謀略の顛末(6)

 帝国軍大佐という肩書きは伊達ではなく、ヴィンセントは攻勢に移るタイミングを失ったまま、オスカーに次第に押されていた。


 一撃の重さは僅かにヴィンセントの方が上だった。攻撃を出す隙さえ作れれば、オスカーを押し切ることも可能だ。


 だが、オスカーの手数はヴィンセントと比べて、あまりに多かった。素早く、尚且つ、軌道の読めない一撃がヴィンセントの防御を待たずして襲ってくる。


 その対応を押しつけられれば、流石のヴィンセントでも攻勢に移れるはずがないと言えた。


 戦場は取調室の中から取調室の外に移り、空間は広がっている。この広さなら、一撃の重いヴィンセントの方に本来なら分があるはずだ。


 ただオスカーもそれくらいのことは分かっているだろう。

 だからこそ、ヴィンセントに動かれないように手数で押し切ろうとしている。


 そして、それはヴィンセントにうまく嵌まり、ヴィンセントは今にも押し切られそうだ。オスカーの考えの全てが分かったわけではないが、ここでヴィンセントが倒されることは最悪なシナリオと言える。


 シナリオ。不意にその言葉がオスカーの声で蘇り、ヴィンセントは考えかけた。それを断ち切るようにオスカーの剣が迫り、ヴィンセントは浮かびかけた考えを振り払う。

 この状況下で何かを考え込む余裕はない。今はオスカーに意識を集中させないと、一太刀でも食らって動きが鈍くなった瞬間にお仕舞いだ。


 ヴィンセントは背後に迫る壁を気にしながら、オスカーの攻撃をひたすらに捌き続けた。壁を背にした瞬間、逃げ場がなくなって終わる。その前に位置を反転する必要がある。


 そのように考え、ヴィンセントはオスカーの隙を探すが、オスカーの隙は見当たらない。


 正確にはないわけではない。人間であるからして、一息で振れる剣の数には限界があり、隙間というものは絶対に存在する。それを突ければいいのだが、オスカーはうまくその隙を消していた。


 足運びでヴィンセントとの位置関係を操りながら、ヴィンセントが剣を振っても間に合わない時間を作り出し、ヴィンセントの攻撃を間接的に無効化する。

 それは戦争の中で集団と戦うために自然と編み出された技術だろう。ヴィンセントにはない知識で、その戦い方に対応することが難しかった。


 オスカーの剣に押し込まれ、ヴィンセントは廊下の壁まで、後一歩のところに到達していた。次の一撃はまだあるスペースを使うことで避け切れるが、その次からは剣で捌く以外の防御手段がなくなる。スペースを利用した体捌きがなくなる以上、オスカーの剣を完璧に躱すことは不可能になる。


 それが分かっていても、ヴィンセントは後ろに下がるしかない。踏み出した一歩が壁にぶつかって、ヴィンセントは背後の壁を疎ましく思った。


 背後の壁を睨みつけ、迫るオスカーを剣で押し返そうとする。当然、それができるなら、ここまでの苦戦を強いられていない。

 捌き切れなかったオスカーの剣がヴィンセントを襲う。その直前だった。


「うぉああああああ!」


 空気を震わすほどの叫び声を上げながら、ヴィンセントの眼前を何かが通過した。一瞬、猛獣が飛び出してきたのかと思ったが、流石に猛獣が王城内にいるはずがない。


 そう思ったが、飛び出したものはやはり、猛獣で間違いはなく、ヴィンセントの眼前でオスカーの身体を突き飛ばしたのは、グインだった。


「大丈夫ですか!?」


 オスカーを吹き飛ばしたグインがヴィンセントに目を向け、ヴィンセントは苦笑を浮かべる。


「ちょっと何やってるの……と言いたいところだけれど、助かりました。ありがとうございます」


 冗談を交えながらも、ヴィンセントは深く息を吐き出し、グインに軽く頭を下げた。グインは口の端に笑みを浮かべ、自身が吹き飛ばしたオスカーに目を向けている。


 その状況を当然、面白く思っていないのがオスカーだ。


「おいおい……!?何やってるんだよ、獣人が……!?邪魔せずに利用されていろよ……!?」


 オスカーの口から小さな声で漏れ出た本心を聞き取り、ヴィンセントが鼻で笑った。


「そいつがお前の本性か」


 ヴィンセントがそう呟いたことで、オスカーは我に返ったのか、一瞬揺れた表情を消し、いつもの笑みを浮かべていた。


「何のことですかね?」

「しらばっくれるなよ。もう隠せてないぜ」


 ヴィンセントがグインと並んで剣を構える。一般人であるグインを巻き込みたくはないが、オスカーを相手に一人で戦える気もしない。さっきと同じ状況になるのが関の山だ。


 始末書でも何でも後で書くから、ここで勝つにはこれしかないと諦めて、ヴィンセントはグインに協力してもらうことにした。


 その様子を眺めたオスカーが僅かに顔を顰める。浮かべた笑みが歪に歪んで、腹の底の怒りを表現しているようだ。


「おかしいですね?そこが協力するとは思わないのですが?忘れたのですか?その人はそちらの騎士を襲った容疑者なのですよ?」


 この状況を作り出しても、平然と言ってのけるオスカーを鼻で笑って、ヴィンセントはグインにちらりと目を向けた。グインも同じようにヴィンセントに視線を向け、ヴィンセントの考えを読み取ってくれたように首肯している。


