第38話 文化(破)

 いきなり現れた、怪しい男と向かい合う。警戒している俺とは対照的に、男は楽しそうにニコニコと笑っていた。


「.......まさか。お前が、これをやったのか?」


「はははぁ! そうだよ! 自信作だ!」


 隣で葉月が札を構えた瞬間。


「おやおや、君はダメだよ」


 瞬きの間に葉月の目の前に移動していた男は、ふわりと葉月の手を握り、優雅な動作で札を取り上げた。


「なっ!」


「君もなかなかズレているね。だけど、まだまだ足りない」


「【禁縛きんばく】!」


「おお! 君はやっぱりいいね! 最高だよ!」


 俺の術は確実に男を捉えた。それもかかわらず、相変わらず自由に動き続ける男は、ニコニコ笑いながら芝居掛かった動作で腕を広げた。


「【空縛そらしばり】!」


「おやおや。だから君はダメだよ」


 葉月の術も効果はなく、にやついた男が、ゆっくりと葉月に手を伸ばす。


「【縛糸しばりいと】!!」


「っ!! 」


 葉月の声に、男が咄嗟に離れる。

 俺は未だ棒立ちの葉月の前に出て、男を睨んだ。


「ふっふふふふ!!! あは、あははははぁ!! 最高、最高だよ!!」


「お前誰だ? どこの犯罪者だ」


「ははははぁ!! 僕かい? 僕はね、そうだな.......。天使! エンジェルと呼んでくれ!」


 満面の笑顔で、男はそんなことを口にする。


「.......頭おかしいのか?」


「はははぁ!! やっぱり最高だね! 和臣くん!」


「っお前、なんで俺の名前を知ってるんだ!」


「なんで? なんでかって? ふは、はははぁ! 面白い、やっぱり最高だよ!」


「.......」


 無言の俺に気がついた男は、急に笑いを納めた。


「おっと。失礼失礼、僕ばかり楽しんでしまったようだね! 和臣くんとはもっと話をしたいんだけど、君はそんなつもりはないようだ」


「完全に不審者だからな。警察呼ぶぞ」


「ふふっ、あっはははぁ!! 警察だって!? 君、僕を笑い殺す気かい?」


 男はまた、ひとしきり笑ったあと、頭の上の黒い帽子を取って胸の前にあて、こちらに向かって芝居のようにうやうやしい礼をした。


「その札がここにあと9枚ある。全部取ってきたら呪いを解こう!全部取ったら、屋上に来てくれ。そこで話をしようじゃないか!」


「誰がそんな話にのるか」


「はははぁ!! いや、君はこの話にのるよ、和臣くん! なんたって、その札放っておいたら死んじゃうよ? 君のお・と・も・だ・ち!」


「.......どういう、事だ」


 自分の声なのに、聞いたこともないくらい低く、掠れた声だった。


「分かってるくせに! その呪いはね、僕が考えたんだけど。近くの人間、みんな呪い殺すように作ってある。放っておいたら周りの人はみんな死んでしまうよ? 君が大事にしているお友達も、一般人も!」


