連携

 白く染まった視界は一瞬で晴れ、身体中の血液を揺らした衝撃は未だ抜けない。


「.......ら、らく、落雷です! し、七条特別隊長! ど、どうか管理部の、テントへ!」


 牧原さんは、本格的に気絶してしまった男性職員を一生懸命引きずろうとしながら前に進む。実際には1歩も進めていないので、俺が代わりに男性を背負った。


「テントどこですか?」


「や、やま.......山の、入り口付近です!」


 右手と右足が同時に出ている牧原さんは、それでも転ばずに俺たちの前を先導した。

 山の入り口には、忙しなくうごく黒い雨合羽をきた人々がいた。その奥には灯りの漏れるテントも。


「.......牧原! お前それ一般人じゃないのか!? なんで連れてきてる!! 帰せと指示しただろう!!」


「ひっ」


 懐中電灯を持って、何人かで地図を囲んでいたうちの1人が牧原さんを怒鳴りつけた。警備服の俺とスーツの監視の人を一般人だと勘違いしたのだろう。それにしても怒り方こわ。


「俺たち一般人じゃないです! たまたま通りかかったんで、お手伝いに! 人払いもこの天気だと大変だと思ったんで!」


「素人は必要ない! そもそもこんな天気の中やってくる一般人なんてほとんどいないんだ! 全てをバカみたいに人払いする必要はない! 我々はプロだ! 任せていろ!」


 確かに、と手を打って、男性職員を背負い直してテントへ向かう。気絶した牧原さんは監視の人が背負った。

 本当に、今日の俺は本当に余計なお節介をしてしまったようだ。そもそも休日にバイトの手伝いをしようとした所から間違えていた。俺は暇を愛する男だというのに、自ら進んで働くとは。


「慣れないことするからこうなるんだよな.......」


「.......同感です」


 これまた慌ただしいテントの端に2人を下ろす。その時、また外から、びしゃあんっ、と雷の音がした。雷獣もかくやというほどの頻度で雷が落ちる。本当に酷い天気だ。

 そっと、監視の人に聞いてみた。


「.......帰りますか?」


「.......今、徒歩でですか?」


「姉貴車出してくんないかなぁ.......」


 監視の人が大きなため息をついた。仕方ない、天気が落ち着くか兄貴が帰るタイミングまで待つか。兄貴ならどうせこんな虫退治すぐに終わる。


「牧原っ!! ムカデが動いた! 上はもう暴れてる! 早く新人連れて手伝え!!」


 テントの中に顔だけ突っ込んで、先程とは別の職員が牧原さんを呼んだ。あいにく牧原さんも新人さんも気絶している。なので、よいしょ、と警備服のベルトにランプを括った腰を上げた。


