第39話 文化(急)
「さあ!話をしようじゃないか!」
男はゆったりと両腕を広げる。
俺の糸は、まだ男を縛っている。それにも関わらず、目の前の男は糸を押しのけて動いているのだ。
異常だ。縛られたまま動けば、糸が食い込み肉が切れるはず。それなのに、この男は悠々と、まるで何にも縛られていないかのように真っ白なスーツの皺を伸ばす。
そして、この男の以上さはそれだけにとどまらない。
今男が使った術。
この屋上は今、ズレている。現実から少しズレた、違う座標軸に固定された。
こんな術は、大規模な儀式を持ってしか使われない。
それを、この男は指を鳴らすだけでこなしたのだ。
あまりにも、異常すぎる。
ひゅん、と。俺の後ろから、鋭く札が飛ぶ。
葉月が投げた札は、男の目の前にすら到着せず、空中で青く燃え尽きた。
「「!?」」
「うーん。君、邪魔しないでおくれよ。僕は和臣くんと話をするんだから」
男が、ぱちんっと指を鳴らす。
「!?」
驚いたように肩を跳ねさせた葉月が口を大きく開けて、何かしている。
喉を手で抑えて、必死に目で俺に何かを訴える。
声が、出ない。どうしよう、と。
「大丈夫だよ! ちょっと声をもらっただけさ! 話が終わったら返してあげるからね」
縛る糸を強めても、男の動きは変わらない。
ただ滑らかに、優雅に動くだけだ。
「七条和臣くん。さっそくだけどお話をさせてもらうよ!」
男が黒い帽子を取って、底を下にして地面に置いた。
「和臣くん、君、
「.......何、言ってる」
かすかに、自分の指先が震えたのがわかった。それに構わず、男は大袈裟な手振りを交えて話を続けていく。
「天だよ、神の
「.......何言ってる! 人が、人が神の領域に触れていい訳がない!」
「僕はずっと待っていたんだ! 君が産まれるのを!」
男は、これ以上ないほどの笑顔を俺に向け。
「和臣くんは、
「……人と、それ以外の、境目」
「ははははぁ! そうだね! そうだよ!だけど、君が考えているのは、
こいつは、何を言っている。
「要は鏡写しの鏡のことだ! 妖怪と人間の住む世界の区切りだね! 僕が言っている境界は、
「.......」
「僕はね、その溝に興味があるのさ! まあ、趣味みたいなものだね。だからずっと、待ってたんだ! 境界を変える人間を!」
「.......どういう事だ?」
「僕はずっと、境界を変えるのは一条の人間だと思っていたんだ。刀で斬れば、別の溝ができると思ってね。だけど、待てど待てどそんな人間は現れない。まあ、気長に待っていたよ。でも、ある日! 気づいたんだ!」
男は、芝居掛かった仕草で頭を抱え。らんらんと、こぼれ落ちそうなほど見開いた瞳を、人間とは思えないように輝かせ、笑った。
「境界は、線だろ? 七条の、君の使う糸!
にたぁっと、唇を歪ませた男が俺を見る。
「和臣くん、僕と境界を変えないかい?」
「変えない。そんなことに興味はない」
「ははははぁ! 即答! ぞくぞくするよぉ!!」
男は自分の体を抱いて身をくねらせた。
葉月が後ろで身じろぎをした気配を感じた。
一体どんな顔をしているのかまで想像がついた。
「でも、そうだろうね! 僕もこれは趣味だし、君の意思を尊重するよ!」
「.......?」
「と、思っていたんだけど。そうもいかなくなったんだ。和臣くん、君には線を引いてもらうよ」
急に表情を落とした男は、こつんっと地面に置いた帽子を蹴った。
「!!! 【
葉月と俺を6面の壁が囲う。隙間なく立方体に組み上げた壁が、帽子から飛び出してきた黒い何かを防ぐ。
「最高だよ!! 和臣くん!!」
黒い何かは、ビチビチ動きと壁を食い破ろうとしている。
「でも、そろそろ急がないとね! 君のお兄さん達は思ったより優秀だったようだ!」
ビキ、と壁にヒビが入り。
砕けた。
「!! 葉月!」
葉月を胸に抱えて、その場に倒れこもうとした時。
ひゅっと、俺の胸元から何かが飛び出した。
「おやおや? これは.......」
胸から大量に飛び出した何かが、俺たちを襲う黒い何かに張り付いていく。そして、それはズレたこの空間そのものにまで張り付いた。
当たり一面にキラキラと張り付いているのは、黒封筒から出た、シールだった。
「.......五条の札か」
男がつまらなさそうに呟いて、黒い帽子をかぶった。
「邪魔が入ってしまったね! 今日はここまでだ!」
そして、また。ぱちんっと指を鳴らす。
「またね! 和臣くん!!」
男がくるりと後ろを向いた瞬間、黒封筒が鋭く男に向かって飛んだ。俺も、素早く糸を伸ばして、男の腕に巻き付ける。
「ははははぁ!! 僕も名残惜しいよ! でも、さよならだ!」
男は自分の腕に向かって手刀を落とし、腕を切ってそのまま消えた。残された男の腕は、黒くどろりと溶け、急いで黒封筒を拾って腕だった物を中に入れた。
「【
近くに落ちていたシールで封筒に封をして、ポケットに仕舞う。
「.......和臣」
「葉月、怪我は?」
「大丈夫よ、ねえ。今の.......」
ズボンの携帯が鳴る。
着信は兄貴。
「.......もしもし」
「和臣、すまん。少し忙しくて出られなかった」
「大丈夫か? 鬼は.......」
「倒した。静香が家に戻ったから、清香は心配するな」
「そう、か.......」
「それから。本部からの緊急招集だ。.......全ての隊長、当主が呼ばれた。そして、お前が指名された」
「わかった」
「.......まずい事になってる」
「わかった、今日は早く帰る」
電話を切って、屋上から出た。階段を降りる2人分の足音だけが響いている。
「.......和臣」
「いやぁ! びっくりしたな! あんな不審者なかなかいないからな!」
「.......」
「ハルの封筒がなかったらまずかったな! さすが隊長だ!」
「.......和臣」
「大丈夫だ。すぐに第七隊の人達がくる。学校もしばらくは警備してもらえるはずだ」
不安そうな葉月に、力強くそう答えた。ここは第七隊、そして七条家のお膝元、そうそう簡単に何かが起こるはずがない。
しかし目の前の葉月は、綺麗な眉を八の字に歪めたまま。
「ねえ。和臣は、大丈夫なの?」
「なにが? あ、メイドに行けなかったことか?割と堪えてる。泣きそうだ」
「.......招集って、」
「まーた京都だよ。面倒だな!」
「.......まずいって」
「またあんな怖い人集団の中に入るなんてな。今度こそ消されるかも! はっはっは!」
「.......帰って、来てよ」
一瞬浮いた葉月の手は、そのまま所在なさげに宙を彷徨って、最後はリボンのある胸元に添えられた。その上の顔は、先ほどの何倍も不安そうで、泣きそうで。
「当たり前だろ?」
「.......そうよね」
その日は、そのまま帰った。
文化祭2日目は欠席。大変悔しいが、仕方ない。田中と山田が、俺の分までメイドを楽しんでくれればそれでいい。
その日の朝早く。まだ夜が明けていない時間。
「和臣、行くぞ」
「おう」
俺は、再び京都に向かう。
秋は、もうすぐそこまで来ている。
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