「笑えねぇな」


「じゃあ、始めようか!」


 男がくるりと帽子をかぶった瞬間、もうそこに男はいなかった。


「和臣.......」


 後ろで、不安そうな声がした。


「こんなバカな話があるか。兄貴に連絡するから、下手なことはしないで待つぞ」


「え、ええ.......」


 電話をかけるが、繋がらない。


「くそ、どうして出ないんだばか兄貴! 姉貴は!?」


 姉に電話をかけても、繋がらない。


「くそ、くそ! どういう事だよ! まさか寝てるのか!?」


 そんなはずはない。そんなはずはないのだ。

 では、なぜ2人は電話に出てくれないのか。

 婆さんに電話をかけても、繋がらなかった。


「和臣!! これ!」


「なんだ!?」


 葉月が、青い顔で胸元のポケットから取り出したのは。

「17時までに来てね——エンジェル」と書かれた、ゆかりんの生写真。


「.......おい、それ……いつ、そんなとこに入れられた.......?」


「わ、分からないのよ。どうしよう、和臣! みんな死ぬって! 嘘よね、そんなに簡単に、人は死なないわよね!」


「.......【しき】」


 人型を2体、鳥型を5体出す。今持っている札では、これが限界だった。


「和、臣.......?」


「葉月、手伝ってくれ。今から札を探すぞ。見つけたら触らずに俺を呼べ」


 桜の木から、問題の札を剥がす。そのまま胸元に突っ込んで、残りの札を探すために歩き出した。


「和臣、大丈夫なのよね!?」


「大丈夫だ。絶対に」


「そ、そうよね、大丈夫よね」


「念の為だ。念の為! 一応札がないか確認して、さっさと文化祭に戻るぞ! 俺はメイドに行くんだ!」


「そう、よね。メイドはともかく、早く文化祭に戻らないとよね」


 無理やり笑った葉月と別れて札を探す。


 最悪なことに、人気の少ない昇降口の隅に、その札はあった。


「くそ、マジかよ」


 乱雑に札を剥がす。

 その後も、野外ステージの裏、俺達のクラスの机、保健室、音楽室、美術室、理科室、中庭の木の裏から次々と見つかった。


「8枚目.......」


「和臣、これ.......」


「いや、大丈夫だ。あと1枚だし、だいたいあの男が本当のことを言ったかも分からない。あまり振り回されすぎない方がいい」


「そ、そうよね。あんなに怪しい男の言うこと、信じる方がどうかしてるわよね!」


「そうだ、もしこのまま見つからなかったら、警察呼ぼう。完全に不審者だ」


「じゃあ、残りを探しましょう。あと、探していない所は.......っ」


 唐突に、ポケットの中の俺の携帯が鳴り響く。

 着信は妹の携帯から。確か妹は今日、うちの文化祭に来る予定だった。


「もしもし? 清香、もしまだ家にいるなら.......」


「か、和兄、どうしよう。孝兄も静香お姉ちゃんも、山にいっちゃった」


「は? 山? 仕事か?」


「う、うん。やっ山で、お、鬼が出たって」


「なんだ、それぐらいなら大丈夫だ。鬼ぐらい兄貴達ですぐに.......」


 そこで気づいた。


 今、昼間だ。


「お、おかしいよね? どっ、どうしよう! 家、家まで変な声が聞こえる!」


 ぶわり、と全身の毛が逆立つ。

 こんな真っ昼間に、うちの裏山に鬼が出るなどあり得るわけがない。何か、何か相当なイレギュラーが起きている。


「戸締りはしてるな!? 明恵さんは!? 」


「いっ、しょに、いるっ! 和兄.......っ! きて、早っ、く、帰ってきてぇっ!」


 妹のしゃくりあげる声ばかりを携帯のマイクが拾って、ざわざわと俺の全身が波立つ。


「清香、兄ちゃん、すぐ行くから。だから、明恵さんは清香が守るんだ。いいな?」


「.......こ、こわっ、い!」


「大丈夫だ。家の中まで入ってくるなんて有り得ない。それに、兄貴達も行ってるんだろ? 大丈夫だ」


「やぁだぁ!! 和兄来てっ!!」


「大丈夫だ。清香、テレビつけて、明恵さんと居間にいろ。な、できるだろ?」


「で、できっないっ!」


「出来るよ。大丈夫だ。清香はもうお姉さんだろ?」


「.......っ」


「そうだ、明日の録画取っておいてくれよ。ゆかりんの大食い番組」


「.......か、和兄のば、ばかっ! 早く、来てよ!」


「すぐ行く」


 電話を切って、息を吐いた。


「.......和臣?」


「こんなバカな事に、構ってられるか」


 剥がした札を握り潰す。色々な事が頭をまわり、冷静でいられる自信が無い。

 そんなところに俺の式神が、札の最後の1枚を持ってきた。


「.......屋上行くぞ。アイツ縛り上げて、さっさと帰る」


「.......そうね」


 夏から、一応いつも持つようにしている手袋と指環をつける。階段を登り切った屋上の扉を乱暴に蹴り飛ばして、屋上で1人優雅に佇む男に糸を張った。


「あはははぁ!! 素晴らしい!! 和臣くん、やっぱり最高だよ!」


 糸は男の周りで止まる。

 何か結界のようなものを張っているのだろう。

 普段ならそんなもの糸が切り裂いて関係ないが、この男の結界は破けそうにない。


「いいね! いいね! 本当に想像以上だよ!」


「【切糸せっし】」


 切断特化の術により、男の結界が破れた。そのまま、俺の糸は容赦無く、無防備になった男を縛り上げる。


「ひとつ聞くぞ、お前、今山に出ている鬼に関係あるのか?」


「ああ! もちろんさ! あの鬼に名前を教えたのは僕だし、境界を超えさせたのも僕だ! 昼間にこちらに出てきてあの強さ、なかなか良い出来だろ?」


「.......葉月、本部に電話してくれ」


「わかったわ」


「ああ、それはダメだよ。ナンセンスだ!」


「「!?」」


 男はすっと立ち上がった。俺の糸は、まだ男を縛っている。


 あんな風に、立てるはずはない。


「せっかく僕と君だけ.......ああ、もう1人いたね。まあ、だいたい僕と君だけなのに、他人を呼ぶなんてナンセンスだ!」


 男が、ぱちんっと指を鳴らす。


 それだけで、屋上が元の世界から切り離された。




「さあ! 話をしようじゃないか!」


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