第20話 ダミアン・ハートレイ

祠を訪れた俺が屋敷へ帰ったのは、もう日がすっかり落ちた後だった。


精霊の手ほどきの元、水魔法をある程度思い通りに扱えるようになった俺は、生まれて初めての魔法疲れというものを感じながら自室の扉を開く。


すると、そこにはヨハンとカーラが待っていた。

ヨハンは椅子に座り、俺をにらみあげている。


「遅ぉい!! どこ行ってたの!!」


「……な、なんだ? 何か怒ってるのか?」


「怒ってなぁい!!」


「怒ってるじゃないか……」


俺は訳がわからぬまま横に立つカーラを見る。

カーラは申し訳なさそうに目を伏せて言った。


「す、すみません、ロニー様。

 実は、お昼のあの中庭の件が、ヨハン様にばれてしまいまして……」


「中庭の件って…………、ああ……」


突如として空中から大量の水が降ってきたあの事件のことだろう。

まだ自分がやったことだという確信が持てなかった俺は、逃げるように自室へ引き下がったのだ。カーラも同様に中庭を後にしたはずである。


「あれを兄様がやったっていうのは、本当なの?」


ヨハンが厳しく俺を睨み、鋭い語気で詰問する。


俺は一瞬今日のことを話していいものか逡巡した。

しかし、ここまで協力をしてもらっておいて、今さらヨハンやカーラに隠し事をする意味はない。精霊のことについてだけはややこしくなるだけなので割愛しなければいけないが。


俺は唾をひとつ飲み込んでから言った。


「――ああ、そうだ。あれはどうやら俺がやったことらしい」


「…………つまり、兄様は魔法を使えるようになったってこと……?」


「そうなるな。発動したのは偶然だったが、どうやらそれがこの樹の枝のおかげらしいということがさっき分かった」


俺はそう言ってポケットからプテリュクスの枝――、杖を取り出す。

そしてそれを疑いの目線をむける二人の前にかざし、魔力を込めた。


杖の先端が球状に発光する。

そして次の瞬間、野球ボール大の水の塊が宙に浮き回転しはじめた。


「ほわぁぁぁああ……」


カーラが目を輝かせてそれを見つめる。


肝心のヨハンはといえば、しばらく唇を強くかみしめていたが、やがて耐えきれないといったように――、俺の腹に飛びついてきた。


「ぐえっ」


衝撃で俺は後ろに倒れ、水の球が床にばしゃりと落ちる。


「よかった……! 兄様、よかったね……!!

これで、やっと……、やっと……」


ヨハンが俺の胸に顔をうずめて、嗚咽を漏らす。

俺は押し倒された体勢のまま弟の頭をなでた。


「…………なんだなんだ、魔法が使えなくても俺が好きだとか言ってなかったか?」


「ん。そ……、それとこれとは別問題でしょ……? それに、嬉しいのは僕なんかじゃなくて兄様本人のはずじゃないか……。兄様は嬉しくないの? だって、ずっと兄様は……」


「ああ、嬉しいよ。嬉しいとも。嬉しいに決まってるじゃないか。

だけどこれは単なる幸運じゃなくお前たちのおかげでもあるんだ。だから、嬉しいよりも先にありがとうと言わなければならないと思っていた」


「ぼ、僕たちのおかげって……?」


「魔法についての研究を思い立って、お前たちに協力を仰ぎながら色々なことがわかっただろう? それがなければ魔法が使えるようにはならなかった。

研究の結果、なるべくして俺は魔法が使えるようになった――。そういうことだ」


セイリュウがこの場にいたら「ボクのアドバイスも大きいと思うけどねえ!」とか言いそうだが、うるさいので脳内で黙らせておく。そもそもヨハンの提案がなければ、祠に行こうなどとは思わなかったはずなのだ。


「そうなんだ……、へへ、そっか」


ヨハンは納得したように笑い、鼻を俺の胸にこすりつけ顔を上げた。


「あ、お前、汚ね」


「ズズ、いやでもさ。今さっき見せてもらった水魔法は普通だったけど、中庭が水浸しになったあれはなんなの?」


「だいぶ大きさを調整できるようになったからだ。

何も考えずに魔法を使おうとすると、昼間のようなことになるらしい。その調整練習を今までして遅くなった。……まあまだ危なっかしい時もあるんだが」


「中庭が水浸しになる規模だよ? 

