発生(2)

 パンテラの時間は穏やかに過ぎ、アスマとイリスは王城に帰ろうとしていた。パンテラまでの道中からパンテラでの時間まで一緒だったライトだが、アスマとイリスに運ばれてきたクリームパフを二人が食べ始め、アスマが二口目を飲み込もうとしたところで突然立ち上がり、帰宅してしまった。


「ちょっと明日の準備があるんで、俺は先に帰りますね」


 笑いながらそう言っていたが、それなら、そもそも店に来ない方が良かったのでは、と思う心をアスマ以外の全員がそっと仕舞っていた。


 ライトに続いてオーランドとラファエロが先に帰るのを見送り、しばらくまったりとしてから、三杯目のコーヒーをアスマが頼む前にイリスが帰ることを提案していた。あまり長居して閉店の時間までいても邪魔になる、と言えば、アスマも納得するしかない。


 日が沈みかけ、既に街灯の一部が灯り始めた大通りをアスマとイリスは歩いていく。パンテラからの帰路としては既に見慣れた光景だ。

 最初の頃はアスマの護衛だからと神経を尖らせ、へとへとになっていたイリスも、今では穏やかな気持ちでアスマと同じように景色を眺めていた。アスマの命を狙うような暇人は王都どころか、この世界にもいるか怪しいものだと最近は思い始めている。


 暗がりとなりつつある大通りを歩き、ぼんやりとしていた王城の輪郭がはっきりとした形として分かるほどの距離に近づいてきたところで、ばったりと見知った顔と遭遇していた。


「殿下じゃないですか。今、お帰りですか?」


 片手が封じられるくらいの荷物を抱えた人物は、飄々とした態度でアスマに笑みを向けている。王城で生活する国家魔術師の一人、エルシャダイだ。柔和な笑顔と争いごとを避ける性格から、多くの人々に慕われている人物だ。


 しかし、イリスはついアスマの陰に隠れていた。アスマの護衛という立場からすると、アスマを盾にするような行動はどうかと思うのだが、イリスはどうしても苦手だったのだ。

 エルが、ではない。その隣にいる人物、エルの師匠であるガゼルが、だ。エルと同じように片手を荷物で塞いでいるガゼルの、射抜かれるような鋭い視線がイリスはどうにも苦手だった。心の奥底に剣を突き立てられているような寒さを感じてしまうからだ。


 イリスの態度と違って、アスマはエルとガゼルの荷物に興味津々と言った様子だった。用途不明の雑多な品物の入った紙袋を、アスマは全方位から観測する勢いで覗き込んでいる。


「それは何?」

「ちょっとしたショッピングですよ」

「何買ったの?」

「いろいろな魔術道具ですよ」


 エルが紙袋の中から小さなルーペを取り出した。顔の前でルーペを構えて、アスマの顔を覗き込んでいる。


「おお、流石殿下ですね。こうして見えるくらいに魔力が溢れ出している」

「どういうこと?」

「これは魔力が見えるルーペなんですよ。これで覗くと魔術が使われた場所も分かる優れものです」

「へぇー、そんなのが売ってるんだね。どこで買えるの?」


 キラキラと目を輝かせるアスマの様子に、エルは言葉を失っているようだった。気まずそうに視線を逸らしてから、口を小さくパクパクと動かし、ようやく言葉を発する。


「魔術道具屋です…」

「そんなお店があるの!?」


 アスマが前のめりになったことで、エルは困ったように頭を抱えていた。エルがどうして、そのような態度を取るのかイリスは分からず、小首を傾げて眺めていると、エルの隣でガゼルが凜とした態度のまま言う。


「申し訳ありませんが、殿下をご案内することはできませんよ」

「ええ!?何で!?」

「先ほどエルも言っていたように、殿下の身体からは魔力が溢れています。それこそ、魔術を使った跡と同じくらいの魔力が、その身体から常時漏れ出ている状態です。その状態の殿下が様々な魔術道具の置かれた店に入ると、それらがどのように誤作動を起こすか分かりません。殿下をそのような危険な目に遭わせるわけにはいきません」

