こぼれ話

第50.5話 門が開く

 線が引かれた。


「と、止まった.......?」


 網にかかる負担が軽くなる。

 五条の札によってギリギリでもっていた網を張っていた指には、血が滲んでいた。


「やったぁーー!! 和臣がやったよぉ!!」


 五条がぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 しかし、その顔は青白い。

 これだけの壁を張った上、俺の網にまで札をはって支えていたのだ。

 並の術者では到底できないし、恐らくこんな真似ができるのは五条だけだ。

 俺の優秀な弟ですら、ここまで高度な術を使えるかは分からない。

 それでも、俺の弟はやったのだ。

 人では絶対に超えられない存在である神を、押しとどめたのだ。


「や、やった!! やった!! 和臣ー!!」


 その場で腕を上げて喜ぶ。

 さすがに飛び跳ねはしなかったが、指の痛みも忘れて拳を握りしめた。

 その場にいた人間は皆口を開け、呆然としている。

 それはそうだろう。押しつぶされそうな絶望感の中、まだ高校生の子供が、神を止めたのだから。


「た、孝臣さん!!」


「ん?」


 この喜びの中、やけに切羽詰まった声がかかる。


「あれ、葉月ちゃん.......って、零様!?」


 弟の弟子が肩を貸していたのは、弟と共にいるはずのお方。

 その人は、真っ白な姿を真っ赤に染め、その美しい眉を寄せていた。


「ど、どうしましょう! 私では手に負えなくて!」


「だ、大丈夫だ! すぐに医療班を.......」


 俺自身も糸を使えばある程度の治療が可能だが、まだ網に使った糸が回収しきれていない。

 俺の弟のように、一瞬で糸を引き上げるなど、俺には出来ない。


「.......来た」


「はっ.......?」


 零様が何か呟くと、俺の後ろから誰かがやってきた。

 よく見れば、弟の式神だった。


「治療を」


「.......頼む」


 式神が治療を始める。相当力を込められているのか、みるみるうちに傷を塞いでいく。


「.......やっぱり、お前は凄いな」


 天に立つ弟を思い、複雑な気持ちになる。

 俺は、弟が好きだ。

 10歳も歳が離れているので、あいつが生まれた時は可愛くて可愛くて、ずっと見ていたかった。

 3つ下の妹は、気が強く少し困っていた。

 それに、おままごとに付き合わされるのにも、少しだけ困っていた。

 そんな中、弟が生まれた。

 小さくて、柔らかくて、俺の弟はそれはそれは可愛らしかった。

 妹もこの可愛い生き物が気になるらしく、2人でずっと構って母に怒られたりした。


 俺は、神童と呼ばれていた。

 自分でもそれに見合った能力は持っている自覚はあったし、七条の長男としての努力も当たり前だと思っていた。

 妹も、相当な能力者だった。それに、相当な負けず嫌いだった。俺が術の練習をしていたら、絶対に俺より長い時間を練習に当てていた。

 そんな妹が可愛くて、俺は隠れて練習するようになった。


 俺達兄妹で、七条は安泰と言われていた。

 俺達も、自分達が家を守ると思っていた。


 弟の才能に気づくまでは。

 俺の弟は、次元が違った。

 同じ糸を使っているはずなのに、全てが違う。

 ただの術ですら、あいつのように息をするようには使えない。

 あいつが史上最年少で免許を取った時、周りの態度はガラリと変わった。

 家を継ぐのはあいつだと。

 術者の上に立つのはあいつだと。

 俺と静香は、もういらないと。

 正直、あいつに嫉妬もしたし、醜い感情も抱いた。

 それでも、あいつが庭の池の鯉を釣り上げて、ニコニコしているのを見てしまえば、俺も静香も、あいつを大事に大事に撫でたくなってしまうのだ。


 そんな弟が、初めて仕事を受けた後。

 帰ってきたあいつが、俺と静香を見て、ビクッと震えた。

 あの時の気持ちは忘れない。忘れてはいけない。

 夜中、泣きながら俺の部屋にきて、「兄ちゃんも、姉ちゃんも、俺のこと嫌いか?」などとくだらない質問をした俺の弟を、そんなことで傷ついて術者を辞めてしまった俺の弟を。俺は、絶対に守らなくてはいけなかったのに。


