テレパソロジー
外出自粛、完全出社停止が始まり、早――
「――え、まだ二週間経ってねぇの……!?」
床に寝転んだおれは壁のカレンダーに愕然とした。テレワークの開始日から今日まで、出所を待ち望む囚人のごとく赤丸印をつけていたのだが、まだ二段目の途中までしかついていない。
これ、いつまで続くんだろうか。
おれは茫漠とした不安を抱きながらパソコンの前に座った。
「ちっすちっすッス」
聞き慣れた声に、おれは脊髄反射で許諾を与えた。
「ちっス――ゥッ!? ちょっ! ミサキさん!?」
おれは慌てて画面から目をそむけた。
「へっ? どうかしたッスか?」
「どうかしたってそれ――下着じゃないですか!」
「……ぇあ?」
いまさらなにをと言わんばかりに眉をよせ、ミサキさんは黒いブラを引っ張った。いつもの黒縁メガネはすでに少し曇っていて、額に頬にと滝のように汗をかいていた。えっちだ。
「……スポーツブラですけど……? たまにほんと、分かんないこと言いマスよね」
「スポーツブラったって、下着は下着じゃないですか!」
「……えぇ……? いやそれ――」
ミサキさんはほんのり上気した頬にタオルを当てながら言った。
「昨日、あんなえっちなことさせた人がいいマス?」
「あ、あーいうのはやっぱり、気分とシチュが揃ってないとダメじゃないですか!」
「まぁそれはそうかもしれないッスけど――」
「だいたいミサキさんもノリノリだったし!」
「あ、そこで人のせいにするッスね~?」
久しぶりに、ミサキさんがジト目を見せた。
「そーいうこと言っちゃうカイショーなしには、もう見せてあげないッスよ~?」
「えっ、あっ、それは――それはちょっと……困る……かもしれない、です、ね……」
「ん~? それだけッスか~? えっちなお兄さんはそれだけで許されると?」
「え、えっちなお兄さんて! 同い年でしょ!?」
「そっち」
ミサキさんはくつくつ肩を揺らしながら言った。
「とにかく、ごめんなさいして欲しいッスね」
「ごめんなさいって、なんの!?」
「なんのって~」
言いつつ、ミサキさんは目線を宙に投げ、口元を隠した。なにを謝らせてやろうかと悪戯っぽく笑っていた瞳に、やがて照れが混じりはじめた。眼鏡が曇り、こちらを向いてる耳の先が淡く色づいていく。おそらく、昨日のやりとりを思い出したのだ。思い出し、反芻し、照れている。
昨日は、ちょっと過激すぎた。
いまさらになって熱くなってきた頬を押さえ、おれは謝ろうと口を開いた。
「あの……昨日は――」
「あれは別にいいッス」
「えっ」
「あれは、許可するッス」
繰り返すうちにミサキさんの俯き角度は深くなり、頭から湯気が立ち上りそうになった。
「ちょっとだけ……その、ちょっとだけッスけど、ドキドキすごかったんで」
ちょっとなのかすごかったのかどっちなんだよ可愛いな! と、叫んでやろうかと思った。
ミサキさんのもじもじにつられるようにして顔を伏せ、おれは鼻息が大きくならないようにこらえながら画面を覗いた。
まさに、まったく同じ姿勢、同じタイミングで、ミサキさんがこちらに向いた。準備不足で視線が交わり、おれは気恥ずかしさに手のひらの下で舌先を噛んだ。
「えーっと……なんだっけ、その、とりあえず……上、なんか着ません?」
「へっ? えっ?」
「スポブラはえっちじゃないって主張は分かりました。分かりましたけど」
おれは極力モニターを見ないようにしながら言った。
「まだ外寒いですし。いまはホラ、風邪とか引かないようにしないと」
「あー……それはまぁ……たしかに……?」
と、ミサキさんが首を捻っている隙に、おれはモニターを覗いた。顔の小ささと首の細さでなんとなく分かってはいたけれど、ふわもこ系のニットがないと華奢な印象がより強くなる。黒いスポーツブラがわりとキツめに胸に押さえているのか、体のライン全体的にシャープだ。
――っていうか、早く服をとってきてくれ――、
