第30話 割れる水晶


「なっ、どうしたんだい、ロニー! やっと遊びに来てくれたと思ったら、どういう有様だいそりゃあ! 実験の途中で爆発でもしたの……!?」


当たらずとも遠からずな事を言いながら、セイリュウはやかましく飛ぶ。

寝て起きてみたら目の前に血まみれの俺がいるんだから当然なのだが。


「…………お、襲、われたんだ……。まだ、外にいる……」


俺は口も回らないながらに、絞り出すように言った。


「お、襲われた!? 外にいるって、だれが………………、ちょっと待ってロニー、背中のその傷、血が尋常じゃないって! 嘘だろなんだこれ……!?」


「……わ、分かってる……。あんまり耳元で叫ぶな、頭が割れそうだ…………」


俺は未だぐわんぐわんと揺れる視界に、込み上がる嘔吐感を必死にこらえていた。

気を抜けば顔から崩れ落ちてしまいそうなところを、すんでのところで踏みとどまる。


「久しぶりなのにすまんが……、お、お前と話している時間がないんだ……。はやく、逃げないと……」


俺はそう言って再び祠の入り口に向かおうとするが、セイリュウは驚いた様子で引き留めた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! こんな状態の君を行かせられない! 早く血を止めないと本当に冗談じゃなく死んじゃうよ!!」


「そう、したいのは山々だが、杖ももうないし…………、げほ、言ったろ、もうすぐそこまで来ているかもしれないんだ……」


「来てるって、だから誰がさ!!」




「――――ん? 誰かと話しているような声が聞こえたが、気のせいだったか……?」




俺とセイリュウは声のした方向を見る。

そこには夕焼け空をバックにした人影が立っており、じっとこちらを見つめていた。


「………………くそ、早すぎるだろ……」


「さっきのには驚いたぜロニー。だがせっかく逃げるチャンスを作ったにしちゃあ、肝心の隠れた場所が0点だな。丘の下にでも逃れられてたらちょっと困ってたが」


マーチェスがそう言いながら剣の握りを強めるのが見えた。

立ち姿からしても、先ほどまでの怠惰そうな素振りが消えているのが分かる。万が一俺が魔法を発動しても避けられるよう、一定以上はこちらへ近づいていないのもその証拠だった。


セイリュウはその人影に口をあんぐりと開け、俺の方を振り向いた。


「ロ、ロニー、もしかしてこいつがキミにこんな事を……!?」


「……そ、そうだ。まあこの背中の傷は、厳密に言うとこいつじゃないんだが……」


「ど、どゆこと!?」


「……? やっぱり誰かいんのか?」


俺がセイリュウの問いに答えていると、距離を保ちながらマーチェスが不審げに祠の中を覗き込んでくる。恐らくマーチェスがからは中が良く見えないのだろう。もう夕日はほとんど地平線に身をうずめて、辺りは夜がにわかに勢力を増しつつある。まあ昼間だったとしても、恐らくセイリュウの姿は俺以外には見えないのだが。


「――ふん、誰かがいたとしても別にいい事だ。一緒に死ね」


僅かに首を左右に振ったマーチェスは、剣先を祠の入り口に向ける。

俺の生命線たる杖がまたしても失われたことを恐らく知らない彼は、俺の魔法を最大限警戒した動きを見せている。

だが仮に杖を持っていたとしても、今のまるで狭い通路にでも押し込まれたかのような状態は不利以外の何物でもなかったろう。


袋のネズミ――、そんな言葉が脳裏をよぎる。

「あばよ」


マーチェスがそう告げ、剣先が暗くなった草原の上でわずかに光る。


「――――」


だが全身に力を込めても、恐れていた衝撃は来ない。

俺は不思議に思い、ふと顔を上げた。


その瞬間、異変に気付く。


「――――ぐ、ぅっ……!?」


息を吸い込んだ瞬間、視界が一挙に黒ずんだのだ。

苦しいと思ってさらに息を吸っても、それはますます悪化する。呼吸をしているのに息苦しい。


口に手を当てようと思っても手が動かない。まるで自分の体が石にでもなったかのように動かず、次に痛烈な頭痛と吐き気に見舞われた。湧き上がる嘔吐感のままに俺は地面に胃の内容物を吐しゃするが、ひどい耳鳴りでその音も聞こえない。


キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ――――――…………


と際限なく加速する金切り音が脳内を支配し、急激に意識が遠のいていった。


「――――――――!! ――――――――!!」


微かに見える黒ずんだ視界の向こうで、セイリュウが何やら叫んでいるのが見える。だが、何と言っているかはもはや分からない。

逃げろ、だろうか。だが俺はもはや手の指さえ動かすことが出来ない。

先ほどは腹の中から湧き上がっていた生きたいという気持ち、そして怒りがまだ俺の中にくすぶっていたが、どうしようもない諦めの感情がそれを黒く塗りつぶそうとしていた。


俺は遠のく意識の中で、ここを死に場所にしてしまってセイリュウに申し訳ないと思った。

本当は、ここ数日にあった驚くべき多くの事を話してやろうと、内心ワクワクしながら訪れたはずなのに。


それがどうして、こんなことになってしまったのだろう。

前触れが何かあったのだろうか。全てが徐々に前進していると思っていた一か月で、俺は何か誤ったことをしただろうか。


「――――」


思いつかない。


思いつかないのだから、


もう後悔のしようもなく、



俺は黒い意識の底に沈んでいった――――。





「え」


私は店の窓から見えたまばゆい光に、思わず目をこすった。

だが見直してみると先ほど見た光はもう消えており、元の夜の空に戻っている。


「おかみさん、どうかしたか?」


客の一人が声を上げた私に尋ねる。


「あんたら見なかったかい? 今丘の方で何かが光ったのを」


「光?」


「ああ、確かに窓の外がチカッと光ったな。丘の方からか? しかし丘の上には祠以外、何もないだろ」


「流れ星か何かの見間違いじゃねえのか」


私はそう言われて、もう一度窓の外を目をやる。


「…………いや、そんな感じじゃあ、なかったと思ったけど……」


しかし自分でそう言いながらも、明確に何だったか分からないのでそんな言い方になってしまう。やはり何かの見間違いだったのだろうか。


「精霊様の光だったりしてな」


一人がそんなことを冗談めかして言う。

すると周りからも朗らかな笑いが起きた。


「ははは、そりゃあすげえ。おかみさん、なにかの吉兆かもしれねえぞ?」


「そうさ。こうして美味い酒が飲めているのも、精霊様が水を生み出してくれたからなんだから」


「おっ、じゃあ精霊様に乾杯と行くか? おかみさんおかわり!!」


「――全く、なんでもかんでも酒を飲む理由にしちまうんだからね。はいはい」


私は飲んだくれ達に急かされながら、また注文を取りにカウンターへと戻った。

丘の上の光の事は、すぐに忘れてしまった。





「――――――――」


どれくらい時間がたったのか、もはや分からない。

だけれど俺は、真っ暗な林道を頼りない足取りで歩いていた。


目が覚めたのは20分ほど前、丘の上の草原である。

体が水に濡れて冷える感覚があり俺は瞼を開けた。

そしてすぐに、マーチェスの魔法によって自分が祠の中で息が出来なくなり、意識を失ったはずだと思い出した。


だが目が覚めてみると目の前にマーチェスはおらず、どころかそこは祠でさえなかった。正確には、俺は祠だったはずの場所で目が覚めた――、というべきだろうか。


目覚めた俺の前に残っていたのは無残に崩れた瓦礫のみで、暗くて判然とはしないが丘の上のいたるところに岩石片が転がっているらしく、しかも丘全体が土砂降りが降ったように水浸しだ。

俺が意識を失った後何かが起こった事は明白だが、状況からは詳しいことがまるで分からない。


俺はしばらく当たりを四つん這いでうろうろとすることになった。


結果、暫定的にわかったことが3つある。

まずはマーチェス、スピンとバーズビー、加えてジェイルの姿が消えていたこと。

これに関してはまったく理由は分からないが、死体も見当たらないことから考えれば、何らかの理由で撤退したと考えるべきだろう。


次に、祠が跡形もなく崩れ去り、その中には水晶の欠片らしいものも含まれていたこと。記憶では確かに言葉を交わしたはずのセイリュウの姿はどこにもなく、どれだけ声を上げても返事は返ってこなかった。

精霊の祠と精霊の水晶が粉々になった――、それは本来大事件であるはずだった。

だが俺は、ただただセイリュウがいなくなってしまったのではないかという事のみにショックを受けた。

思わず水晶の欠片をひとつポケットに入れた。


最後に、背中の傷が完治とまではいかなくとも薄皮が張り、血が完全に止まっていたこと。

加えて呼吸困難に陥って気を失っていた後遺症も感じられず、俺は記憶と自分の今の体の状態の齟齬に首を傾げざるを得なかった。


しかし、どれだけ訳が分からなかろうといつまでも丘の上でうろうろとしている訳にはいかない。

俺はなぜかやや回復している体を叩き起し、ナラザリオ邸へと戻る長い道を下っていた。回復をしているとは言っても失った血はいかんともしがたく、意識はひどく朦朧としている。正直今にも道の真ん中に倒れこんでしまいたい衝動に駆られた。


俺を突き動かすのは、とにかく屋敷のみんなの安否を確認しなければという思いのみだった。




俺は意識を正常に保つにはあまりにも長すぎる道のりを抜け、ようやく屋敷を視界にとらえた。


「――――」


瞬間、喉から嫌な音が漏れる。


正門には頼りない明かりが灯っているのみだが、この時点で明らかな異変が見て取れた。

外壁、門柱、屋敷の前の道に、屋敷を出た時にはなかった傷跡が刻まれているのである。ところどころに穴が開き、レンガ造りの塀が一部倒壊している。剣でつけたような跡もあるが、ほとんどは水魔法によるものらしかった。


