強要

 この緊急事態に、謎の巨大魚の魚拓が飾られた部屋に集まったのは。


「.......早く帰っておけばよかった.......」


 第六隊隊長、六条詩太さん。

 そして詩太さんの頭をそれなりの勢いで叩いたにもかかわらず、物音1つたてなかった詩太さんの姉、六条調唄さん。サイレントで腕を組んだ調唄さんに見下ろされながら、詩太さんは長い前髪の下で遠い目をしていた。どこの家庭でも弟の人権はないらしい。涙が出てきた。


「わぁ、変な札ねぇ! こんな落書きまでしてぇ、誰が書いたのぉ?」


 血文字つきの札を持ってご機嫌のゴスロリ少女。そのダイイングメッセージらしき血文字を落書きで済まさないでくれ。自分から喧嘩売っといて「たすけて」は謎すぎるだろ。

 ちなみに先程、本部の封印庫の施錠は確認した。兄貴や先輩が酒呑童子の仕業を疑ったのだが、封印庫に異常は見られなかった。兄貴達はまだ鬼関連を疑っているようだが、俺はどうも酒呑童子がやったのは思えない。


「もう、イタズラぐらいで呼ばないでください。今日は朝から美容院の予約があるんですから」


 ちょっと不機嫌そうに、でも可愛く頬を膨らませる第三隊の鞠華隊長。しかし今日は普通の着物だ。残念。


「イタズラにしちゃあ度が過ぎてるから呼んだんだよ。んなことも分かんねえのか」


 先輩が青筋を浮かべる。それに対し、鞠華隊長はさらに頬を膨らませた。


「だって二条さんは小さなことですぐ感情的になるんですもんっ! 大袈裟なんですよ!」


「まあまあ、お二人とも。一度落ち着いて、七条くん達の話を聞きましょう」


 爽やかな笑顔の八条隊長が2人を宥める。この場に居るのはこれで全員だ。他の隊長や当主達は全員帰ってしまっていた。


 そして、兄貴が先程の出来事を説明し出すと全員からすっと表情が消えた。部屋の空気が重く張り詰める。流石に俺も真面目に背筋を伸ばした。


「.......ふぅん。おバカさんねぇ」


 ハルがつまらなそうに呟いたのに、調唄さんが音もなくうんうんと頷く。


「あのー、とりあえずこの封筒開けてみませんか? こんなの絶対零様に渡せないし、差出人書いてあるかもしれないし」


 結局兄貴に渡さなかった黒い封筒を掲げる。みんな複雑そうな顔ながらも頷いてくれた。ハルはもうこっちに興味が無いようで、ぺたぺたとうさぎのシールを兄貴の背中に貼る遊びを始めていた。


「おい和臣、気をつけろよ。あんなこと言ってきた相手なんだ」


「大丈夫大丈夫。いきなり爆発とかはさすがにないはず」


 丁寧に糊付けされた封筒を開けて、中の便箋を取り出す。しかし、そこにチラリと見えた達筆な文字に、思わずばしん、と中身を封筒ごと畳に叩きつけた。心臓がうるさい。


「ど、どうしたんだ和臣! 何が書いてあった!」


「い、いや、その、別になにも。お元気ですか、みたいな」


「嘘をつくなーー!!」


 どうしようどうしたら、と冷や汗が止まらない。え、なんで。どうして。


「.......し、七条くん! 手!」


「え」


 詩太さんが珍しく声を張った。それに兄貴と先輩が腰を浮かす。ハルと調唄さんが寄ってきたので、慌てて封筒を掴んで後ろに隠そうとして。


「痛てっ」


 右の手のひらに走った痛みに目を向ければ、畳と便箋が赤く染まっていた。よく見れば、便箋のあいだにカミソリが挟まっている。なんて古典的なんだ。引っかかっちゃったよ。


「和臣ぃ、見せてぇ?」


「だ、ダメだ!」


「むぅ? 自分で治したいのぉ?」


 とりあえずカミソリを便箋から抜いて、血だらけの封筒を胸元に突っ込む。兄貴が姉そっくりの角度で眉毛を釣り上げたが、全部無視して部屋の襖に左手をかけた。


「お、俺トイレ!」


「和臣! 待て! 話しをしろ! おい!」


「トイレだから!」


 襖を勢い良く閉めて、目の前の中庭に降りて軒下に隠れた。頭上のバタバタという足音が消えた後、そっと胸元から封筒を取り出す。


「なんでだ.......?」


 トカゲの火に照らされた、そこには。



 大層立派な文字で、「」と「」の名前が綴られていた。



 なぜ、どうしてこの名前が。

 脳内でヘラヘラ笑う変態がぐるぐる回る。それを大声を上げながら追いかける零様のご先祖さまも。


「.......え、これって内緒なんじゃないの? 変態が変態だから俺にバラしちゃっただけで、普通オフレコってやつなんじゃないの? もしかして結構オープンな情報だった?」


 この手紙、どうするべきか。

 誰にも見せてはいけない気がする。俺もなるべく見ないように目を細めておく。


「.......燃やすか」


 幸い今ここには何もかも灰も残さず燃やしてくれるトカゲがいる。この手紙はここで永遠に葬ろう。そして俺も忘れよう。これで完璧だ。

 カタカタ騒がしいトカゲ入りランプの蓋を開けようと、地面においたランプに手を伸ばして。


 現在隠れている軒下の前に、酷い既視感のある白い足を見た。


 あ、俺死んだ。


「も、申し訳ございませんっ!!」


 軒下から転がり出て土下座する。どうしてここに零様が。今日は考えることが多すぎる。これだけは言わせてくれ、俺は頭脳派じゃないんだ。でも脳筋ほどの筋肉もないんだ。助けて。