と、顔をあげると、ミサキさんはちょっと頬を赤らめたままジト目になっていた。
「なんだかんだいって、バッチリ見てくるじゃないッスか」
「うっ!」
「うっ! じゃないッスよ! もう……えっちなんスから……」
なぜか嬉しそうに言いながらミサキさんが離席した。画面外に消えていくレギンスに包まれた小尻を全力で目に焼きつけようとしていたら、フィルムカメラのシャッターを思わせる音が鳴った。みれば、おれの右手中指が、プリントスクリーン・キーを押し込んでいた。
慌ててモニターを見たが、すでにミサキさんの姿はなかった。
「……聞かれてない?」
バレてない。もしかして助かった? おれはどっと息を吐いた。
ポン、と画面が電子音を発した。
『バレてるッスよ』
というメッセージとともに、べーっと舌を出すミサキさんの写真が届いた。遠隔で送ってきたのだ。髪が少し濡れていて、腕一本で胸を隠していた。手ブラだ。
「……マジ?」
どうしてそこまでしてくれんの? と、おれは生唾を飲み込んだ。モニター越しにシャワーの音が聞こえた。胸の内で悶々と劣情が膨らんでいく。
おれは今朝とどいたゲーミング座椅子の上であぐらを組み、両手をそれぞれの膝に置き、臍下丹田に力を込めて深呼吸をした。ミサキさんの手ブラは網膜に焼き付いていた。
やがて、ひたひたと足音が聞こえてき、おれは瞼を開く前に口の中でえいやと唱えた。
「くそ
「へ?」
美人の湯上がりはときに兵器と化す。血行良化による天然のチークは愛らしく、濡れそぼり艷やかになった髪はリンスの香りすら感じさせる。またその姿が肉眼よりも粒子の粗いカメラとモニターを通過することで、人が嫌う現実感を失い、人が好む幻想性を得るのだ――てか、
「マジ、クソ可愛いんスね、ミサキさん」
「ゔぇっ!? ちょ、うぇぇ!?」
ミサキさんは首にかけていたタオルで顔をもしもししながら言った。
「な、なんッスか? そんな、そんな……よくそんなこと真顔で言えマスね!?」
「いやだって、凄くないですか? もうちょっと近くで……」
「や、ちょっ……勘弁して欲しいッス。いま、スッピンなんスから……」
「えっ、マジです? またフィルターとか使ってます?」
「そんなわけないじゃないッスか! もう! ちょっと待っててくださいね!」
プンスコ怒りながら、ミサキさんはまた席を立とうとした。
瞬間、おれは叫んでいた。
「メイクそこでしてくれません!?」
「――ふぇっ!?」
日常を見たかった。
「あと、できたらワイシャツを着てもらえると――」
「なっ――あっ……」
「ミサキさん、おれを救うと思って」
「すく――っ!? も、もう! 仕方ないッスね!」
ミサキさんは朱に染まった頬を膨らませながら席を離れ、おれの希望通りにワイシャツ――というかブラウスを着ていた。丈が長めなのもあって、下にはなにも穿いていないように見えた。
おれは口中に溢れる粘っこい唾をボンベイサファイアで洗い、モニターに集中する。
「ほんと、悪趣味な人ッスね……」
「お言葉を返すようですが、そんな人に付き合うミサキさんも大概ですよ?」
「……よーく分かってるッスよ」
ふん、と鼻を小さく鳴らして、ミサキさんはヘアバンドで髪の毛をまとめた。顕になった丸いおでこにはシミもシワも見当たらない。眼鏡を外し、手で美容液と思しき乳液を伸ばしてペチペチと……。
おれはモニター越しにミサキさんと日常を共有する気分になりながら、二杯目に口をつけようとして、喉をグワッと焼かれた。
咽なかった。
咳をするよりも大事なことがあったのだ。
淡々と化粧をするミサキさんのブラウスの、先端の。
「……え、のぉぶら?」
「へ?」
しまったと口を塞いだときにはすでに遅く、ミサキさんは視線を下に滑らせ、
「ゔぇぁあああああ!?」
咄嗟に微かな突起を隠した。
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