最終日(10)
普段の飄々とした振る舞いに反して、ライトは非常に真面目な一面がある。特に自分の命が関わることで手を抜くことがない。できる限りの準備はし、確実な安全を確保した上で仕事をこなす。アスラの護衛であればアスラの命を守った上で、ライトの命も守れるように場を整えてから臨むことが多い。自分の手が届かないところでの護衛の場合は、可能な限りの準備を自分やアスラに行ってから、その場所に赴くくらいだ。
昨日、アスラやエルと一緒にチャールズと逢ったことで、ナイフを受け止められる程の防御力を誇るジャージを手に入れたライトだったが、それを身につけただけでアスマの命を狙っている人物が確実に捕まるわけではなかった。もちろん、不意な攻撃を止めることで、相手に隙が生まれ、拘束することができるかもしれないが、それも絶対ではない時点でライトの中では万全とは言えない状態だ。
そのため、不意の戦闘にも対処できるように武器を隠し持とうとしたのだが、隠し持つには小剣が限界だった。他にも小さな武器を隠すことだけならできるが、それらを隠していると気づかれないように動くとなるとかなり難しい。武器の大半は金属でできており、それらがぶつかった時に鳴らす音を隠すだけでライトは神経を使うことになってしまう。そうなると自分を狙っている人物がいるかどうかも分からないので、結局捕まえるというところまで頭や身体を回すことができなくなってしまう。
ジャージや小剣だけでは、はっきり言って準備不足としか思えなかったのだが、そのライトの思考を先読みしていたかのように、その少し前のライトが用意していた物があった。チャールズと合同でジャージを作る前に、一つ仕事が残っているとエルが言い出して外出しようとしていたので、ライトが無理矢理ついていったのだ。そこで以前から気になっていた物を自然と手に取っていた。
それが生きるかどうかは分からなかったが、ライトは準備しておいて損はないと思っていた。
だから、刃を男に向ける前にライトは小剣の柄に一度触れておいたのだ。
確実な勝利のために。相手が明確に油断する瞬間の不意打ちのために。
男がライトの笑みに表情を変えた瞬間だけを目にして、ライトはすぐに目を瞑っていた。小剣の近くで輝くものも、男の目に映っていることだろうと想像する。それは輝いているのではなく、光を反射しているのだと気づくこともすぐのはずだ。
それは細い糸だ。小剣の柄から伸びて、空中でピンと張っている。その糸に光が反射して、何かが輝いているように見えている。
その糸はライトの腕の方に伸びていた。ジャージの袖から内側に入り、その奥にある何かと繋がっている。それを男が認識するはずはない。それが何であるのか分かった時、男の目玉は使い物にならなくなっている。
そう思った瞬間、ライトは瞼越しに強烈な光を感じた。しばらく目を瞑ったまま、その光が消えるまで待つと、ゆっくりと目を開いて路地の様子を確認しようとする。
そこでは蹲った男が両目を押さえて苦しんでいた。
「何だ!?今の光は…!?」
さっきまでの冷静な態度は消え、取り乱した様子の男を見ながら、ライトは袖の奥から破けた紙を取り出す。そこには簡素な記号が一つ描かれており、その端から小剣に繋がる糸が伸びている。その破けた状態を見ながら、ライトは小さく感心していた。
(エル様がうまく行くって言ってたけど、本当にうまく行くもんなんだな)
ライトの袖の中に仕掛けられていたのは、本当に簡単な一式魔術だった。エルがフーの店に話を聞きに行くと言っていたので、ライトがそれに同行して手に入れたものだ。紙に術式が一つだけ描かれていて、紙が破けることで魔術が発動される。風を生み出す物や火を生み出す物など多くあったが、今回はその中でも光を生み出す物を購入していた。
ただし、それは強烈な光を一度放つだけで、ライトのように目を瞑ってしまえば何も意味を成さない代物だ。相手の目の前で破いてしまうと防がれる可能性が高まってしまう。
