給料

 雨と風が弱まり、暴れる龍が大人しくなった後。


 弾かれたように、俺達は先輩が張った壁へと走った。


「兄貴.......!! 兄貴ーー!!」


「七条!! 聞こえてるか!? おい!」


「.......孝臣」


 俺たちの後からも、慌てた隊員達がかけてくる。顔に張り付いた恐怖を隠す事もなく、ぐったり動かない兄貴と牧原さんを見に。


「.......いっづ.......」


「兄ちゃん!!」


 のそり、と。大きい方の人間が起き上がった。手を握ったり開いたりして身体中を確認し、渋い顔をしながら頭を押さえる。そのまま、壊れ物を扱うように小さい方の人間を抱き起こした。


「.......げ、切ったか」


 頭を押さえていた手の平を見た兄貴が顔をゆがめる。それと同時に、兄貴の額につ、と血が流れ落ちた。

 背後から数人の息を呑む音が聞こえる。


「兄貴! う、動くなよ!! 治すから! 救急車!」


 膝が震えて足場から落ちかけたのを一条隊長と先輩に掴まれ、そのまま引きずられながら、警備服のポケットから札を取り出す。しかし、先輩と一条隊長は兄貴達のいる足場まであと少しというところで、ピタリと足を止めた。


「え、ちょ2人ともどうし」


「...................野暮」


「珍しくいい事言うじゃねぇか、一条。.......まあ、七条はアレで受け身ぐれぇはきっちりとってたからな。大丈夫だろ」


 2人に掴まれほぼ宙ずりの状態で、頭からダラダラ血を流している兄貴を見上げて。


「.......んぅ」


 もぞり、と兄貴の腕の中で目を覚ました牧原さん。その目が状況を取り込み、脳が理解するまで数秒。その数秒後に、牧原さんは訳の分からない音をだして泣き出した。なんだ今の音。


「ご、も、ち、血が、もうし、ごめんなさ.......」


「怪我は?」


「.......ぇ?」


「怪我はないか? ぶつけたり、捻ったところは? 怖かっただろう、大丈夫か?」


「あ、ありませんっ! 怪我は、ありませんっ!」


「そうか。良かった」


 兄貴が笑って、牧原さんはボロボロ涙を零しながらぽかんとした後、真っ赤を通り越してどす黒い顔色になった。そのまま、ぶるぶる震えて下を向く。

 牧原さんの肩を抱いてゼロ距離で顔を覗きこんでいた兄貴も、急に顔を赤くして俯いた。決して頭から出血が続いているから顔が赤い訳では無い。なぜなら耳まで真っ赤だからだ。


 この人たち、さっきめちゃくちゃ危ない目にあったの忘れたちゃったのかな。ていうか兄貴はさっさと傷を縫え。


「.......っ! て! 手、あて、を! 手当てを、させてくださいっ!」


「.......あっ、あぁ! 頼む!」


 ひっくり返った兄貴の声と、牧原さんの嗚咽混じりの震える呼吸。

 わたわたと立ったり座ったりを繰り返している顔真っ赤なあの二人は、大きな怪我もないようだ。たぶん病気だけど。こじらせ病。

 それに安堵のため息をつきながら、新しい足場に立って。


「.......兄貴の分は俺が働くんで、ちょっとそっとしといてやってください」


 だからあんま見ないであげて。未だかつて無いほどかっこ悪いから。


「おうおう、いい弟だなぁ! 涙が出るぜ! ついでにあの龍どうにかしてくれや!」


「...................雨.......止む、か?」


 俺が張った壁の上で、ぐったりと動かない傷だらけの龍。見ているだけ、この山にいるだけで、あの龍の悲しみが伝わってくる。あんな虫ごときに自分の土地をめちゃくちゃにされた悲しみ、傷を受けた悲しみ、あの美しい金の瞳に睨まれた悲しみ。