魔法の威力はその人の魔力量によって変わる……。ってことは、兄様はとんでもない魔力を隠し持ってたってこと?」


「というよりは、今までの十数年間の貯蓄分だろうな」


「あ、そういうことか……。いや、にしてもすっげ……。また見せてもらお。

ねえ兄様、お父様とお母様には報告に行くつもりなんでしょ?」


「ん? んん……、そうだな……。いずれはそのつもりだが……」


そう尋ねられて俺はセイリュウの言った『しかるべきタイミングで明かすべきだ』という言葉を思い出す。といっても俺自身まだピンと来てはいない。


そもそも俺は父と母にどうしてほしいのだろう。

魔法さえ使えればと思っていた期間が長すぎて、そこから先の本来の目的がよく分からなくなってしまっていた。


そう少し考えるそぶりをする俺を、ヨハンが手のひらでたたく。


「ならさ、ならさ! 僕にいい考えがあるんだけど!」


「いい考え?」


「ちょっと作戦会議しよ! カーラ、今日は兄様の部屋で食べるから食事用意してきて!」


「え、え、お二人とも、ここでですか……? 旦那様に怒られませんか……?」


「ちょっと多めに持ってきたら、カーラも食べていいから」


「すぐに持ってまいります」


突如ロボットのように表情を変えたカーラは、速やかに扉を開けて廊下へと消える。


何やらたくらみ顔をするヨハンに、あの精霊のにやけ面が重なった。

俺は小さく笑いをもらし、とにもかくにも作戦会議とやらが始まるのを待つことにしたのだった。








四日後――――。






「ダミアン・ハートレイだ。よろしく頼む」


「よ、よろしくお願いします」


「そう緊張するな。何も取って食おうというのではないのだから。敬語も不要だ」


「――わかった」


そう快活に笑いながらヨハンと握手をしているのは、王都から高名な魔術師として招かれた人物。

俺はてっきり年のいった男だと思っていたのだが、やってきたのは紅く長い髪に眉の凛々しい、若く美しい女性だった。


中庭には屋敷中の使用人たちが見物にやってきていた。

真ん中の一番見晴らしのいい席にドーソンとエリア。

その斜め後ろに取ってつけたように俺が座る。


斜め向こうのカーラに目線をやると鼻息荒く頷いているのが見えた。俺は短くうなずき返すと、中庭中央に悠然と立つ紅い髪の魔術師に視線を戻す。


ダミアン・ハートレイ。

こと魔術に関しては王都にも並ぶ者なく、王直属護衛騎士らの魔術指南を一手に引き受ける人物。

一人で一個師団を壊滅させたとか、魔法で天気を変えただとか、精霊が人間に姿を変えた人物なのだとかの噂には枚挙にいとまがなく、お世辞でなく我が国『マギア』の最高の魔術師と呼び声の高い人物――、と聞いている。


それが果たして、見る目20代ほどの女性だとは夢にも思わなかったが、そんな高名な魔術師が一伯爵家にわざわざ招かれるというのは異例だろう。

どのような経緯で彼女が招待に応じたのか、それはきっとドーソンしか知らない。日帰りの予定だそうなので、何か近くで別の用事があるついでなのかもしれない。



ともあれ手短なやり取りの後、王都最高魔術師によるヨハンへの指南が始まった。



「ではお手並みを拝見させてもらおう。どれだけ強力な魔法を放ってくれても、武器を使ってもらっても構わない。好きにぶちかませ」


「……ちなみにダミアン様はどの属性を使うの?」


「はっは、いくらなんでも自分の手の内を明かすようなことはせんよ。まあ2属性以上……とだけは言っておこうか。その先が引き出せるかはヨハン次第だ」


「そっか……。それじゃあ、僕も多少は頑張らなきゃね」


「…………ん? ?」


ダミアンが首をかしげたところで、ヨハンは腰の剣を引き抜いた。

マルドゥークとの裏庭の決闘では音が出るという理由で用いられなかったものだが、本来の手合わせでは剣と魔法を組み合わせるのが基本だ。

ゆえに両手剣ではなく片手剣が用いられる。


ちなみにダミアンは素手。

だがこれは手を抜いているのではなく、彼女のスタイルだからだと思われる。


「――!」


ヨハンはまず大きく振りかぶってダミアンに剣を振りおろした。

魔法の話ばかりでヨハンが剣を振るうところを見るのは久しぶりだったが、なるほど様になっている。筋肉の付き具合などはまだまだ発展途上だが、流れるように剣を振るうことでうまくその欠点を補っていた。