 それから、俺も静香ももっと術を磨いた。

 弟がくだらない心配をせずに、自由に術者をやれるように。

 結局、俺はまだ弟には敵わないけれど。

 今は、俺の天才の弟を、手放しで褒めてもいいのだろう。


「.......っ!! 総員注意!!」


 零様が、急に指示を出す。それによってまた傷が開いて、赤い血が流れる。


 そして。


「っ!! 逃げろーー!!!」


 喉が裂けるほど叫ぶ。

 無理矢理糸を張って後ろの部下達を守るが、それもほとんど意味が無い。


 呆然としている葉月ちゃんを抱き抱え、地面を転がる。

 零様は式神が庇った。


 そして、


 門が開いた。



「五条ーーー!!!」


 起き上がりながら叫ぶ。

 この状況に対応できる術者など、彼女しかいない。


「【六面ろくめん抑縛おさえしばり十歌とうか】!!」


 門を壁が囲う。それでも、一気に5枚の壁が弾け飛んだ。


「.......っっ!! 勝博ぉぉお!!! 来なさぁああい!!」


 五条が札を投げながら、叫ぶ。

 どこからか現れた男は、周りの人間の前に一気に壁をはる。


「.......っ!! 持たないぃ!!」


 ばぢんっと、壁が飛んだ。

 そして、霊が溢れる。


「【護糸まもりいと】!!」


 零様と葉月ちゃんを守るが、もう指が限界だ。

 辺り一面に溢れ出た霊など、いつまでも凌げない。

 霊は、妖怪とは違う。

 妖怪のように独自の道理に従って動くのではない。

 人間と同じ、人の心を持って。

 明確な殺意と憎しみによって、俺達に襲いかかる。


「.......っくそ!」


 ばきっと指環が壊れる。


「あっっ!!!」


 葉月ちゃんが声をあげた。


「和臣!! 和臣が落ちた!!」


「なっ、どういう事だ!?」


 天を見ると、何かが落ちていた。

 落ちていると言うより、引っ張られている。


「和臣!! あれは和臣なの!!」


 葉月ちゃんが叫ぶと、零様が手をあげて、ぎゅっと握った。

 それで、俺の弟は掬われるはずだった。

 そう、はずだった。


「.......は?」


 そう呟いたのは、誰だったか。


 和臣は、門の中に落ちた。

 そして、門が閉まり出す。


「ま、待って!! 誰か、誰か和臣を助けてっ!!」


 葉月ちゃんはもう可愛そうなほど取り乱していた。

 俺は、頭が真っ白になってしまって、一瞬動きが止まった。

 零様も、目を見開いて固まっている。


 そして。門が閉まった。


「ああああ!! 和臣ーー!!!」


 葉月ちゃんから、信じられない霊力が溢れる。

 それで、周りの霊が消し飛んだ。


「七条! 部隊をまとめろ! 動けるもので対処する!」


 零様は手刀で周りの霊を薙ぐ。

 俺は。


「.......承知、しました。.......第七隊! 総員戦闘開始!!」


「た、孝臣さん! 和臣が、和臣が!! ねえ!!」


「.......葉月ちゃん。危ないから、ここにいなさい」


「ねえ、ねえっ!! 和臣を助けてよ!」


 俺の弟を追いかけてこんな所まで来てしまった女の子。

 俺の弟を想って泣いてくれる女の子。

 俺は、そんな子の声に応えられなかった。


「.......」


「隊長ーー!! 下に溢れますっ!!」


 部下が叫ぶ。その部下も、自分に壁をはるだけで精一杯だ。


「多少は仕方ない! 下にいる奴で対応しろ!

 ここでは少しでも減らすことに集中しろ!!」


 大量霊の中に、足を踏み出す。

 俺は、百人の部下と、守るべき一般人を優先した。


「お願いっ!! 和臣ーー!!!」


 葉月ちゃんの叫びを後ろに受け、俺は霊を消し飛ばす。


「【滅糸めっしさん至羅唄糸しらべいと】!!」


 指の激痛を無視して、霊を消し飛ばす。


「たかちゃーーん!! もう無理ー!!」


 五条は、自分に壁も張らずに札を投げている。

 頭から血が流れ、服がちぎれ飛ぶ。


「頼む! もう少し頑張ってくれ!」


 糸を巡らせていく。どこまで行っても、隙間もないほど霊が溢れている。


「っ!! 」


 山頂付近にいる隊長達は、それぞれ確実に霊を消している。彼らの周りにいる者は大丈夫だろう。

 問題は、門の近くだったここ。


「っ!!勝博ぉ!! かけなおしなさい!!」


 血だらけの男が、部下達に壁をはる。


 そして、どれ程の時間が流れたのか。

 ほとんどの霊が消された後。

 全員がどこかしらから血を流し、両足で立っているものなどいなかった。

 これまた傷だらけの医療班が急いで手当をしていく。


「和臣っ!和臣!」


 葉月ちゃんは霊力をばら撒きながら地面を叩く。

 そして。


「うん。これは僕が悪いな。あそこで油断したのがいけなかった」


 真っ白な着物を来た男が、葉月ちゃんの目の前に立った。


「やあ。ちょっと手伝ってくれないかい?」


「お前っ!」


 葉月ちゃんが歯を剥き出しにして怒鳴る。


「うーん。少し落ち着いてくれ。大丈夫、まだ間に合うさ」


「.......」


「おやおや。力の出しすぎたね。少し引っ込めようか」


 男がぱちんっと指を鳴らすと、葉月ちゃんの霊力が消えた。


「っ!!」


「いいかい? 僕がもう一度門を開けよう。君は、和臣くんを呼べばいい」


「.......」


「信じてくれ。僕はこんな所で和臣くんを失うわけにはいかないんだ」


「.......嘘だったら殺す」


「はははぁ! それは素晴らしい! っと、急ごうか」


 男は手刀で、地を裂いた。

 そして、門が現れる。


「いいかい? 死ぬ気で呼びたまえ。彼がきちんとここに戻れるようにね」


「和臣! 戻ってきて!!」


 葉月ちゃんは現れた門を叩いて叫ぶ。


「うん、呼び声は問題なさそうだ。じゃあ、開けようか」


 門が、開いた。

 全員が構えをとる。もうボロボロでも、戦うしかない。


「ああ、さすがにここは僕にまかせてよ。これぐらいはしないとね!」


 男が腕を振り上げると、門から出ようとした霊が消えた。


「はははぁ! さ、お帰りだよ!」


 そして。


「和臣!!」


 走り出てきた弟を葉月ちゃんが抱きとめる。

 膝から力が抜けて、崩れ落ちそうなのを気力で耐え、男を見る。


「ふう。よかったよかった。じゃあ、僕は失礼するよ。さすがにここに居座るほど野暮じゃないからね! はははぁ!」


 一瞬で男が消えた。


 こうして、俺達はまた新しい年を迎えたのだった。

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