忘却

 12月24日。

 和臣と連絡が取れなくなってから11日目。


「.......葉月ちゃん、ご実家には帰らなくて大丈夫? 私達は、ここにいてくれてもかまわないからね」


「.......はい」


 あの大騒動の後、隊長や当主達はまだ後片付けや封印のやり直しなどで本部にいる。私は、お姉さんと清香ちゃんしかいない和臣の家に、ずっと泊まらせてもらっていた。


「大丈夫だから、ね? 清香も.......。そうだ、クリスマスケーキ買ってこよっか」


「私、いらない.......」


 清香ちゃんは、じっと私の隣りで膝を抱えてテレビを見ていた。

 五条隊長と一条の当主と一緒に病院へ行ったはずの和臣は、連絡がないどころか。どこの病院で、何をしているのすら分からない。これは、お姉さんもお兄さんも同じらしい。花田さんにだって、連絡も領収書もきていないそうだ。勝博さんの行方も分からないらしく、五条隊長と一条のご当主は、少しも口を開かなくなってしまったらしい。


「.......お姉ちゃん、ちょっと用事あるから。すぐ帰って来るけど、留守番よろしくね」


「うん」


 お姉さんは私達に優しい。和臣の話題は出さないし、お父様達の話もしない。きっと仕事で疲れているはずなのに、毎日優しく話しかけてくれる。


「清香ちゃん、おやつ食べましょうか」


「.......いらない」


「.......そう」


 清香ちゃんはずっと、居間で膝を抱えて、数年前のテレビドラマの再放送を見つめていた。


「ねえ、葉月お姉ちゃん」


「なにかしら」


「サンタさん、来ると思う?」


「.......来て欲しいと思ってるわ」


「.......ふぅん」


 結局。

 その日、お姉さんは帰ってこなかったし。

 和臣だって、帰ってこなかった。


 12月25日。

 朝起きて居間を覗くと、清香ちゃんはやっぱり膝を抱えてテレビを見ていた。


「.......ねえ、清香ちゃん。お散歩行かない?」


「私はいい」


「.......そう」


 私も、清香ちゃんの隣でテレビを見た。

 その日は、なんだかやけに安っぽいドラマを4話見て、1日を終えた。


 12月26日。

 昨日の夕方帰ってきたお姉さんは、冬だと言うのに一日中裸足で縁側に座って、ぼうっと庭を見ていた。私も清香ちゃんも、その日はテレビドラマを5話見た。

 その日の夜、泣いている町田さんから、特別隊の名簿から隊長の七条和臣の名前が消えていると連絡を受けた。

 私は。ただ、そうなのか、と。何かがぷつんと切れた気がした。


 12月27日。

 お兄さんとお父様が帰ってきた。

 それでもまたすぐに京都に戻るらしい。

 その日はドラマは見なかった。


 12月28日。

 私は、校内模試をサボってドラマを5話見た。


 12月29日。

 夜中に、お姉さんが庭で泣いているところを見てしまった。私は何も言えずに、もう一度借り物の布団に入った。


 12月30日。

 特に何も無かった。


 12月31日。

 唐突に実家に帰ろうと思って、切符だけ持って改札をくぐった。朝からお兄さん達が帰って来ていて、年末特番の笑い声の音声が、あの広い家にやけに響いていた。


「.......」


 目の前でドアを開けた電車に足を踏み入れようとして、止めた。

 どうせなら。

 もっと、別の電車に乗ろうと思った。

 もうどこへ行くのか分からない電車がいい。戻ってこられないほど遠くへ行く電車がいい。

 そう思って。

 1度も使ったことの無いホームに止まった電車へ、乗った。

 ドアが閉まるアナウンスを聞き流しながら、じっと自分のローファーの先を見ていた。


 和臣はなんで連絡をくれないのだろう。なんで誰も和臣のことを教えてくれないのだろう。まるで、話しちゃいけないことみたい。もう居ないのだから、忘れろ、と必死で私達の記憶を消そうとしているみたい。

 なんで私はあの時、和臣と五条隊長の後を追いかけなかったんだろう。.......そんなの、ほかの負傷者の治療に行ったからだ。分かってる。それを放って行くことは、私には出来ないと分かっているのに。どうしても、後悔だけが。


