当日(5)
アマナを呼ぶエミリーの声が異変を知らせる鐘となった。グスタフが兎にも角にも身体を馬車に向けようとしたところで、馬車からアマナとエミリーが転がり落ちてくる。エミリーがアマナのクッションになったようで、エミリーはアマナの下で少し苦しそうにしている。
アマナとエミリーに怪我がないことを確認してから、グスタフは馬車の中に目を向けた。グスタフの角度からは少ししか馬車の中が見えなかったが、それでも馬車の中に光の筋が走っているところは見えた。それが何かグスタフは良く理解している。
御者、と頭を過った瞬間には、グスタフは剣を引き抜いていた。御者台に座っているはずの御者に向けて、その剣を振るおうとする。
しかし、振るう前にグスタフは剣を左右に向ける必要があった。この瞬間になって、馬車に近づく人間が二人いることに気づいたのだ。それぞれ得物を握っており、グスタフは第一にその攻撃を止めることに意識を割く。
左右から迫ってきていた二人の人物は、微妙に時間差があった。それによって、左右同時の対処を迫られるまでの間に微かに一対一の時間が生まれ、それがグスタフに対処させる明確な隙となった。
グスタフはその一瞬で相手を斬ることよりも、相手との距離を離すことに重きを置き、相手を弾き飛ばすように剣を振るう。
隙を狙ったグスタフの剣は狙い通りに二人の体勢を崩すことに成功し、体勢を整える必要の出てきた二人はグスタフから距離を取った。
それを確認するなり、グスタフは間髪入れずに御者台を狙って剣を振るう。御者がアマナを狙ったのなら、少しばかりの隙も与えるわけにはいかない。
その意思からの瞬間的な攻撃だったが、既にタイミングを逃したことを察していたようで、御者は御者台から姿を消していた。グスタフの剣は何もない御者台の空気を斬る。
ここになって、グスタフはようやくアマナとエミリーに声をかける時間が生まれた。
「大丈夫ですか!?」
「何とか……王妃殿下が自力で避けられて、体勢を崩して落ちてしまっただけだから」
「それは良かった」
エミリーの説明に少し落ちついたところで、グスタフは気配に気づいた。目線を向けるよりも先に手を動かし、グスタフに向かって落ちてくる人を押しのけるように投げ飛ばす。どうやら、馬車の上から狙ってきたようだ。
その投げ飛ばされた人が綺麗に着地したところで、その場にアマナを狙う四人の男が揃うことになった。御者台に座っていた御者、グスタフを左右から同時に攻撃してきた二人の男、馬車の上から落ちてきた男の四人だ。
「貴様ら何者だ?誰の差し金で王妃殿下を狙っている?」
グスタフの疑問を男達は聞くつもりがないようで、それに対する答えは返ってこなかった。代わりに四人全員が得物を構え、ほとんど同じタイミングで動き出す。
男達の動きは正確だった。正確に急所を狙ってくる攻撃で、明らかに訓練を受けている動きだった。どこで訓練を受けた何者なのか分からないが、その正確な動きにグスタフは防戦を迫られる。
そのまま、グスタフは追い込まれるかと思ったが、ここで攻撃が正確であることが功を奏した。グスタフはその一太刀一太刀を正確に予想することができ、防戦の中に余裕が生まれるようになっていた。
男達の攻撃を剣で受け止める瞬間に、その攻撃に対して強く剣を振るうことができるようになる。それは相手からすると些細な違いで、すぐには変化に気づけなかったようだが、しばらくして、男の一人が得物を落としたことで気づけたようだった。
「まさか、衝撃で腕を痺れさせているのか?」
それを確認するように男達は得物を握る手を軽く動かし、その様子を探っている。実際、それは間違いではなかった。
しかし、この段階で気づいても、既に手遅れだった。グスタフの狙いは得物を落とさせることではなく、得物を落とすほどに腕から力を奪うことだったからだ。
グスタフはすぐさま得物を握ったままの男達に詰めていった。大きく剣を振るい、男達に咄嗟に攻撃を受け止めさせる。
そして、そのまま得物を攫うように剣を動かすことで、男達は耐え切れずに得物から手を放した。それから、得物から距離を離すように男達の身体に拳や足を沈めていく。
男達がグスタフの狙いの一部に気づいてから、ほんの数秒で男達の手から得物が消えていた。得物は全てグスタフの背後に落ちてある。
そこから男達がグスタフの背後に落ちてある得物を拾い、グスタフやアマナを攻撃することは不可能に思えた。それは男達も同じ認識だったようで、言葉を交わすこともなく、四人は逃げるために動き出そうとする。
しかし、それすらもグスタフは読んでいた。四人が動き出す瞬間には距離を詰め、その身体に拳を沈めていった。それは先ほどの距離を離すためのものではなく、確実に意識を奪うための強烈な一撃だ。
その動きは男達よりも正確に急所を狙い、男達の動きよりも素早く行われた。逃げることも敵わずに男達は地面に伏していく。
気づけば、グスタフの眼前で四人の男達は仲良く眠っている状態になっていた。剣を鞘に仕舞い、グスタフはアマナとエミリーの元に戻ろうとする。
そこで、アマナとエミリーを襲っている異変に気づいた。酷く苦しそうなアマナの表情に、グスタフは嫌な予感に襲われる。
「どうしました!?」
グスタフが駆け寄っても、エミリーはこちらを見ることなく、酷く焦った表情でアマナを見ていた。やはり苦しそうなアマナだが、グスタフが見る限り、その身体に怪我はない。
「どうやら、馬車から落ちたショックが原因みたいです」
「どういうことですか?」
「子供が生まれます」
その最悪な知らせをグスタフが聞いている頃、王城前にゼットが姿を現す。それをグスタフが知るのは、少し先のことである。
☆ ★ ☆ ★
それはゼットが炎を放とうとした瞬間に現れた。王城内から見ていたパロールはその出現を未だにはっきりと覚えている。
王城とゼットの間。そこに割って入るように王城ほどの大きさをした術式が現れたのだ。それも一枚ではなく、五枚重なっている。
既にゼットの出現により、パロールの思考は停止していたため、その光景に一瞬何も思わなかったが、少しして魔術師として当たり前の疑問を思い浮かべる。
(何で、術式が五つあるの?)
