雪辱

 十条。

 偶然、だろうか。

 ありふれた苗字では無いだろう。そんな名前が、自分の名に酷くにたそれが、俺たちの中には無い数字が。偶然、目の前にあるだけだろうか。


「お待ちしておりました」


 俺も八条隊長もまだ声すら掛けていないのに、いきなり門が開きから中年の女性が出てきた。式神では無い、黒い着物を来た本物の人間だ。女性は、ちらりと俺達を見てから。


「.......零のご当主はどちらに?」


「やはりあなたでしたか」


 八条隊長の酷く静かな声に、監視の人がびくっと震えて俺の後ろに隠れた。

 明らかに不穏な空気を出している八条隊長に、白い着物の女性はほんの少し眉を寄せただけだった。


「本日、ご当主はいらっしゃらないのですか?」


「ええ。これから先も来ることはありません。今回は我々が昨日の件について、話を伺いに参りました」


 いきなり、隣にいた調唄さんがくん、と俺の袖を引っ張った。見れば、人差し指を自分に向けて「私当主」とアピールしていた。


「.......では、あなた方は、どちら様でしょうか?」


「総能の使いです。第八隊の、八条れん」


「八条の方でいらっしゃいましたか! それも、本家.......次期当主様でいらっしゃいますね。申し訳ありません、大変な無礼を。どうぞお上がりください。当主より、おもてなしをするよう言付かっております」


 八条隊長の名前を聞いて、女性が目の色を変える。それから急ににこにこと屋敷に招き入れようとしてきた。

 八条の苗字に、この反応。

 鼻を掠めた記憶の中の腐敗臭に、ごくん、と唾を飲んだ。


「あの、もしや、そちらの方も.......」


 調唄さんが元気に指を6本立てた。そのあとに俺の腕を上げさせてきたので、指を7本指を立てておく。その他の隊員達はあさっての方向を向いていた。


「まあ! 六条に、七条のお方! 申し訳ございません! さあ、どうぞ中へ。今当主を呼んで参ります」


 少し眉を寄せて、中に入るか迷っている様子の八条隊長に。


「八条隊長、帰りましょう」


「! .......どうしましたか?」


「零様には俺が謝ります。だから帰りましょう」


 そうだ。そもそも零様は別にこの家に入ってなにかしろとは言わなかった。今帰ったってそこそこ怒られるぐらいで済むかもしれない。

 大体、人間相手ならなんで一条さんを送らなかったんだ。北海道には俺が行くから、一条さんをこっちに送るべきだろう。なんだって一条さんがすぐには来られないような所に、なんだって俺なんかを。なんだってまた。

 だって。この夏。




 俺は、1度失敗してるんだ。




「七条くん」


 はっと意識が戻ってくる。


「行きましょう」


「でも」


 ぽん、と肩に手を置かれた。瞬間、ぎりぎりとその手に力が入って。


「なぜ、君の言うことを私が聞かなければならないんですか?」


 いきなり耳元で、明らかに憎しみがこもった声をかけられる。思わずぐっと歯を食いしばった。分かってる。俺はただ、自分が逃げたいから八条隊長に声をかけたのだ。怒らせて当然だ。

 俺は、今。


 まだ何も起きてないのに、過去に心臓を握られて。術者として大事なものを、落としてしまった。


 今の俺は、術者でもなんでもない。


「第八隊! あなた達は中には入らず本部へ報告、それから近くの管理部から人を借りてきてください。特別隊と六条当主は私達と共に中へ来てもらいます」


「はっ!」


 札も指環も、訳が分からないほど持っている。隊長が2人に、当主が1人も来ている。それなのに、まだ怖い、まだ足が出ない。

 酒呑童子の目の前に立った時でさえ、こんなことはなかった。


「七条くん、零様はあなたにここへ向かえと言ったんです。あのような侮辱の対応に、零様は、君を選んだんです」


「.......」


「.......はあ。本当に私をイライラさせますね、君は」


 俺の耳元からぱっと顔を離した八条隊長は、誰より先に、大きな一歩で。

 門をくぐった。


 その後に、サイレントにスキップして調唄さんが門をくぐった。


「.......」


 俺はその場に突っ立ったまま、乾いた口で息を吸い、錆び付いた足を無理やり動かそうとして。


「ねえ」


 ぱし、と手首を取られる。


「なんで私達が、八条隊長の言うことを聞かなければいけないのよ」


 ちょっとだけ口を曲げた葉月が、ふんと鼻を鳴らした。は、と喉から息が漏れる。先程八条隊長が俺に耳打ちした言葉は、隣にいた調唄さんにさえ聞こえていないはず。それなのに、なぜ葉月は。

 そんな疑問をよそに、葉月はどこまでもまっすぐな目で。いや、その後ろにいる、特別隊全員が、自信に満ちた強い目で。


「あなたが命令して、隊長さん」


 いえす、葉月さま。


「.......特、別隊。全員、俺と一緒、に、来てください。絶対、俺や調唄さんから、離れないで」


「「「「了解!」」」」


 つっかえながらも声に出してみたら、思っていた7倍力強い返事が返ってきて、なんだか少し体の緊張がほぐれた。そうだ、俺は隊員達と来ている。1人で潰れていては、何も護れない。

 俺の顔を見て満足したように俺の手を下ろした葉月は、目線をズラし無表情でまじまじと目の前の門を見て。


「このお家、確かに怪しいわね。十条って、この間の旅館の女将さんの名前とも似ているし.......特別隊全員で、リベンジチャンスかしら?」


 俺は、本気でこの弟子を尊敬する。


「.......そっか、リベンジチャンスか」


 思わず口元が緩む。そうだ、俺だって負けっぱなしは気に食わない。


「なに笑ってるのよ。私、あの時より大きい術を使えるように」


「知ってるよ! 思考がアグレッシブ過ぎてびっくりしただけだ!」


「どう言う意味よ」


 全力で走って、門をくぐった。


 家の中、至る所から視線を感じる。ここには沢山人がいる。それも、隠れて俺達を見ている。ここまで着いてきた監視の人は険しい顔で辺りを睨んでいた。


 でも。うん、なんか。

 思ってたより大丈夫そうだ。


 よし、かかってくるならかかってこい。リベンジチャンスだ。夏の勉強の成果みせてやるよ。俺はラッキーボーイだぞ、自慢の隊も一緒だし、例え何が出たって返り討ちだ。


「八条隊長!」


「はい」


 前を歩く、大きい背中に声をかける。


「俺の隊のリベンジチャンスですから!」


「君は何を言っているんですか?」


 振り返った調唄さんは、にこ、とサイレントに笑ってくれた。


「皆様、どうぞおくつろぎください。すぐに当主が参りますので」


 全員で中央に机が置かれた広い部屋に通される。畳は新しく綺麗で、座布団もちゃんと用意してあった。問題はテレビが無いことぐらいだ。


「しりとりしませんか? 暇だし」


「あんたマジで言ってんの!? この状況で普通しりとりやる!? まあ付き合ってあげるけど!」


「隊長、お供いたします!」


「和臣隊長、しりとりのり、からどうぞっ!」


「りんご」


 調唄さんはジェスチャーでしりとりに参加した。

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