「そんな…」


 アスマは酷く落ち込んだ様子であり、イリスは何とか励まそうと言葉を探していたが、真面な言葉が思いつかない間に、アスマは顔を上げていた。


「まあ、仕方ないよね。他の人を傷つけたら大変だし、気になるけど我慢するよ」

「流石殿下」


 イリスがほっと胸を撫で下ろしたところで、同じように安堵しているエルの顔が目に入った。アスマが魔術道具屋に行きたいと言い出したら、どのように断ればいいのか、頭を悩ませていたのだろう。それを救ったとなると、やはりエルとガゼルは良い師弟関係のように思えた。イリスがガゼルを苦手な気持ちに変化はないが。


 気を取り直して、アスマは次にガゼルの紙袋を覗き込んでいた。魔術道具屋に行けないのなら、せめて、そこで購入した品物くらいは見ておきたいという気持ちなのだろう。

 アスマが何も言わなくても、ガゼルは紙袋の中に手を突っ込み、その中から球体状の何かを取り出す。球の中心には切れ込みが入っており、その切れ込みを境にして、それぞれ色が変わっている。半分は白に近い灰色で、もう半分は黒に近い灰色をしている。どちらも灰色だが、その違いがあるからこそ、中心の切れ込みが際立っているようだ。


「それは何?」

「これは中に魔術を収容できる容器です。あまり強い魔術は入れられませんが、これを捻るだけで発動できるので、術式を出すことも難しい状況とかに重宝します」


 ガゼルが球を捻ってみせると、球は中心の切れ込みでちょうど二つに分かれた。輝いた目でその様子を覗き込んでいたアスマが、感心したような声を漏らす。


「悪戯とかにも使えそうだね」

「使いませんよ?」


 アスマはガゼルと朗らかな会話を繰り広げながら、他の品物も見せてもらっている。イリスはその様子を傍から温かい目で眺めていた。ガゼルはどうにも苦手だが、アスマが仲良くしている光景は嫌いではない。楽しそうなアスマを見ていると、イリスも落ちつくことができるので、寧ろその光景は大好きだった。


「殿下、そうやって、好奇心旺盛なのはいいですけど、あんまり帰るのが遅くなると怒られますよ」

「ああ、そうだね。ごめんね」

「いえ、私は構いません」

「また今度、ゆっくりと見せてもらうよ」

「それは場合によりますが」

「え?ダメな場合があるの?」

「あまりに魔術道具の多い部屋に殿下を入れることはさっきと同じ理由から難しいですね。火薬庫に火を持ち込むようなものなので」

「そっか。まあ、仕方ないか」

「殿下は魔王だからできないことも多いですが、魔王だからこそできることも、きっとありますよ」

「そうなのかな?」


 エルとガゼルと一緒に、アスマとイリスは王城に帰るために歩き出す。いつも通りの平凡なアスマの日常の終わりだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 一夜明けた翌日のこと。早朝からイリスはアスマに肩を貸していた。半分眠ったままの状態で、辛うじて立っているアスマの松葉杖にイリスはなっている。


 そこまでして、アスマが起きてきたのには理由があった。イリスを松葉杖代わりにして立つアスマと、その隣で苦笑を浮かべるシドラスの前には、既に旅装で身を整えたアスラが立っている。その後ろにはライトとウィリアムが立ち、これから地方視察に発つところだった。


「兄様?大丈夫ですか?」

「ああ…うん…大丈夫…眠たいよ…」

「それは見たら分かりますよ」

「申し訳ありません」

「いえいえ、大丈夫ですよ。兄様が来てくれただけで僕は嬉しいですから」


 アスラがアスマに笑みを向けると、半分閉じている目を向けて、軽く手を振っている。完全に寝惚けていると、松葉杖になっているイリスは思うが、アスラは嬉しそうに手を振り返している。


「アスラ~。お土産お願いね~」

「殿下!!」


 シドラスが叱るように声を出すが、アスラは嬉しそうな笑みを崩すことなく、アスマにうなずいている。


「分かりました。楽しみに待っていてくださいね」


 それから、アスラはライトとウィリアムを連れて、王城を出発する。最後までアスマは寝惚け眼のままだったが、アスラは嬉しそうだったので、イリスもシドラスも文句はない。

 こうして始まった一日だったが、この時は穏やかなものだった。

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