リモータニバーサリー
テレワークを始めて丸一月が過ぎ、なお外出自粛がつづいていた。
とはいえ。
なんとなく先が見えてきた。東京の新規感染者数は連日三桁を下回り、自体の終息と自粛解除の日は近いんじゃないかと思わせる。
ただ、終わったからと言って、以前と同じ日常は戻らないだろう。
「……正直、ミサキさんとのテレカンがなくなるのが一番不安で」
「……ちょっと待っててほしいッス。考えてるので」
「ひどい」
「ちょっと、待つッス」
むむむ、と画面を注視するミサキさん。当然のことながら、視線の先にあるのはおれの顔――ではなくて、草原と街道と、そこに置かれた建築物だ。ボードゲームアリーナなるサイトで一番人気だからという理由で始めたカルカソンヌというゲームだ。
あれから色々試して分かった。
運要素がないゲームだと、おれはミサキさんに勝てない。原因は言わずもがな、ルールや戦戦略を真剣に学ばないからである。
――だというのに、どうやらおれは負けず嫌いらしかった。
カッカして何度も再戦を要求し、同じパターンで三連敗した後、ミサキさんが気を使ってゲームを換えようといい出した。そしていま、運と実力のバランスが取れているゲームを見つけてきてくれたのである。
「……いやほんと、また出社して仕事して家帰って……ひとりとか、おれ泣くかも」
「……そうッスかねぇ?」
こちらの顔色を伺うようにチラッと上目を使って、ミサキさんが手番を進めた。戦略の意図は読めない。そんな技術力も思考力もおれにはないのだ。
気の向くままに手を進め、おれはミサキさんに視線を投げる。
「意外と冷たい反応っすね」
「……デスか? でもほら」
ふふ、と口元を緩め、ミサキさんが首を撫でた。ベルベットのチョーカーが巻かれている。
「自分たちには、キズナ的なものがあるッスから」
「絆って……いま、おれつけてないですけど」
おれは苦笑した。首を撫でるとヒリヒリするような痛みがまだ残っている。
そう、つけっぱなしにして寝た結果、汗でかぶれ、擦れて肌が赤くなったのである。
向こうのモニターに映っているであろう、おれの首についた赤い輪っかに、ミサキさんがクスクスと肩を揺らした。
「かぶれちゃうとは思わなかったッスねー。失敗だったッス」
「いえまあ着けたまんま寝ちゃった、おれが悪いんですけどね」
「……あれ? でも、お風呂に入るときは外しマスよね?」
「もちろん。革製品ですからね。あんまり濡らすのは……」
「なのに、なんで寝る前にまた着けてるんデス?」
また一手進んだ。残り二手で敗色濃厚、計算間違いがない限り大逆転みたいな展開はない。時計の針は夕飯時だし、これが最後のプレイになるだろう。
おれはヒリつく首を撫で、最後の手を打った。
「なんていうか、キズナ?」
「――ふふっ、キズナ」
確かめるように言って、ミサキさんは笑った。最後の手。ミサキさんの勝利で終了だ。
おれは両手を上に振り上げ背筋を伸ばした。手首、肩、腰の順にミリミリと骨が軋んだ。
「ま、た、ま、けたぁ~~~……」
「もうちょっと先を考えないとダメッスよ」
「なーんででしょうね、ゲームをやってるときは思考力が低下するっていうか」
「考えるのは苦手ッスか?」
「苦手というか……ゲーム自体は楽しんでるんですけど、なんででしょうね?」
「感覚派の人は難しいッスねえ」
ミサキさんは左手で頬杖をつき、呆れ混じりの穏やかな笑みを浮かべていた。
おれは霧吹きのガラスボトルを取って、パルダリウムに一吹き給水した。置き場所はすでに決めてあるのだが、なんとなくまだ手元に置いたままにしてあった。
「さ、リモート同棲一カ月記念の
「はーい」
子どもみたいな返事をしてミサキさんが腰を上げた。さすがに今日は下着じゃなかった。ちょっと残念だ。でもショートパンツも悪くないかもしれない。
おれもタブレットとスタンドを持ってキッチンに移動する。
「記念日くらいウーバーで楽ちんでもよくないッスかー?」
「記念日だから手作りしたいんですよ。だから簡単なレシピにしたでしょ?」
「はーい。わっかりましたー」