しかしダミアンは後ろ向きにスキップでもするようにその剣戟をかわす。

当然そのくらいは織り込み済みだろうヨハンは、左手から水魔法を発動してダミアンの頭部に向けてはなった。

剣をよけたタイミングでの避けようがないはずの攻撃は、ダミアンの頭部をとらえ――――たかに見えた。


しかし無傷の彼女はにやりと笑ってヨハンを見下ろす。

ヨハンもにやりと目線を返した。


「まず一つ目だね」


「そうだな。だが先は長いぞ」


彼女を水の砲弾から守ったのは、白く輝く障壁――つまり光魔法だ。

手をかざした様子はなかったはずだが。


ヨハンは左手を広げてビー玉ほどの弾丸をいくつも生み出す。

そしてそれに高速回転をかけ、連射した。発射したそばから弾は補てんされ、また撃ち出される。その様はもはやガトリングガンである。


さすがに人間の身体能力でこれをよけることは不可能。

ダミアンは体の各所に分散して放たれる弾丸を光魔法でまとめて防御する。しかしヨハンはそれでも構わず連射を続けた。


「魔力量勝負でもするつもりかな? 言っておくが私は生まれてこの方、魔力量で誰かに負けたことはないぞ?」


「じゃあ、今日が初めての負けになるかもしれないね」


「――ほう?」


ヨハンは弾丸を撃つのをやめないままにやりと笑う。

俺はそこでふと、ヨハンの右腕がわずかに動いたことに気付いた。だが俺の場所からでは角度が悪く、何をしたのかまでは分からない。


と、真正面からの弾丸を受けていたダミアンが上を見上げた。

そしてふっと笑いを漏らす。


「――なかなか器用なことだ。だが発想としては、まあ平凡だな」


ダミアンが見上げたのは頭上に落ちてくる水の塊。バレーボールほどの砲弾が鋭く回転しながら、弧を描くようにダミアンに向かってきている。

まともに頭で受ければ水とは言え、脳震とうは必至。だがダミアンは「バレては意味がない」という風に頭上に光魔法を展開した。


水の砲弾は障壁に当たり、水しぶきとなってあたりに散る。

と、その瞬間にダミアンが身じろぎするのが、俺からも見えた。


「――――ツっ、なんだこれは……、熱湯……?」


その一瞬のすきを突き、ヨハンが剣を振るう。

光魔法は間に合わず、あわてて身をかわすダミアンの服の裾を剣が捕らえて切り落とした。

一片の布がひらりと地面に落ちる。


「――――」


「氷魔法は間に合わなかったから発想を逆にして見たんだ。水の粒が止まれば凍る――、なら動けば熱くなるってこと。僕、そっちの方がイメージしやすいみたいだ」


なるほど、本来は回転させている魔素を【回転】させるのではなく【振動】させてたがいにぶつけ、熱を発生させたのか。原理は電子レンジと同じ。しかも一定の水温を超えれば魔素に戻ってしまうギリギリの温度をついている。

100℃とはいかないまでも60~70℃まで行けば十分に熱湯だ。もし頭からかぶっていれば間違いなく火傷ものである。


俺はある種の感動を覚えた。

これは俺が教えたわけではない。俺の理論をもとに、ヨハンが自分で思いつき練習したことだ。

行われているのは魔法を用いた戦闘なのに、いま確かに科学が垣間見えた。


「……今のはどうやったのだ、ヨハン」


「何言ってるの。自分の手の内を明かす訳ないじゃない」


「そうか。なら私が一本取ったら教えてくれるか?」


「うーん、そうだな、じゃあ……」


――――――



ヨハンが思案をするそぶりを見せた、次の瞬間。

勝負は決していた。


あまりにも一瞬。

俺には彼女が何をしたのかさえ分からない。これだけ衆人の目があるのにもかかわらず、俺以外にもそれは同じらしかった。


先ほどまで真正面に向かい合っていたはずの両者だが、いつのまにかダミアンがヨハンの背後に立ち、手刀を首筋に添えている。

もちろん、ただの手刀ではない。

手のひらを覆うように薄く伸びた水の刃が伸び、まるでチェーンソーのように刃の部分を回転させているのだ。


皮膚に触れればどうなるかなど、試したくもない。


「さあヨハン、これは一本かな?」


「…………う、わ、分かった。降参だよ……」


「うむ」


ヨハンは自分の首元に添えられたものをみて、ひざから地面に崩れ落ちる。

ダミアンはそれを見て満足そうに笑った。


「いやはや! ドーソン伯爵!」


ダミアンが大きな声でドーソンの名を呼んだ。


「お噂の通り、ヨハンは優秀です! 私でさえ見たことのない水魔法の応用を見せてくれたのですから!」


ドーソンは、王都最高魔術師から下された望外の評価に言葉を失っている。


「さて、ヨハン!」


「ん?」


「約束通り教えてもらおう。さっき私が受けた水は明らかに熱湯と呼べるものだった。あれはいったいどうやったんだ? 実に興味がある!」


ダミアンはそう言って詰め寄るが、ヨハンはそっぽを向いて口をとがらせた。


「へーん、僕は一本取られたら教えるなんて言ってないよー」


「……何?」


「僕が条件を出す前に勝手に終わらせちゃったんじゃないか」


「そうだったか、それは私の早計だったな。ではヨハンの言う条件とは何だったんだ」


「それはね――」


ヨハンはそう言って観客席――、俺の方向を指さす。





「僕の兄様から一本取ったら教えてあげるって、言うつもりだったんだよ」

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