「良い、楽にしろ」


「はっ」


「渡せ」


 真っ白な手のひらが差し出される。やばいまずいどうしようもない。


「.......き、危険物の可能性が.......」


「出せ」


「.......はっ」


 恐る恐る手紙を渡す。もしこの手紙に不愉快なことが書いてあったら俺の首が飛ぶのだろうか。世の中理不尽だらけだ。俺今日なにも悪いことしてないのに。全部チャラ男が悪いのに。


「.......ここで血を流すな」


「申し訳ございませんっ!」


 手紙を受け取られると同時に、零様に手を取られた。やばい怖い助けて欲しい。


「七条和臣」


「はっ」


「明日、特別隊とともにここへ向かえ。八条ならば現在手が空いている。八条と、第八隊の一部を連れて行け」


「はっ」


 手紙の中に入っていたらしい地図と住所が書かれた紙を見せられる。とりあえず返事してしまったが、この住所。


 四国ってどこ。


 確か、俺は明日から別の仕事があったような。もしかして影分身を修得している前提で話が進んでいるのだろうか。すみません修行不足で。


「元あった仕事は後にまわせ。五条と一条には三条を付ける」


 本当にごめんなさい鞠華隊長。と言うか俺は明日あの2人と仕事する予定だったのか。そろそろメンバー考えてください。

 目の前で白い人が、ふっと手紙を持った手を振った。手の中の紙は一瞬で消え失せる。


「七条和臣」


「はっ」



「知っているのか?」



 白い目が俺を捉える。それだけ。たったそれだけで、この場所、この人の前では指一本、血の一滴すら自由はないのだと理解した。

 しかし、震える喉が言葉を発する前に。


「先の手紙にあった全ては虚偽である。他言はするな。ここで忘れるように」


「はっ」


 意外にあっさり許してもらえそうでほっとする。もしや道満さん関連の話は本当にオープンな情報だったのだろうか。確かに、ご先祖さまがわかった所で零様にあまり影響はない。案外当主達は知っていることなのかもしれない。


「では」


 ざっと頭を下げる。


「迷わず帰るように」


 ふっと白い人が消えて。ほんの数秒後に、廊下の端から髪がボサボサの監視の人が兄貴達を引き連れてやってきた。


「和臣! お前どこ行ってたんだ! 手は!? さっきの手紙はなんだ!」


「.......鞠華隊長、ごめんなさい」


「あら、七条さん急にお行儀良くなりました? ふふ、いいですよ。顔をあげてくださいっ!」


 兄貴を押しのけた鞠華隊長は、俺の手を取ってにっこり笑った。とことこやってきたハルは俺にペンギンのシールを貼った。


「兄ちゃんの話を聞けよ! 話しかけてるのは兄ちゃんだろ!? なんで三条なんだ!! 俺か!? 俺が悪いのか!? お前兄ちゃんのこと嫌いだろ!」


「七条.......さっきは笑って悪かった。俺ぁ今、本気でお前に同情してるぜ」


 兄貴の肩に先輩が手を置いた。八条隊長は顔を背けて笑いを堪えていた。詩太さんは少し遠くからチラチラこちらを見ていて、調唄さんはサイレントにあくびをしていた。


「あの.......八条隊長」


「はい、なんですか?」


「明日、四国行きませんか」


 びしり、と八条隊長の笑顔が固まる。周りの人達も動きを止めた。


「えぇー! 和臣ぃ、明日は私といっちーと雪いっぱいの山に行くんでしょお? 私も雪じゃなくておうどんがいいぃー!」


「俺、うどんは全然チェーン店でいいのに.......」


 涙を拭っていたら、白い女がやってきた。今度こそ正真正銘本物、本部の式神だ。俺と八条隊長、そして鞠華隊長が式神から黒い封筒を渡される。


「あれ、私にもですか? .......え」


 鞠華隊長が動きを止める。俺の分の封筒は読まずにそのまま胸元にしまった。

 隣で動きを止めていた鞠華隊長が、ゆっくりこちらを振り返って。


「七条さん.......さっきの謝罪って」


「ごめんなさい」


「.......やっぱりいつかコテンパンにしちゃいますからねっ! 美容院の恨みは怖いんですから!」


「わぁ! まりりんが来るのぉ? やったぁ! 勝博に教えてあげよぉっと!」


 嬉しそうなハルとは対照的に、鞠華隊長を哀れんで顔を引き攣らせている兄貴と先輩。八条隊長は爽やかな笑顔だが、俺を見る目が笑っていない。気持ちは分かるんですけど俺が八条隊長を指名した訳じゃないです。俺だってできるなら俺を嫌っていないコミュニケーションが取れる人と仕事がしたい。

 それから、調唄さんがわくわく顔で音もなくぴんと挙手した。四国に行きたいオーラがサイレントで出ている。


「.......い、嫌だ。調唄、自分の仕事あるだろ.......」


 調唄さんがサイレントに詩太さんの前に仁王立ちした。身長は詩太さんの方が高いのに、完全に見下されている。


「.......ぼ、僕だって隊が忙しいのに.......調唄の仕事まで、出来ない.......やりたくない.......」


 調唄さんが、人差し指で自分の顔を指した。それから、詩太さんのおでこにぐりぐりと指を押し付ける。


「.......僕だって.......仕事、あるのに.......」


 とうとう詩太さんが完全に俯いて黙ってしまった。調唄さんはこちらに向かってにっこり笑ってダブルピースして、私も行く、とジェスチャーしてくる。涙が止まらない。

 世の中のお姉様方。全ての弟に人権を。


 悲しいパワハラはあったものの、不穏なイタズラ調査のための四国行きメンバーは、特別隊と第八隊、調唄さんに決定した。



 詩太さんには、お土産を腐るほど買っていくことを誓った。

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