急転する王都(4)
足はパンテラに向きながら、気持ちはパンテラを訪れた軍人に向いていたが、ここでその話を持ち出すと、ベネオラを不安にさせると考え、イリスはその気持ちを必死に抑え込んでいた。
気にならないと言えば嘘にしかならない。今すぐにも聞き出したい。
だが、ベネオラに何かあったと思わせることはしたくない。それは聞き出したいという気持ち以上の気持ちだ。
そのように必死に言い聞かせ、イリスは別の話題をベネオラに振ることにする。
「そういえば、グインさんの用事って何だろうね」
帝国軍人から気持ちを逸らせるために、イリスが何とか絞り出した話題だったが、その話題を口にした途端、ベネオラの様子がおかしくなった。
「え?え?あ…え?そ……うです……ね……はい……」
空中の虫でも追っているのかと言わんばかりの動きで、縦横無尽に視線を彷徨わせ、ベネオラは震えた声を発している。
イリスが追い打ちの質問をかけるまでもなく、何かあると伝わってくる反応だ。
「どうしたの?何かあったの?」
「え……?いや、別に何もないですよ」
頭を左右に振って、かぶりを振っている風にアピールをしているが、視線はいつまで経ってもイリスに向かない。何か隠したいと思っていることまで丸分かりの反応だ。
「何かあったなら相談に乗るよ?」
「いや、本当に……何もないんです……よ……」
尻すぼみに小さくなる声を漏らし、彷徨わせていた視線をゆっくりと地面に落ちつけていた。項垂れるように俯いて、ベネオラは少しだけ表情を引き攣らせている。
その表情からベネオラの心情を察したイリスは押し黙り、しばらくベネオラが落ちついて考えられる時間を作ってあげることにした。
「実は……お父さんは人に逢ってるみたいなんです。本人もそう言っていて」
「人?仕事関係の?」
「いえ、それが……お父さんの恋人なんじゃないかって」
「え?」
首が取れそうな勢いで頭を回転させ、イリスはベネオラに目を向けていた。まだ少し俯いたベネオラの表情はとても冗談を言っているようには見えない。
「グ、グインさんに恋人が……そうなんだ……」
イリスは頭の中でグインの恋人をイメージしていた。グインのような豹の獣人で、グインよりも柔らかい表情をしていて、化粧を毛に塗している姿まで想像し、イリスは流石に違うとかぶりを振る。
「どういう人なの?」
「分かりません。キナちゃんが見ただけだって」
「キナちゃん?」
聞いたことのない名前に首を傾げていると、ベネオラは思い出したようにハッとした。
「ああ、そうか。イリスさんが王都を離れている間に店に来るようになった子がいるんですよ。キナちゃんっていう女の子で、お父さんとたまたま街で知り合ったみたいです」
「へぇー、グインさんと」
たまたま街で知り合ったという言葉から、イリスはグインと王都の街中ですれ違う姿を想像した。今のイリスは知り合いだから声をかけるが、知らなかったら絶対に声をかけない相手だ。どのように知り合ったのか少しだけ気になってくる。
「そのキナちゃんが恋人と逢ってるんじゃないかって言い出して、お父さんについていったら見たらしいんです。お父さんが女の人と話しているところを」
「それがグインさんの恋人?」
「かもしれません」
そう言いながらも俯いたままのベネオラは複雑な表情をしていた。グインの恋人ということは自分の母親になるかもしれない人物ということだ。いろいろと思うところがあるのだろうとイリスも察する。
「どういう人なの?」
「私よりは年上だけど、結構若い女の人って言ってましたね」
最初に出てくる特徴が若い女の人というものなら、恐らく、その相手は獣人ではないのだろうとイリスは想像した。獣人なら、真っ先にグインと同じ獣人であるという情報が出てくるはずだ。
「何でも、路地でこっそりと話してたとか」
「へぇー、こっそりと……」
そう口にしてから、イリスはベネオラの言ったことが引っかかった。気になったことがあるので、それをすぐに確認しようと思う。
「それって、いつのこと?」
「昨日です」
昨日。その日は偶然にも、イリスもグインと逢っていた。それは路地のことで、そこでグインと自身の仕事のことなどを話した覚えがある。