「おーい」


 ぎょ、と先輩と隊員さん達が俺を見る。もちろん、俺が呼びかけた相手である、悲しみに溺れた龍も。


「なあ、溺れた時にどうすればいいのか知ってる?」


『.......食い殺すぞ人間』


 主の殺気。でも、全然怖くない。これは、俺の知っている主の殺意とは違う。アレは純粋、混じり気も偽りもない絶対のものだが、これは違う。本当は悲しいのに、言葉を間違えているだけだ。


「暴れちゃダメなんだ。そうすると沈むから、じっとするんだよ。そんで浮いて、助けを待つんだ」


『.......ふん。.......。.......我は浮かん』


「丸くなってみれば? そしたら浮き輪みたいじゃん」


 つまらなそうに鼻を鳴らした龍は、ずる、と丸くなった。


「ここ、ちゃんと綺麗にするからなー!」


『.......』


「だから機嫌直せよー! あとで虫刺されの薬も買ってきてやるからな!」


 未だ悲しみの最中、それでも少しは浮いてきたのかもしれない龍に手を振って、地上へ飛び降りる。

 糸1本で自分を吊って、しくしくと雨をふらせている空を見ながら落ちていく。上にいる先輩はあんぐり口を開け、ほかの隊員全員は俺を火星人でも見るような目で見ていた。失敬な、俺は地球人だ。

 両足が地上に降りた瞬間に、血相を変えて駆け寄ってきた管理部の人達に取り押さえられた。ちょっと待って。


「待って待って待って!? なんで!? 俺これから手伝いを」


「誰だ貴様!! 主にあんな発言.......!! 機嫌を損ねたらどうする!? 総能への謀反か!?」


「ん? 機嫌はもう損ねてるっていうか」


「ふ、ふざけるな!! 相手は主だ! 下手なことはひとつだって許されないんだ!! アレの機嫌ひとつでここにいる我々は全員死ぬんだぞ!? ただのバイトが出しゃばるな!!」


「バイトなのは警備員っていうか.......本業は術者っていうか」


「うるさい!!」


 無抵抗だというのに数人がかりで地面に押さえつけられ、先輩に助けを求めようと顔を上げたらそれも押さえつけられた。腰元のトカゲは熱いし、そろそろ泣くぞ。


「離してくれぇ.......」


「離すか謀反者!!」


「.......はっ。もしかして今、警備員が取り押さえられてます? これ先輩ツボっちゃうんじゃ」


「何言ってる!!」


「.......ジョークも通じない.......ひぃん.......」


「な、泣き出したぞ!? 主相手にあんだけ図太い発言をしたくせに!!」


 ぱ、と誰かによって帽子が取られた。それは、顔が真っ青で、膝も帽子を持った手も震えて止まらない男性職員だった。


「あ! あなたは牧原さんの後輩さん! 良かった助けてください!」


「こ、この、この人.......!! し、七条特別隊隊長です! ゆ、ユメじゃなかった.......!!」


 震える声に続く、痛いほどの静寂。

 そっと、押さえつけられていた手がどいていく。なんとなく立っていい雰囲気だったので、泥を払って立ち上がった。


「.......どうも。警備アルバイトの七条和臣です」


 にこやかに言ったはずなのに全員気絶した。泣いた。


『.......ふん』


 ちょっと龍が笑った。良かったよ俺の心を犠牲にしたジョークが通じて。


「すみません、誰か札か.......ペンと紙でいいんで貸して貰えます? 式神足んないんで」


 返事がない。ただの気絶のようだ。

 ふと、とある木の根元に、膝を抱えて俯いているスーツの女性を見つけた。監視の人だ。


「すみませーん! 紙とペンか、虫刺され薬持ってませんかー? あったら貸してくださーい!」


「.......」


 す、とチューブの虫刺され薬を渡される。顔は上げてくれなかった。


 この日、龍に薬を塗った後先輩達と一緒に式神を大量に出して山の後片付けをして、腑抜けた兄貴に家まで連れて帰って貰った俺の給料は、3300円とデパートの商品券だった。

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