サンデイ・イズ……

 テレワークに向く仕事と向かない仕事があるとか、テレワークが向いている人と向いていない人がいるとか、今こそ真に必要な人材が明らかになるとか、報告ついでに室長のはしゃぎっぷりを知った。

 いい気なものだと、おれは思う。

 こっちは、一緒にはしゃいでくれそうな人を待つばかり。

 

「……出ない……」


 接続相手の承認を待っていると称して、緑色の輪っかがグルグル回っている。

 なにか怒らせるようなことを言っただろうか。即座にありえんと否定する。綺麗なカウンターを食らったのはこっちだ。最後のほうとか直視できなくなってた。

 見なかったのが原因なのだろうか。そう思えば、向こうもヨソヨソしかった気がする。

 っていうか、遅い。

 ここ数日はほとんどノータイムで応答してくれていたのもあって、二~三分が異常に長い。長く感じる。いや、実際に長くなったのかもしれない。セッティングしてあるカップラも蓋をめくれば伸びきっているに違いない。


「――っていうか、早くいつもの『ちっすちっ――」

「ちっすちっすッス」

「――きたぁ!」

「ひょああっ!?」


 おれの声にびっくりしたのか、ミサキさんはGを発見したかのように両手を振った。そこはかとなく功夫クンフーを感じさせるファイトポーズだ。いまどきじゃアニメやマンガでも見なくなりつつある。

 だが、そんな(可愛さ的な意味をのぞけば)戦闘能力ゼロの構えより、が気になった。


「……えっと、なんでまたマスクを?」

「ふぇっ!?」


 ミサキさんは初回と同じく、鼻と口どころか輪郭まで覆い隠すマスクをしていた。


「……やー……その、ちょっと……色々ありまして」

「色々? メイクなら、おれは気にしないですけど――」

「そうでしょうとも! 気にしてるのいつだってこっちッスからね!」


 言って、ミサキさんはペチペチとテーブルを叩いた。

 そのモニター越しだとコミカルに映る姿に、おれは両手をテーブルにつき、冗談めかして頭を下げた。


「いつもいつも、気を使わせてしまって、申し訳ない……っ!」

「ちょ、土下座……? えぇー? すいません、それ、なんのネタッスか? 分かんないッス」

「いやネタっていうか、ほんとにメイク忘れなんですか?」

「ぬぁっ! カマかけかー! やられたッスわー……」

 

 ミサキさんは久方ぶりにチベットスナギツネに対抗しうるジト目を見せた。


「そうデス、そうデスよ。誰かさんのせいで、朝ちょっと忙しかったッスよ」

「誰かさん?」


 尋ねた瞬間、ぷこっとマスクの両頬が膨らんだような気配があった。


「もしかして……おれ? スか?」

「不要不急の外出自粛! 三密回避! 毎日テレってくる誰かさん!」

「……重ね重ね、申し訳ない……」

「ホントッスよ……ちょっとは反省して欲しいッス。例の浅川マキ、なんか重いし」


 ミサキさんはぷいっと横を向き、両手を下に突っ張った。拗ね気味なときによくする仕草がユルっとしたニットの破壊力を倍増させる。本人は自覚してるのだろうか。というか、相変わらず首のラインが――と思っていたら、両手が胸を隠すようにクロスした。


「……ここ何日かでめっちゃ自覚するようになったッス……」

「えっ」

「えっ、じゃないッスよね?」

「いや、おれ心の声がダダ漏れ? サトラレ的なあれ?」

「……マジなのか冗談なのか区別ムズいッスね……」

「えっ? おれ、ほんとに喋ってたり?」

「……たまに。でもそれより……」


 衝撃の事実をさらりと突きつけながら、ミサキさんのジト目がこちらに向いた。眼鏡がほんのり曇っていた。


「い、息が、ちょっと……」

「息!?」


 声に驚いたのか、ビクンと震え、ミサキさんはマウスを操作した。


「……普段は気になんないスけど、可愛いとか、そーういうこというとき、ちょっと……」

「息が、荒くなってると」

「というか、おっきくなるというか」

「そんなに真剣に聞いてるの?」

「うぇっ!? そっちスか!? っていうか、なんで自分が責められてるッスか!?」

「いやでもうん。まぁ、ちょっと安心しましたよ」


 ミサキさんが、きょとんとなった。狙い通りだ。

 おれはブレス音については早急に対処を考えなければと思いつつ、それを誤魔化すべく、昨晩ベッドで思いついてから絶対に言おうと心に誓ったネタを放った。


「ミサキさん出てくれなかったら、ミサキさんロスになるとこでした」


 すん、という奇妙なオノマトペの意味を、おれは身を以て知った。

 うんともすんとも、という語がある。

 うんは肯定あるいは否定の一音で、すんは無関心を装うための沈黙だ。いままで、すんとはその沈黙だと思っていた。

 しかし、ミサキさんに教えてもらった、すん、は違った。

 決定的に違う。

 うんも、すんも、反応しているのだ。

 すんは違う。

 なに言ってんだコイツよりもはるかに無関心な沈黙。

 いまなにかありました? よりも希薄な時間。


「……あの、いつもメイクとか、気を使わせちゃってすいません……」

「あ、気にしないでいいッスよー」


 おれは戦慄した。完全になかったことになっていた。

 だが、それなら都合が良くもある。

 