それはパロールの知っている限り、ありえない光景だった。
そもそも、魔術の効果や強さを決める要素は術式に依存する。術式の大きさや種類によって変わるのだが、術式の種類にも限界がある以上はそれだけでは多様な術式を生み出せない。
そのための技術が術式を重ねることである。重ねた枚数により魔術の呼び名も変わり、一枚だと一式魔術、二枚だと二式魔術というように変化していく。
そして、その枚数はそのまま難易度にもなる。つまり、一式魔術が最も簡単で枚数が増える毎に難しさは増していくのだ。
一人の魔術師に扱える魔術は三式魔術が限界と言われており、それも十分な準備の時間が必要となる。四式魔術になると、魔導兵器と呼ばれる巨大な兵器に組み込まれることが多く、個人の魔術師が用いることはまずない。
そして、五式魔術になると、未だにその存在が確認されていない。太古の神話の中では存在し、理論上は可能であるが、それだけの術式を制御する魔力を持った人物がまずいない。あくまで魔術師の夢として語られるのが、この五式魔術である。
そのはずなのに、パロールの眼前では五枚の術式が重なっていた。そのことを疑問に思っても、それに答えられる人物はまだこの時にはいない。恐らく、目の前でそれを目撃していたはずのグスタフやエミリーですら、この時に何が起きているのか分からなかったはずだ。
パロールの疑問に答えが出るよりも先に、ゼットの口内で渦巻いていた炎の方が動き出した。ゼットの口内で膨らみ続けた結果、ほとんど爆発のような勢いで、王城に向かって放たれる。
それに呼応するように、五つの術式が強烈に光った。その光は瞬間的に膨らみ、炎が放たれると同時に、ゼットに向かって収束した状態で射出される。それは鋭い矢のようだった。
光の矢はゼットの炎とぶつかり、その炎を押し返すほどの勢いで、ゼットに迫っていく。きっとゼットもそれは予想外だったに違いない。
やがて、無防備に開かれたゼットの口内に到達し、その頭部を一直線に貫いた。
そこから、しばらくの間、風の音が聞こえるほどの静寂が王城を包み込んでいた。その光景に変化が現れることはなく、パロールは呼吸も忘れて見ていた。
「あ」
そう呟いたのは、ヴィンセントだったかもしれないし、パロールだったかもしれない。その声が男か女かであるか分からないほどに、パロールはその光景に意識を奪われていた。
口を開いたまま固まっていたゼットがゆっくりと体勢を崩していく。まるで睡魔に襲われたように地面に倒れ伏していく。
やがて、ゼットはぐったりと項垂れるように倒れたまま、動かなくなっていた。その頭部からは赤い川が流れてきている。
パロールはその光景を眺めることしかできず、何が起きたのか正確に分からなかったが、その場所の近くにいた人々は違っていたようだ。倒れた音が響き、一瞬の静寂に包まれた後、爆発のような喜びの声が聞こえてきた。
この時の五式魔術の正体について、後々誕生したばかりの赤子が生み出したものであったことが判明する。誕生した魔王の魔力が暴走しようとした瞬間、ゼットの強大な魔力が放たれ、それに反応した形で五式魔術が放たれたということだ。
これにより、ゼットによる攻撃と魔王の暴走が防がれ、王都は存亡の危機から逃れることができた。
そして、この時の出来事により、生まれてきた赤子はやがて一つの呼び名で呼ばれるようになる。
竜殺しの魔王。それは新たな英雄の呼び名である。
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