「牧原さんは今取り込み中なので、俺が代わりに行きます」


「は!? な、なんで普通の警備員が.......!?」


「通りすがりの術者です。気にせず使ってください」


「い、いやでも.......っええい仕方ない! 今山に巻きついてるムカデが動いてこの近くまで足が来た! ここが潰されないよう術で固定して、壁張るから手伝え!」


「はい」


 この制服と帽子があれば俺だと気づかれないし、気絶されない。今度からこの格好で仕事しようかな。

 テントから出れば、確かに先程まではなかった巨大な足が、すぐそこの斜面に見えた。まだ、ゆっくりと1本でさえ巨大すぎる質量を動かしている。


「お前は壁張ってろ! 足は俺たちが固定する!」


「了解」


 印を結んで足を開いた時。


 すとん。


 そんな軽やかな音ともに、頭上から目の前に、何かが降ってきた。細くしなやか、緩やかに反った銀色。


 美しい刀が1本、目の前の地面に刺さった。


「っ!」


 慌てて上を見上げる。雨風に目を細めながら、必死に頭上にあるはずの姿を探す。そこには。


 小さな壁。たった1つの足場に片手をかけ、風に吹かれるまま宙ずりになっている、男の姿。


「一条隊長.......!」


 第一隊隊長、一条斬貴きりたか。俺がいつもお世話になっている一条さんの息子さんだ。

 そんな人が、表情ひとつ変えず片手に全てをかけて宙ずりになっている。


 もう片方の手に、だらりとした人間を抱えながら、空中に揺られている。


「う、うわああ!? い、一条隊長のかた、刀か!? な、なんで!」


「ま、まさか.......負け、負けないよ、な?」


 誰かが叫ぶ。誰かが呟く。だが、その声より先に。


「っっ!! 【八壁はちへき守護しゅご十歌とおか】!!」


 印を結んだ手を上に掲げ、スピード重視、それでいてできる限り硬い壁を張った。


 ばりんばりんばりん、と散る音を立てながら、俺が張った壁は2枚を残し砕け散る。圧倒的質量に、押し負ける。

 ぶんっ、と。何かを嫌がるように、邪魔者を払うように大きく振られた大ムカデの頭にぶち当たって、8枚の壁が砕け散る。


「くそっ!」


 目の前の地面に刺さった刀を抜いた。警備員の白い手袋を外しながら、雨に濡れた指に、銀の指環をつけるために刀の持ち手を咥えて走る。


「なっ!!! 待て!!! 待てお前!!」


「その刀をどうするつもりだああっ!! 離せええ!!」


「.......っ! お待ちください!」


 管理部職員が追ってくる。監視の人も追ってくる。でも、説明する暇も、口もない。右手だけに指環を付けて、咥えた刀を持ち替えた。


「【三壁さんぺき守護しゅご百歌ももか】!!」


 階段。今、くるりと片手だけでぶら下がっていた足場へ舞い戻った、一条隊長まで続く階段。素手で戦わざるを得なくなっている、刀の一条まで続く階段。


 雨に濡れたそれを、踏みしめた。


「一条隊長ーーーーー!!!!」


 風にかき消される叫び声。滑る足元。

 確実に、階段を登る俺の脚。


 よく見れば、空中には小さな足場がバラけて大量に。そのどれもに、荒れた風の中を姿勢を低くし踏ん張り耐える、1、2、7の数字を胸に持った隊員がいた。山の空中に、約100人の術者が、それぞれ息を潜めて、この大ムカデを伺っていたのだ。恐らく、大ムカデが動かない内にタイミングを合わせ一斉に仕掛けることで、最も早く、被害を最小限に仕留めるつもりだったのだ。

 しかし、その大ムカデは既に暴れだしている。一条隊長の刀は、空から落ちている。


「.......っ!」


 またムカデが暴れる。今度は、その多すぎる足全てを動かして、山のてっぺんまでずりずりとねじ登ろうとしているのだ。

 山の斜面を、踏み潰しながら。


 思わず、一条隊長から目を逸らす。山に向かって、印を結んだ手をむける。


 しかし。


「.........................来い」


 暴風雨の中、聞こえるはずのない声量。しかし、その声は、確かに聞こえた。


「.........................ノープロブレム」


 その言葉通り。


「【滅釘の一めっていのいち咥埜毘釘しのびくぎ】!!」


 釘の雨が、空から降り注ぐ。


「.......え?」


 しかし、その釘の雨は、大半が大ムカデに刺さらなかった。全体の8割以上が、山肌に打たれる。大ムカデに打ち込まれた残り2割の内半分は、その硬い皮膚に負け跳ね返された。つまり、大ムカデに打ち込まれたのは残りの半分。


 全体の、1割。


 あまりの事態に、思考が停止する。

 あの、先輩が。第二隊隊長が、釘を打った結果が、これなのか。


「.............刀」


 ふと、耳元で声がした。俺が張った階段を降りてきた一条隊長が、俺の手からそっと刀を抜き取り、代わりにぐったりとした隊員を渡してくる。第七隊の隊服を着た男だった。


「.......一条隊長っ!」


 しかし、そんなことより。今は、先輩が釘を外したフォローを。


「.........................ん」


「え?」


 ぎちり。


 何か。今、足元で。聞き覚えの無いほど、張り詰めた音が。


「総員、かかれええええ!!」


 壁の上の隊員達が一気に動き出す。


 兄貴の怒鳴り声に、胸の数字に関係なく、全ての術者が動き出す。


 彼ら同様に、俺も下に目を向ける。そこには。


 釘と、糸の世界。


 地面とムカデに刺さった釘を支点に、大量の糸がこれでもかと張り詰められている。糸で山に縛り付けている、と言うのはあまりにも生ぬるい言い方だ。

 山中に、ムカデの体に、糸を引くための支点として言いようの無いほど的確な位置に刺さった釘により、山肌に出された全てが触れれば切れる刃のように張り詰められた糸。その無数の、終わりのない刃が、ムカデを地に留める。

 今、あのムカデには。釘が地面から覗いた僅かな隙間、糸と地面の僅かな空間だけしか許されていない。その領域を侵犯しようものなら、あの糸は、問答無用で全てを刻む。


「.......すげぇ.......」


「.............ん」


 たとえどれほどの術者であろうと、これほどまでに糸を張り詰めることは難しい。操る指の限界、人体の限界があるからだ。

 しかし、これは大量の支点を経由し、指にかかる負担を減らしながらも緩みを一切無くしている。この釘が無いまま同じことをすれば指が飛んでいる。支点である釘の位置がズレても、力の入れ方を間違えても指が飛んでいる。

 兄貴の糸に釘が負けて、釘が地面から抜けても、この刃の檻は成立しない。


 つまり。

 この涙が出るような、美しいの極点を生み出したのは。

 双方のあまりに完璧な、技術力量思考の把握と、その調節。


「一条ーー!!」


「.......ん」


 兄貴の声に、ぴょん、と隣りの一条隊長が足場を飛び降りた。


「えっ!?」


 地上何メートルだ、とか、こんな暴風雨の中で、とか。そんな心配、刀の一条には不要だった。


 まるで吸い付くように、ムカデの頭目掛けて落ちていく一条隊長。

 するり、と空中で刀を持った両手を掲げ、何を踏みしだくこともない宙の両足を、人体にとって、否、刀にとって最適な位置に曲げて。


「.............【ざん】」


 一太刀で、巨大すぎるムカデの頭を切り落とした。

 それに続くように、100人を越す隊長達が術をかける。頭を落としてなお、糸の檻で自身を刻みながら動く大ムカデに、火の類いの術をありったけ。


 俺は、ただ呆然と。


 その、あまりに美しい姿を、見下ろしていた。

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