「――次はないッスよ?」


 機先を制するミサキさんの声に、おれは首を縦に振り、ひとつ呼吸をはさんで言った。


「嫌われたかなーって、ちょっと焦ったんですよ」

「――ッ」

「あと、マスクしてるのみて、心配になって」

「……」

「ちょっとふざけました。すいません」


 頭を下げて、上げると、ミサキさんは両手で顔を覆っていた。


「……えっと?」


 見つめていると、ミサキさんの耳がじわりじわりと赤くなっていった。


「じ、じぶんも、ちょっと、焦って」

「……ミサキさんが? なにに?」

「昨日の自分、ちょっとテンション上がりすぎてたなって」

「そう?」

「やー、だって、指ドラムとかー、買って一緒にやろーとかー……もう、ちょっと」

「……楽しかったですけど?」

「……ほんとにぃ?」


 両目を隠している細い指がうっすらと開いた。まるで天ノ岩戸だ。なら、出てきてくださいと踊ってみるのも悪くない、とおれは思った。


「ほんとにほんとに。だってポチっといたし。届くのいつかわかんないけど」

「マジすか!?」

 

 七色に彩られた岩戸はあっさり開いた。あとはマスクを下ろしてくれたら最高なのに。

 まぁ、マスクに覆われていても、その下で笑っているのはわかるのだが。


「マジすよ。っていうか全くわかんないんで、教えてくださいよ?」

「もちろんッス! うぁー、そっかー……そっかー……」


 言ってるうちに、ミサキさんの目の端がちょっと潤んだ気がして、おれは慌てて言った。


「あ! ほら! それ言ったらミサキさんも! 浅川マキ、聞いてくれ――た……」


 目の潤みが増した気がした。というか、


「それで焦ったんデス!!」

 

 涙目になった。


「聞いてみたらなんか思ってたの違くて、や、思ってたとおりなんデスけど、でも違くて」

「えと、落ち着いて?」

「うぁーヤバい全然タイプ違うどうしよーってなって、テンションあげすぎたかもって」

「だから、ちょっと落ち着こう。ね?」

「さっきの忘れてとかそんなんでと思ったら夜中だったし、起こすのもアレだし……!」


 そんなイッパイイッパイになることか、とは思った。ビデオ会議を始める前の自分も似たようなもいんかと気づいてみたら、笑えなかった。

 しかし、せっかくに日曜、笑いたい。笑っておきたい。


「えっと、『夜が明けたら』っていうのが」

「まさにそれで焦ったんデスってば! 自分! あんなイイ声じゃないし!」

「えっ? 声?」

「声ッスよ! 声チョー大事じゃないッスか! 声ダメだともうダメとかありマスし――」

「いやそれ多分ミサキさんだけでは」


 咄嗟に言った。


「多分だけど、あの、あれですよ、オタク性の違い」

「……オタク性の違い」


 オウム返しは聞いてる証拠と、おれはつづけた。


「っていうか、なんなら、おれミサキさんの声、ケッコー好きですよ?」

「……ほんとッスか?」

「ええ。っていうか、逆にびっくりで」

「びっくり?」

「ミサキさんって、耳が性感帯なんスね」

「……ゔぇっ!?」


 あ、いつもの出たと、なんだおれも声フェチなのか、と思いつつ、


「息遣いって言ってたから、そうかなって」

「そ、そうかなって」

 

 オウム返ししながら、ミサキさんは両手を耳たぶに伸ばした。触れた瞬間、かすかに震えた、ような気がした。耳がまた少し赤くなった。

 おれは静かに息を吸い込んで、強めに吹いた。


「ゔぇあっ!」

 

 ミサキさんは両手で耳を覆って、眼鏡を曇らせた。


「こ、この話は、今日もう終わり! ッス!」

「……マジでもっと性能いいマイク買おうかな」

「……したら、自分はヘッドホン新調するかもッス」


 そういって顔を隠したミサキさんの耳は、真っ赤になったままだった。

 おれはテレワーク(?)の楽しみが少し増えた気がした。

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