「お前は知らないのかもしれないが、大抵の場合、敵の敵は味方になるんだよ」

「なら、その獣人も貴方の敵では?」

「何言ってるんだ?俺の敵は俺を襲ったお前だ。そして、獣人の敵は帝国って相場が決まってるんだよ」


 断言するヴィンセントを見つめるオスカーは表情一つ変えることがなかった。自身に向けられたヴィンセントの剣と、自身を睨みつけるグインの視線を確認し、少し肺の中の換気でもするように、僅かな溜め息を漏らす。


「これだから、他国は嫌いだ……」


 そう心の底から嫌気が差したように呟いたかと思った直後、オスカーはグインの前まで踏み込み、握った剣を掲げていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 黒い人物の剣が停止し、ライトは顔を歪めた。振り上げた剣は何とか黒い人物の剣を受け止めることに成功していた。


 しかし、黒い人物の攻撃に対して僅かに遅れた防御だ。完璧とは言えない動きに剣を受け止め切ることはできなかった。


 振り下ろされた剣は振り上げた剣を僅かに落とし、ライトの肩に傷を作っていた。


「うぉおおおお!おぃっ!」


 ライトは大きく腕を振り上げて、受け止めた剣を振り払った。黒い人物は後退し、ライトはその間に距離を作る。


 それから、剣の触れた場所に手を当てて、ライトは痛みに歯を食い縛った。


 傷は浅くない。それも右肩にできてしまった傷だ。腕を動かせば自然と痛みが身体を走り、ライトの身体は強制的に鈍くなる。


 不幸中の幸いと言うべきなのは、傷口に痛み以外の感覚がないことだ。剣に毒でも塗られていたら、今頃、ライトは真面に動けなくなっていたかもしれないが、その心配はなさそうだ。


 今の攻撃を受けて痛みだけで終わったのは幸運だった。投げナイフは完全に頭から消え、ともすれば、ライトは切り捨てられていてもおかしくはなかった。


 そうならなかった理由まで、何となくライトは察し、目の前の黒い人物を睨みつけた。剣を構える動きにも痛みは伴うが、全く腕が動かせないほどのものではない。


 そこから先に動き出したのは、黒い人物の方だった。ライトとの距離を詰めて、持ち前の身軽さで距離を保ちながら、ライトに剣を振るってきた。


 その剣をライトは受け止めて、身に受けないように捌いていくが、その動作の一つ一つが痛みを作り出し、顔は自然と歪んでしまう。


 それでも、ライトは一切の焦りを覚えていなかった。


 さっきの攻撃を痛みで済ませた理由もそうだが、目の前の黒い人物の剣はライトより僅かに劣っている。ライトにはない身軽さとさっきの傷もあって、今は対等な状況を作り出しているが、それがなければ既にライトが拘束していてもおかしくない程度の強さだ。

 投げナイフも警戒していれば、ノイズ程度にしかならない代物だ。ライトとの差を埋める要因としては弱い。


 この程度なら、十分に相手できる。相手の力量にライトは僅かな笑みを浮かべた。


 黒い人物の正体が分かったわけではない。ただライトの中では一人の予想が立っている。


 もしも、その人物が相手なのだとしたら、この程度の実力でそこに立っているのかとライトは問い質したくなった。

 オスカーやウォルフガングなら、ライトでも勝てるかは分からないだろうが、そこまでの実力がないのなら、さっさと去った方が身のためだ。


 ライトは黒い人物との距離を詰めて、押し切ることを考えながら剣を振るった。身軽さもスペースがあれば生まれるものだ。そのスペースを埋めてしまえば、ライトとの実力差は更に生まれる。


 ライトの剣が次第に黒い人物を押し始める。傷を作るような一撃は与えられていないが、それも時間の問題だ。


 帝国の軍人はこの程度なのか。ライトがそのように思いながら、更に踏み込んだ。


 その瞬間のことだ。ライトの接近を拒むように振るった黒い人物の剣がライトの腹を掠めた。

 ライトは腹に負った傷を手で押さえながら、自身を襲った現象の不可解さに面食らって、黒い人物から距離を離す。


 何があったのかとライトは考えようとするが、黒い人物が何かをした素振りはなかった。

 今の一撃は防げるもののはずだった。実際、ライトは受け止めようと剣を振るっていた。


 それがライトの剣は相手の剣を受け止めることなく、相手の剣がライトの身体に届いていた。腹部にできた傷は肩と同じ痛みを与えてくる。


 その痛みを感じたところで、ライトはまさかと思って、右肩に目を向けていた。

 毒の可能性はないはずだ。剣に塗られた毒なら、傷を受けた時点で分かる。それくらいの訓練は受けている。


 そう思ってから、ライトはまだ調べていない可能性があることに気づく。それが正しければ、ライトに判断することはできない。


 ただ気になる部分はあった。さっきから右手を動かせば、必然的に痛みが襲ってきて、ライトの右腕の動きは鈍くなる。


 もしも、この鈍さの原因が痛みだけではなかったとしたら、ライトは目の前の黒い人物の術中に嵌まったことになる。


 そして、それは腹に受けた傷も同じことだ。


「まさか、この国でその力を使ってくるのか?」


 皮肉とも取れる相手の行いを想像し、ライトは苦笑いを浮かべた。既に形勢は逆転されたと言えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る