『竜殺しの魔王』

9年前~2年前(1)

 家の近くにある井戸が枯れた。当時、まだ七歳だったパロールはそのことを、栓が抜けたみたいに底に溜まっていた水がなくなったくらいにしか思っていなかったのだが、今になって思ってみると、パロールの住む村にとって、それは大きな事件だった。


 パロールの住む村は百人余りの村人しか住んでいない小さな村だった。村の中には井戸が三つあり、その内の一つがパロールの家の近くにあるものだ。近くには川があったが、その距離は少し遠く、村まで水を引くための水路もなかったため、基本的に村の水はこの三つの井戸が賄っていた。


 その井戸が枯れたとなると、三十人余りの村人が使う水を失ったことになる。それはやがて村全体の水不足にも繋がる大きな問題だった。


 まだ幼く、事態をちゃんと理解できていなかったパロールにも、村人達が枯れた井戸のことを大きな問題と受け止めていることくらいは察することができた。村全体が毛布に包まったように暗くなれば、いくら子供でも察するなという方が無理なくらいだ。


 そうして、村人達が枯れた井戸の代わりを考えている間に、問題は更に拡大することになった。


 残り二つの井戸も枯れたのだ。これは後になって分かることだが、最初の井戸が枯れた原因は地下水脈が途絶えたことであり、村にある三つの井戸は同じ地下水脈から水を汲んでいたのだ。つまり、村に流れる地下水脈が途絶えた段階で、村の井戸の全てがその機能を果たさなくなっていたのである。


 村にある井戸が全て枯れたとなると、いよいよ事態は村が暗くなる程度の話ではなくなる。子供のパロールにも伝わるくらい、村の生活は窮し始めていた。


 井戸の水は村の生活で使われる水の全てを賄っていた。汲んだ水を家の水瓶で保存して、それを何かを洗う際や料理の際に使用していた。

 しかし、その水にも限りがあるとなると、必然的に残った水は必要なことに回される。この場合は、圧倒的にだ。多少、身体が臭っても、水浴びや衣服を洗うことは許されなかった。


 ただ、そうやって節水していれば何とかなるとも思えない。それは誰しもが同じであり、パロールの知らないところで、村の水不足を解決するための方法が話し合われていた。


 その中で最初に出された結論が、というものだった。


 井戸の水は村の生活で使われる水の全てを賄っていたが、全てを賄っていたと言い切ることはできなかった。多くは火事等の不測の事態が起きて、井戸以外の手段で水を賄う必要が出た場合なのだが、たまに井戸自体が水量を減らして、水が足りなくなる時があった。そういう時のために降った雨を溜めておくか、近くの川から水を汲んでくることが以前からあった。

 雨はいつ降るか分からないが、川はいつでもそこを流れている。水不足を解決する手段を考えた時に、水路を引くという結論に至るのも当然と言えた。


 話し合いが行われてから、水路の着工までは早く、パロールの記憶が確かならば、全ての井戸が枯れてから二日後には工事が始まっていた。近くの川から村まで水を引いてきて、底を埋めた井戸に溜めることで、これまでと同じように水を汲めるようにしようというのが、今回の工事の目的だった。


 しかし、工事が開始した翌日になって、それら全ての考えが無に帰す新たな問題が発生した。


 のだ。それも誰の目にも分かるほどに、はっきりと。まだ子供であるパロールでさえも分かるほどだった。

 土地の高さの問題から村にまで水を引いてくることは敵わず、仮に水を引いてこられたとしても、減った川の水量では村で使われる水を賄うことができそうにない。


 こうなると、村人達に残された手段は雨を待つことだけになる。それは水不足の根本的な解決手段とは呼べず、村人達に絶望を与えるに十分な現実だった。


 この頃の村の雰囲気をパロールは思い出すことさえ嫌だった。それくらいに村は暗く、村人から笑顔が消えていた。この世の終わりを題材に絵を描けと言われたら、パロールはその頃の村の様子を描くくらいに、絶望的な雰囲気が村を満たしていた。


 とはいえ、打つ手が完璧になくなったわけではなかった。とても危険で、確実と呼ぶことのできない手段ながらも、水を手に入れる手段自体はあった。

 やがて、村人はその手段を選ばなければいけなくなる。


 それがという手段だった。



   ☆   ★   ☆   ★



 マクベスという青年が村にいた。パロールよりも十四歳年上で、当時二十一歳の青年だ。村人の間でも、清廉潔白で真面目な青年として有名で、そのがたいの良さもあってか、何か人手の必要な時は良く駆り出されていた。


