吹き飛んだ。


「――よし」


俺は意図した通りにことが運んで心の中でガッツポーズをする。

これはさすがのシャローズも予想外だろう、その隙に一本を奪う。俺はいまだ宙に浮かぶシャローズを目標に、とどめの水の球を生成した。


――――しかし、今度は俺にとって想定外なことが起こる。


「ふんっ!!」


シャローズが体を縦回転させたかと思うと、勢いよく地面を蹴って俺目掛けて全力疾走をしてきたのである。

不規則な弾道を描いた水の刃をよけつつ、さらには持っていた剣を弾き飛ばされた、0コンマ数秒後に人間はそんな動きができるものだろうか。剣がないなら素手で肉迫すればいい――、その結論を叩き出すまでの速度と、決断した後の身のこなしが常人のそれではない。


ともかく、俺は用意していた水魔法の弾道の修正をしなければならなくなった。

だが俺の判断速度はシャローズに比べればあまりに緩慢だ、彼女から見れば俺の動きの淀みこそ明確な隙となる。


地面を左右に蹴り、ジグザグと機敏に動きながらシャローズは俺に迫る。右拳を握っているところを見ると、彼女はもはや普通に俺を殴ろうとしているのか。

俺は弾道など選定している場合ではないと、瞬時に生み出せるだけの水球を生成し、ただ前方に放射した。


しかしシャローズは無数の水の弾丸をこともなげに躱してみせる。

俺とシャローズの距離はもはや一足で届くほどの距離になり、彼女は最後に一度強く――――、はずだった。





「――――えっ」





しかし次の瞬間、彼女の足裏はあるべき摩擦を見失い、踏ん張りが効かず派手に背中から転倒する。

シャローズは地面に叩きつけられたあと、空を上方に仰ぎながら、驚きに目をぱちくりさせた。


俺はその隙に彼女に歩み寄り、手に水魔法の刃をまとわせてシャローズの首元に向ける。そして安どの吐息を漏らしながら横に目を向けると、マドレーヌは小さく微笑んだのち、「一本」と言ったのだった。


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