第39話 第2部 その29
雪華はハッとしてまた飛んだ。
竜宮寺大造がニヤリと笑って、手を振り下ろしたのである。
今度は雪華は横へ飛び、女をなぎ倒すように抱え込みながら、平地の下の斜面へと転がり込んだ。
それと兵たちが発砲したのが同時だった。
たった今女が立っていた所と、うずくまっているクマヒコに、弾が重なって命中した。
ただちに起き上がった雪華は、右腕を前に振り出した。
気が飛んだ。
「ギャアッ!」
「ワアッ!」
雪華の右腕から放たれた気が、発砲する兵たちの腕もろとも、銃をことごとく真っ二つにしてゆく。
戻って来た気を右腕に受け止めると、雪華は叫んだ。
「さあ、死にたくなければ、退散しな!」そしてニヤッと笑って続ける。「残ったヤツは、覚悟しな!」
そして雪華は左腕も振り払う。
そこから飛んだ気が、残りの兵たちの銃をこれまたことごとく、真っ二つにしてゆく。
竜宮寺大造の両脇にいた兵は、「ワアッ!」と叫んで銃を放り出して逃げ出してゆく。
「ヒエッ!」
竜宮寺大造は頭を抱えてしゃがみ込む。
その頭上を、雪華の飛ばした気がうなりを上げて通過する。
「…クマヒコ!」
雪華の下にいた女が、叫んだ。
雪を紅く染めて倒れていたクマヒコが、よろよろと立ち上がったのである。
クマヒコは全身血まみれである。
その姿で、女の方を見やったクマヒコが、ニッと笑った。
「お嬢様…」クマヒコはこれまでと打って変わった優しい声音と表情で語りかける。「私はお嬢様がお産まれになってこの方、ずっと下僕としてお仕えすることが出来て、幸せでありました。しかし、もうお別れです。最後に、お嬢様の願いを、かなえて差し上げたいと思います…」
そう云うと、クマヒコは毛皮の長羽織をバッと開いた。
その内側に、何本ものダイナマイトが仕込んであるのだった。
クマヒコは、頭を抱えてうずくまっている、竜宮寺大造の方を見た。
「ヒエッ!」
クマヒコの視線に気付いた竜宮寺大造が、飛び上がった。
「うわッ、ヤメロ、来るなッ!」
竜宮寺大造は叫ぶと、老人とは思えぬ迅速さでもって、脱兎の如く、駆け出した。
するとクマヒコも、満身創痍の者とは思えぬ素早さで、これを追いかけ始めた。
「うわああああーッ!ヤメロオオオオーッ!」
叫びながら、竜宮寺大造は顔を恐怖に引きつらせて雪の中を駆け回る。
「御前!」追いかけながらクマヒコが叫ぶ。「御前には大変な御恩がありますが、もはやこれまで。お覚悟下さりませ!」
二人を止めに入る者は、誰もいない。
兵たちは腕を斬られてのたうち回っているか、銃を放り出して逃げ出しているか、どちらかであった。
雪華と女は、雪の中に伏せて、この様子を見守っている。
と…。
遠くから物音が近付いて来る。
発砲音である。
「チッ…」
雪華は小さく舌打ちをして、そちらを見た。
その時である。
「わあああッ。勘弁してくれいッ!」
竜宮寺大造の悲痛な叫び声が上がった。
雪華は慌ててそちらに目を向ける。
クマヒコが、竜宮寺大造を抱え上げていた。
そのままクマヒコは、小屋の方へ駆けて行く。
見ればクマヒコの毛皮の長羽織の下から煙が上がっている。
「御前、お覚悟を!」クマヒコは叫ぶ。「お嬢様、さらばでございます!」
「うわあああッ、死にたくない!助けてくれいッ!」
竜宮寺大造のもの哀しい叫びを残して、二人の姿は小屋の中に消えた。
次の瞬間。
大爆音と共に、小屋は粉みじんに吹っ飛んだのであった。
「クマヒコ!クマヒコーッ!」
女が飛び出そうとするのを、雪華が必死に押し止める。
小屋の残骸が、バラバラと二人の頭上に降って来る。
その間にも、発砲音は近付いて来る。
近付いて来るに従い、さらにいくつかの音が聞こえて来た。
まずは複数台の車の音。
そして…。
雪華のこれまで聞いたことのない音も、聞こえて来る。
それは、空から聞こえて来るのだった…。
その、空から聞こえて来る音が、突如前方に飛び出すように、大きくなった。
雪華は、思わず目を丸くした。
その物体を、雪華はその時生まれて初めて見たのである。
空を飛ぶものなんて、鳥か、虫か、はたまた正月の凧ぐらいしか、雪華は見たことがない。
その妙な音を立てつつ空を飛んでいるものは、ぐんぐんこちらに近付いて来るのであった。
思わず雪華は、下に敷いている女の頭をグッと抑え込み自分も頭を伏せた。
猛烈な風が雪を巻き上げつつ、吹き過ぎてゆく。
何か人の声が聞こえた気もするが、よく聞こえない。
その物体は雪華たちの頭上を過ぎると、再び高く上空へ舞い上がり、大きく左に旋回して、またこちらに向かって来る。
雪華は立ち上がり、身構える。
すると、女がダッ!と立ち上がって駆け出した。
雪華は呼び止めようとしたが、間に合わない。
物体は、ぐんぐん近付いて来る。
人が乗っている。
その人が何か叫んでいる。
雪華はその人に気付いて、構えをゆるめた。
「俺だ」橘藤が叫んでいる。「事情が変わったので迎えに来た。引き上げだ」
そう云うとまた、ぐーんと物体は上昇してゆく。
猛烈な風の中、雪華はかろうじて立っている。
物体は上空で今度は右に旋回して、再び雪華の方へ向かって来る。
橘藤がまた叫んでいる。
「ここに着陸する。そこをどけ!」
「あれは何⁉」
雪華は一本道をやって来る自動車の群れの方を指しつつ、負けずに怒鳴り返す。
しかし、物体はまたブウーンとプロペラ音をうならせつつ、上空へ昇っていってしまった。
そしてまた、左へ旋回するのだった。
女は、ほぼ跡形もなくなった小屋の前に、呆然と佇んでいる。
雪華は上空の物体や近付く自動車の群れの音を気にしつつ、女の方へ向かう。
女は、無言で涙をハラハラと流していた。
「さあ」雪華は女の左腕をとって云った。「危ないから、こっちへ来な」
女はギクリとした表情で、雪華を見る。
「…私を、殺さないの?」
女はくぐもった声で云った。
「バカ云っちゃいけない」雪華は云った。「忘れたのかい?私はあんたに死なれちゃ困るんだ」
と…。
パァーン…。
一発の銃声が響いた。
ピューッと鮮血が一筋、雪の上に散って…。
朽木を倒すように、女がその場に倒れた。
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