ベネオラよりも年上の若い女の人。偶然にも、その特徴はイリスに当てはまるものだ。
まさかとは考えたが、冷静になってみると、あの時のイリスはライトと一緒にいた。恋人同士の逢瀬と呼ぶには相応しくない状況で、イリスを恋人と間違えるはずもない。
きっと別の場所での話だろうと思ってから、イリスはグインに質問されたことを思い出した。あの時のグインは虎の獣人を探していたはずだが、逢っていたと言っている相手は普通の人間の女性だ。
その違いに気づいてしまい、改めてイリスが首を傾げたところで、ベネオラが唐突に声を出した。
「あれ?」
それはちょうど目的地であるパンテラが見えてきたところで、ベネオラの視線は少し先に見えるパンテラに向けられていた。イリスもその声に引かれ、パンテラに目を向けてみると、入口の扉が開いている様子が見える。
「扉が開いてる。お父さんが帰ってきたのかな?」
「不用心だね」
不思議そうに呟いたベネオラと顔を見合わせ、イリスは揃って笑いを零してから、ベネオラと並んでパンテラに向かった。いくらグインがいるからと言って、店の入口を開けっ放しはいけないだろうと、ベネオラはグインに叱るつもりのようだ。
その親子のやり取りを想像し、微笑ましいと思ったのも束の間、到着したパンテラの前で二人はあまりの驚きから固まった。
「え……?」
ベネオラがそう呟き、ゆっくりとパンテラの入口に近づこうとした。それを慌てて引き止めて、イリスは周囲に目を向ける。
「中は私が確認するから、ベネオラちゃんは近くの衛兵を呼んできて。いい?」
半ば放心状態のベネオラに言い聞かせ、ベネオラを見送ってから、イリスはパンテラの中に踏み込んでいく。
そこは普段の店の状況から考えられないほどに荒らされていた。
(空き巣……?)
イリスは懐から護身用の小剣を取り出し、店の奥へと足を進める。まだ犯人が残っている可能性がある。警戒を怠ってはいけない。
店内だけでなく、奥にあるグインやベネオラの居住スペースも調べてから、イリスは誰もいないことを確認し、取り出した小剣を懐に仕舞った。
それから、改めて荒らされた店内に戻ってくる。状況は見るからに空き巣の犯行と思えるものだ。
しかし、空き巣だとしたら、少しだけおかしい点もあった。
イリスは今、犯人が隠れている可能性を考慮し、奥のグインやベネオラが普段生活をしている場所に足を踏み入れたのだが、そこは格段荒らされていなかった。もしも空き巣なら、そこもきっちり調べて、金目の物を盗っていくだろう。
ただ空き巣ではないと断言できるかと言われればそれも怪しく、普段会計後に硬貨を仕舞っている箱があるのだが、それは店内から消えていた。ベネオラに確認を取らないと何とも言えないが、盗まれた可能性はある。
その犯行の中途半端さやタイミングを考え、イリスは一定の怪しさを覚えていたが、その怪しさを確信に変える証拠があるわけではなかった。
パンテラの立地も考えた時に、この店に盗みに入る人物がいるだろうかと思えるのだが、それも可能性でしかない。
イリスがそのように考えていると、ベネオラが衛兵を連れて戻ってきた。イリスは現場を発見した経緯と、犯人が潜伏していなかったことを衛兵に報告し、一度、ベネオラと一緒にパンテラの外に出る。
「泥棒ですかね?どうして、うちに?」
「分からないけど、落ちついてね。グインさんに連絡は……取れないよね?」
不安そうに首肯するベネオラの姿に、イリスは少し困惑しながら周囲に目を向ける。
ベネオラを置いて、グインを探しに行くほどイリスは冷酷ではない。落ちつくまで、どこか別の場所に、と考えていたら、騒ぎを聞きつけた近くの店の主人が声をかけてくれた。レオンという名前の男だ。
その人に事情を説明し、グインが戻ってくるまで、イリスはベネオラと一緒にその店にお邪魔することになる。
動揺するベネオラに大丈夫だと言い聞かせながら、イリスはさっき店内で見た光景を改めて思い浮かべていた。
これは本当に空き巣なのか。このタイミングは偶然なのか。それが気になって、イリスの頭の中をずっと考えがくるくると回っていた。
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