二度目のわざとらしくも子供っぽい返事。持ち前の童顔は、角度や光源がバッチリ決まると同い年かどうか疑わしくなる。いっそ部屋着代わりに着ぐるみパジャマでも贈ってみようかと思いながら、おれは包丁を取った。
レシピは気取らず、味付けはシンプルに。たまに互いの好みの味付けを交換したりして。
ミサキさんのハミングに、おれも鼻歌を合わせる。
火を使ってるときにどうかと思うが、目を閉じれば本当にふたりでキッチンに立っている気分になれる。
「自粛明けたらどうなるんですかね」
「なんとなくッスけど……そんなに変わらないんじゃないかなーって思いマスよ?」
「会社行って、帰ってきて、ネットに繋ぐ?」
「――か、一緒に暮らしちゃうかッスよね」
楽しげに言いながら、ミサキさんが料理の盛り付けに入った。おれも慌てて火を止めた。時既に遅しで少し焦げ目が濃くなっていた。まあいい。これも味になる。
「リモートじゃない同棲ですか」
「デスねー」
「……ほんとにできるのかな?」
「どうなんデスかね?」
ふわふわした会話をしながら料理をモニタールームを兼ねつつあるリビングに運び、両手を合わせる。今日の一杯目は互いに共通。ミサキさんが希望したシャンパン、ロゼのミニボトルだ。
おれたちは互いのカメラにボトルを映し、コルクに指をかけた。
「それじゃあ……ミサキさん」
「あいあい! 承りましたー。では、リモート同棲、一ヶ月達成を記念して!」
ミサキさんのテンションは上がり気味、こっちも同じだ。
おれはタブレットの奥に狙いをつけてコルクを押した。
「おめでとー!」
ポン、とシャンパンを開けたにしては慎ましやかな開栓の音がした。
「とりあえずじゃあ――どうぞ」
と、おれがボトルの飲み口を差し向けると、ミサキさんが肩を揺らしながら細いグラスをこちらの方に差し伸べた。画面の外に自分でボトルをもっていき、器用に注いで、笑いあった。
「ほんと、変なこと思いつくッスねー」
「それはこっちのセリフです。毎日毎日、驚かされてばっかりで」
「えー? 自分のほうが驚かされてマスよー」
「いやいや、絶対おれのほう」
おれは手酌でグラスにシャンパンを注ぎ、キラキラ光る薄桃色を掲げ合う。
「いつもありがとうございます、ミサキさん」
「こっちこそッスよー」
「じゃあ、乾杯!」
「乾杯!」
言うと同時に、ミサキさんはきゅーっと一気に飲んでいく。その威勢のいい飲み姿を横目で見つつ、おれも負けずとグラスを傾けつづけた。
やがて一息に飲み干すと、
「~~~っっぷふぃ~……美味しいッスねー、本物のシャンパン……♪」
もう酔ってるんじゃないかという丸まりっぷりだった。
おれは苦笑しながらグラスに注ぎ直した。これで空っぽ。これから先は互いに自分の持ち酒になる。もし、仮にふたりで暮らしていこうとしたら、酒の置き場所で揉めたりするのだろうか。
「あと、銘柄とか」
「なにがッスかー?」
うふふと嬉しそうに笑ってミニボトルを空にし、ミサキさんはさっそくご愛飲の梅酒を用意し始めている。ロゼもそうだが、甘い酒を料理に合わせるのは難しい。
「食べましょう、先に。じゃないとまたベロベロになっちゃまいすよ?」
「はーい」
ミサキさんは片手をたかだかとあげて返事した。酔ってるかどうかは不明。
「でも、いいのデース」
「はい?」
「もし酔っ払っちゃったら、介抱してくれる人がいマスから」
「……それ、おれ?」
うひひ、と歯を見せて笑って、ミサキさんはナイフとフォークを手にとった。さすがに秒で酔ったとは思い難いが、テンションがアガッてるときの酒はよく効くものだ。
もし、本当に同棲を始めたら、こういうとき、おれはどうするのだろうか。
「自粛おわったら、本当に一緒に暮らしちゃいますか?」
「……あれ? そのつもりで考えてたのって、自分だけデス?」
「どっちの家で?」
「まずはお試しでー……そっち!」
ミサキさんが突き出したグラスから、しゃぱっと小さな飛沫が飛んだ。
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