やはり、マーチェスは丘に現れるよりも先に、この屋敷を襲ったのだ。

俺はまず一つ嫌な予感が当たったことに歯噛みしながら、早足で門をくぐり屋敷の敷地内に入る。


庭園の生垣も見る影もなくズタズタだ。

石畳に砲弾でも落ちたように穴が開いている。

優雅に水を噴き上げていた噴水も瓦礫と化している。

何よりも見過ごせないのは、ところどころに人の血の跡と思しきものが地面に落ちている事だ。

そこからは怪我を負った誰かが屋敷へ逃げようとしたことがうかがい取れた。


「……っ……!」


一歩進むごとに心臓が不規則な音を立て、俺はやがて耐え切れずに駆けだす。


幸いと言うべきなのかいまだ倒れている人の姿は見つからない。

屋敷の者が無残に皆殺しになっているという最悪の想像にはまだ希望が残されている。だが屋敷へ近づくほど血の跡は濃くなっているように見える。


俺はただひたすらに、無事でいてくれと祈りながら走った。


走ると塞がったキズの奥が否応なしに痛む。

全身に蓄積した疲労が、俺のバッテリーがいよいよ切れかかっていることを告げていた。だがここまできて倒れるわけにはいかない。

保ってくれ。せめて誰か1人、無事な顔を見させてくれ。


俺はもたつく手で、正面玄関の扉を押し開いた。


「――だ、誰かいるか……っ!」


しかし――、急ぎ扉を開いた屋敷の中も灯りがわずかに灯るばかりで人の姿はない。

がらんどうのホールに俺の声のみがこだまし、返ってくる言葉はない。


「――――!」


廊下や屋敷内の壁に、外と同様の水魔法と剣によってつけられただろう傷跡がそこかしこに残っているのに気が付いた。


俺は血の気が引く。

見慣れた屋敷はまるで出来の悪いホラーゲームのように様変わりしており、シャンデリアが床に落ちてとびちり、花瓶は割れ、絵画は切り裂かれ、そのそれぞれに赤黒い血が飛び散っていた。


あの男は屋敷の中にまで入ってきた――――。


立ちくらみに襲われて俺はあわてて扉の縁に捕まった。

激しい動悸と息切れが去来する。

何よりも不安を掻き立てるのは、こんな惨状だと言うのにいまだ誰の姿も見えないことだ。


お願いだから、誰でもいいから、無事な姿を見せてくれ。

ここで何が起こったのか、皆がどうなったのかを教えてくれ。


誰も死んでいないと言ってくれ――。



――ガチャ。



「!」


不安で押しつぶされそうに玄関先に俺が立ちすくんでいると、ふと横から扉が開く音がして、俺は驚きとともにそちらを振り向いた。


「………………」


扉を開いた主は無言で恐る恐ると言う風に様子を窺っている。

徐々にすきまを広げ、やがて俺と目が合った。


ドアノブを握っているのはカーラだった。


「カ、カーラ……!! 無事だったんだな、よかった! ここで何が起きた! ヨハンは! お父様やお母様、他のみんなは無事なのか……!」


俺は安堵のあまり涙が出そうになりながら、カーラに駆け寄る。

扉の隙間から覗くカーラが頭に包帯を巻いているのが見えた。

カーラもあいつに襲われたのだ。それに対する怒りと、それでも無事でいてくれてよかったという安心が同時に胸に沸き起こる。


しかし、次の瞬間、


バタン!!


と、扉は痛烈に閉ざされた。

そして向こうからカーラの泣き叫ぶような声が響く。


「こ、こ、来ないでください……!! 誰か、誰か助けて……ッ!!」


「………………え……」


俺は行き場を失った手を伸ばしたまま、閉ざされた扉の前に立ちすくむ。


「カ、カーラ…………?」


「ひいっ……! も、もうやめてください……! お願いですから、こ、殺さないで……ッ!」


「こ、殺すって何言ってるんだ。大丈夫だ、もうあの男はいな―――――…………」



俺はそこまで言って、ようやく全てを理解するに至った。

それは確かに、あの男の言うとおりに少し考えれば分かる事だった。


何故、マーチェスが俺を殺す依頼を受けたのにかかわらずナラザリオ邸を襲撃したのか。そして、何故マーチェスは俺の顔に扮していたのか。

奴が保険をかけたと言っていた理由。

屋敷中についた水魔法の破壊の跡の理由。

カーラが俺の顔を見て叫んでいる理由。


閉ざされた扉の前で全てを理解して、俺は膝から崩れ落ちた。



しばらくはカーラの叫ぶ声が続いた。だが、もはや俺は放心状態で遠くにそれを聞いているような、不思議な感覚のまま時間だけが経過した。


やがて背後から甲冑の足音がした。

そして俺の首元に、鋼の剣の冷たい感覚が当てられる。


俺は振り向くことも出来ず、その場で床をただ見下ろしていた。


「……ドーソン様、この者ですね?」


俺の首に剣を突きつけている誰かが言う。

僅かな間の後に、まるで一か月前に戻ったような父のひどく冷たい声が聞こえた。



「――そうだ。慎重に身体検査をし、即刻地下牢に入れろ」



俺はやがて抱え上げられるように、地下への階段へと連れていかれた。

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