 そんなマクベスに渡されたのは、抱えられるくらいの袋だった。結構な重量があり、子供が片手で持つことは難しく、マクベスも油断していたら落としそうになるくらいだった。

 袋の中には一杯の貨幣が入っていた。村人全員から集めたもので、村の全財産とは言わないが、村の財政から余裕をなくすくらいの量ではある。


 その大量の袋を受け取るマクベスの隣には、馬と荷車があった。荷車は馬の引くもので、荷物を置くことはできるが、人の座れるようなものではないのだが、その上にはまだ荷物が置かれていない。その上にマクベスは受け取った貨幣の入った袋を置き、マクベスを見送るために集まってくれた村人達の方に視線を向けた。


 マクベスはこれから近くの街に向かうところだった。そこで受け取った貨幣を水に換え、村に持って帰ってくる予定だ。荷車に何も乗っていないのは、そこに水を乗せて持って帰ってくるからだ。


 つまり、マクベスは村の水不足を解決するための救世主に選ばれたのだ。

 そして、それには確かながあった。


 そもそも、水の購入は現実的な解決法とは言えなかった。


 水は腐るものであり、運べる量にも限りがある。一度の購入で村の全ての水を賄えるわけではなく、湧いてくるものでもないので持続性がない。


 更に近くの街までの道は安全と言い切れるものではない。野犬や狼などの獣の類いや盗賊などに襲われ、命を失う可能性は十分にある。そのため、村人が街に向かう際には基本的に傭兵を雇うことになっている。


 しかし、傭兵を雇うのにも金はいる。水の購入のために貨幣を寄せ集めてしまえば、傭兵を雇う余裕はなくなり、水の購入資金から傭兵を雇う金を工面すれば、購入できる水の量が減ってしまう。水の購入には持続性がないので、安定させるためには何度も買いに行かないといけないことを考えると、その少しの違いが結果的に大きな違いになってしまう。


 つまり、購入して水を賄うためには、近くの街まで何にも襲われずに辿りつき、水を購入した上で何にも襲われずに村まで帰ってくることを何度も行わなければならない。

 その無謀さを分からない人はいない。最初の話し合いでも一応は出たが、すぐに却下されたくらいだ。


 新しく井戸を掘るなど、他にも手段自体はあったが、それら全てはかかる期間の予測ができない。井戸を掘っている最中に水がなくなれば、後は村全体が枯れるのを待つだけになる。


 それに比べて、水を購入することは危険さに目を瞑れば、一定の期間で確実に水を入手できる手段だ。

 一刻も早く水を入手しなければいけなくなった村にとって、その手段にだけ生き残る可能性が残されていた。


 そのために次の問題となったのが、水の購入を誰に任せるかというものだった。


 そもそも、一人で向かう必要性はない。傭兵を雇えないのなら、人数を増やすことで襲われる可能性を減らすことも考えられた。


 しかし、そこで問題になったのが、そもそもの村の問題である水不足だ。街までの道のりも、もちろんのことだが、水が必要になる。それも人数が増えれば増えるほどに、必要な水の量は増えていく。

 もちろん村にいる村人の数も減るが、街までの道のりの方が村で生活するより、消費する水の量が増えることは容易に想像がつく。


 それに街まで行くための体力のことを考えると若者の方が望ましく、その若者は村にとって貴重な労働力になっている。何人も若者が出ていってしまうと、今度は村の生活を維持することが難しくなる。


 そうなると、街まで行く役目を負うのは、若者一人が最も望ましくなる。それもただの若者ではダメだ。


 街まで行く人には村全体から掻き集めた貨幣が渡される。一人の若者に渡して、それを持ち逃げされたら、残った村人は全て干涸びることになる。

 その危険性を村人全員が理解しているので、選ばれる人物は村人全員から信頼される人物でなければいけない。たとえ大量の貨幣を渡しても、決して持ち逃げすることのない人物だと村人全員から思われていなければいけない。


 街まで行ける体力を持った信頼できる若者。それは酷く限られた条件に思えた。


 しかし、その条件を唯一満たす者がいた。マクベスだ。


 村人達から水の購入を頼まれたマクベスは、少しばかり悩んだが、最終的にその役目を負うことに決めた。


 大量の貨幣の詰まった袋を受け取り、馬と馬の引く荷車を連れたマクベスは、近くの街に向かって村を発つ。片道が一週間弱かかるので、二週間程度あれば帰ってこられるはずだ。

 二週間後、マクベスが水を持って村に帰ってくる。その光景を村人の誰もが想像し、楽しみにしていた。


 そうして、マクベスの帰りを待つことしばらく、気づけばマクベスが村を発ってから、が過ぎようとしていた。

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