第23話

「それから、マイさん。早速なんですが、今週から、週イチで1時間ほど、残業をお願いできませんか?」

 S女史が先輩の前で手を合わせた。

「いいですよ。毎週木曜日は、ヨガに通っていますけど。それ以外なら、いつでも残業できますよ」

「ありがとうございます!もちろん、プライベートは優先してください!明日、総務で残業申請書をもらってきてください。残業できる日と時間を書いたら私のデスクに置いてください。私から総務に提出します」

 安堵の表情のS女史が飲み物のグラスを持った。

「業務連絡は以上。では、ジェニーさんの歓迎会を・・・」

「あのっ!」

 自分でも、自分の音量に驚いた。3人が僕を見た。

「どうした、ハリー?」

 S女史が僕の顔を覗き込んだ。

「あのっ、僕にも、残業、いや、何か・・・ありませんか?」

「あ、ハリーは、残業しなくていいのよ」

 S女史は、素っ気なく答えた。

「え?そ、そんな・・・」

 S女史は、ゆっくりとグラスを置いた。

「今、1課は、課長がいなくなって、動揺している人もいれば、働く意欲を失いつつある人もいる」

「わかってます。だからこそ、僕にできることがあるんじゃないかと思いまして」

 僕は胸を張って答えた。

「1課は男性だけの職場。知ってるよね?」

 そう言いながら、S女史は僕に顔を近づけた。

「現場の士気を上げるには、マイさんという女神の存在が必要なのよ」

「マイさん・・・」

 僕は、ゆっくりと先輩を見た。先輩は、両手を頬にあてて微笑んだ。

「別に、意地悪してるわけじゃないのよ。ハリーが1課に行きたがってるの、わかってる。でも今は、ハリーが自分の能力を発揮する時期じゃないってことよ」

 なんとも言えない心持ちで、僕は「わかりました」と返事した。

「あ、そうだ!マルチュー商事さんとの打ち合わせは、ジェニーさんと一緒に行ってくればいいじゃない!」

 S女史が言うまで、僕は、打ち合わせのことをすっかり忘れていた。

「そ、そうです、ね」

「ハリー、明日、マルチュー商事の・・・えっと、なんて名前だっけ?ま、いいや。担当さんに連絡して。打ち合わせの出席者が変わりますって。それで、打ち合わせまでに、ジェニーさんに、イベントの内容と打ち合わせの時にこちらから提案することを説明してね」

「は、はい・・・わかりました」

 僕は、居酒屋の店員から料理を受け取りながら返事した。

「あれ?2課って、イベントの企画とかするんですか?」

 ジェニーさんが、大きな目をクリクリさせながら質問した。

「今回だけ。今年は、総務が創立50周年の記念式典の準備にかかりっきりで、他の案件に対応できないの。マルチュー商事さんとは、長いお付き合いだから、むげにも断れないっていうんで、ヒマ部署と呼ばれているウチに、声がかかったってわけ」

 先輩の説明を、目を輝かせながら聞いていたジェニーさん。

「へえ、面白そう。前の職場では、イベントの企画や運営もやってたんです」

 その言葉を聞いた途端、僕は、1課の仕事を手伝うことなんて、どうでもよくなった。

「それでは、皆さん。ジェニーさんの明日からの活躍に期待して、乾杯しましょう」

 僕は、飲みかけのグラスを高く上げようとした。

「ハリー。明日から、アタシがいなくて嬉しいのはわかるけど・・・。そこは、ジェニーさんの活躍じゃなくて、ジェニーさんのご活躍って言いなさい」

 S女史の落ち着いた話し方に、先輩とジェニーさんが大きな声で笑った。

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