「ーー行、電車のドアが閉まりまーす」


 閉まっていくドアに、背を向けた瞬間。


「え!? 葉月!!」


 ぐいっと、腕を引かれた。

 閉まっていくドアをすり抜けて、腕を引かれ後ろ向きに倒れ込む。やけにゆっくりと、自分のローファーの片方が脱げたのが見えた。

 どこへ行くのか分からない電車は、私のローファーを片方乗せて、どこかへ走り出した。


「ご、ごめん.......だってこの電車、3個先の無人駅で終電だぞ? 帰りの電車5時まで無いし.......」


「.......」


「え、まさか本当に無人駅に用事あった!? ごめん! 何となく間違えてる気がして.......降ろしちゃった」


「.......ねぇ」


「ん?」


 がさりと、スーパーのレジ袋を下げて。私を抱えて、一緒に尻もちをついたのは。


「遅いじゃない」


「ごめんごめん。危うく存在抹消されそうになってたんだ。っていうか今も危ういんだけど.......」


 怯えたようにレジ袋で顔を隠し辺りを確認する、おバカがいた。


「なんで連絡しなかったの?」


「聞いてくれ! 目の前で携帯壊された上に幽閉だぞ!? しかも質問責め! そして1問でもミスれば俺はその場で処刑だったんだ! まあ罰則規定破りまくった上色々要らんこと考えた俺が悪いんだけどさ! ごめんなさいね色々!」


「そう」


「あ、今の内緒な。隊長が違反とか笑えないし......あ、でも俺は今隊長じゃないんだけど。降格だ降格。とうとうスリーアウトチェンジ、っていうかデッドボールで退場だ」


「そう」


「まあ4月には昇格で元に戻るんだけど.......今年度いっぱいは管理部の職員ってことになってる。杉原さんが幹部に掛け合ってくれて助かったぜ.......って言っても杉原さんも謹慎処分になってたけど」


 和臣はレジ袋を持って立ち上がり、私に手を差し出した。その、長い指にそっと自分の指を重ねた。

 ぐいっと、思っていたより力強く引かれて立ち上がる。くるくる表情を変えて話していた和臣が、また表情を変えた。世界で1番びっくりしているのは、この人じゃないかという顔で。


「え、葉月靴どうした!? ご、ごめん、もしかして今脱げた!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 俺の靴履く!?」


「落ち着きなさいよ」


「え.......本当にごめん。おんぶしてこうか? 俺ん家まで」


「.......ええ」


「本当にごめんな。寒くない?」


 和臣は、なんでもないようにその場に屈んだ。それをじっと見ていると、早く乗ってよ、と腕を引かれる。


「.......やっぱりダメよ。あなた潰れちゃうわ」


「女子1人ぐらい背負えますけど!?」


 ぐいっと背中に乗せられた。和臣は本当にすくっと立ち上がって、スタスタ改札をくぐって行った。

 和臣の匂いがした。


「.......」


「いや、退院したと思ったらずっと1つの部屋に閉じこめられてさ。勝博さんも同じように質問責めされたらしくて、ハルが危うく総能を潰すところだったよ。一条さんが止めたけど」


「.......」


「あとさ、俺のこと嫌いって言った人が.......毎日花とかお菓子とか送ってくんの。しかも、俺は死んでると思って管理部に送っててさ。意味わからないだろ?」


「.......」


「本当は早く葉月にも家にも連絡入れたかったんだけどさ。ごめんね、俺本当に変な立場だったんだ」


「.......」


 自分の嗚咽と涙が全部和臣の背中に染み込んで行ってしまう。ぐえっと和臣から変な音がするほどきつく抱きしめた。


「ちょ.......た、たぶんこれは死ぬ.......」


「死ぬなんて言わないで!」


「ご、ごめん」


 自分でも驚くような金切り声で叫んで、もっと強く抱きしめた。和臣は小さく、ぎぶ.......と言って立ち止まった。少し腕を緩めると、ぶはっと和臣の呼吸音が聞こえた。ちょっと力が入りすぎたみたいだった。


「.......ごめんね、葉月」


「.......私だけじゃないわ。あなたのお家、今どうなってるのか知ってるの!?」


「.......ごめん。でも連絡する訳にはいかなかったんだ。兄貴も父さんも、総能の上の方にいるから.......俺と連絡取ったってバレたら、2人も幽閉と質問責めだよ」


 難しい話をしないでちょうだい。もっと声をきかせてちょうだい。


「.......清香ちゃんはね、クリスマスケーキも食べなくて、サンタさんも来なかったのよ」


「マジか.......」


「お姉さんはね、台所にあるあなたの包丁を見る度、泣きそうになってたのよ」


「マジか.......」


 和臣はさらっとバスに乗った。でも、座席には座らず、私をおぶったまたつり革に掴まって立っていた。


「お兄さんもお父様も、お仕事で忙しいだけじゃなくて痩せたわ! このままじゃ倒れちゃうわよ!」


「うん。ごめん」


 結局和臣は1度も私を降ろすことのないまま、あの大きな家の前にある坂を登りきった。私も1度も和臣の背中から顔を上げられなくて、和臣の上着はもうびしょびしょだった。


「.......今家みんないる?」


「い、いる.......」


「そっか」


 がさりと、スーパーの袋を鳴らして私を背負い直して。

 和臣は、立派な門を、堂々とくぐった。


「ただいま! ごめん!! 日本史を覚えてたら家の電話番号を忘れたんだ!!!」


 最高におバカな挨拶とともに、和臣はちゃんと帰ってきた。

 チョコレートケーキの材料だけは、忘れずに買って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る