そこでライトは完全に敵が油断しているタイミングで、その紙を使う必要があった。最も相手が油断している瞬間となると、そのタイミングは限られていて、ライトがその中で思いついたのが止めの瞬間だった。ライトに止めを刺そうとする瞬間は無防備なのではないか、と。
そして、その状況を生み出すために最も手っ取り早いのが、ライトの持っていた武器の消失だった。手の中から武器がなくなれば、アスマの命を狙う輩にとって、ライトは恐怖するに値しない対象となるはずだ。その瞬間なら、敵はライトに止めを刺そうとしてくるはずだと考え、実際にその通りになっていた。
ライトは感心ばかりしていても仕方がないので、目を押さえたまま苦しんでいる男を拘束することにした。武器のナイフを取り上げて、壁と壁の間に引っ掛かっている棒もついでに取り除く。それから、ライトが男を縛り上げようとすると、男は必死な抵抗を見せてきた。とはいえ、目が見えない状態で闇雲に抵抗しているだけなので、ライトは赤子の手を捻るように男を縛り上げてしまう。目が見えないこともそうだが、冷静さを失うとここまで間抜けになるのかと、ライトは男の姿に少し前の自分の姿を重ねながら、恥ずかしく思っていた。
演技の部分も多かったが、男の振る舞いにライトが苛立っていたことも確かだ。ここまでの痴態を晒していたのかもしれないと思うと、ライトは沸騰しそうなほどに顔が赤くなる。
気づけば、ライトの傍に倒れ込んだままの男の目が回復していた。自分を睨みつけてくる目に、ライトは冷ややかな目を向ける。
「何で殿下を狙ったか分からないけど、その理由を話してもらうからな」
「話すと思うか…?」
「大丈夫だ。王国には拷問の天才がいるからな」
ライトは同じ騎士であり、王国一の専門家の顔を思い出し、つい苦々しい顔をしてしまっていた。一度だけ、その人の仕事場を覗いたことがあるが、三日三晩悪夢に魘されることになったくらいに、そこでの光景はいろいろな意味で凄惨だった。
「これは完全に個人的なアドバイスだが…早々に話した方がいいと思うぞ……多分、人でなくなる…」
「ちょっと待て…何をされるんだ…?」
ライトの瞳から光が失われたことで、流石の男も気になったようだった。しかし、ライトは何も言うことができないので、男の質問に黙ったまま、光の失われた瞳を向けることしかできない。
「……さて、戻ろうかな…?」
「無視するな…」
男の抗議を完全に無視して、ライトは未だ大通りで続いている馬鹿騒ぎに目を向けていた。そこではシドラスとベルが待っているはずだ。
☆ ★ ☆ ★
「あれ?あいつはどうした?」
虎のマスクを被ったベルが周囲に目を向けながら呟いていた。気づいたら、ベルの近くでジャージを着ていた祭りの主役が姿を消している。ベルは周囲の騒ぎに圧倒されていたので、いつから姿がないのか全く分からなかった。
「少し前に殿下を狙う輩を連れて、そこの路地に消えていきましたよ」
ベルと同じように虎のマスクを被ったシドラスが近くの路地を指差しながら答えた。ベルはいつのまにそんな事態になっていたのかとマスクの下で驚く。
「それなら、もう捕まったのか…?」
「あいつが失敗していなければの話ですが、そうなりますね。ただ実際に動いた人物を捕まえてもあまり意味はないでしょう」
「そうか。別の世界から来た女が分からないままなのか…」
「それともう一つ気になるのですが、殿下を直接狙っているものは何者なのでしょか?」
「ああ、それも分かっていないことだな」
「暗殺ギルドの暗殺者という可能性は高いですが、その場合は他にも人がいることになります。根本的に暗殺ギルドを潰す必要が出てきます」
「そんなことができるのか?」
暗殺ギルドというものがどのようなものなのかベルには分からなかったが、ただ頭の中では蟻の巣が浮かんでいた。外に出た蟻を何匹潰しても、巣を除去しないと蟻は湧いてくる。その巣の位置を特定するところから始めなければいけないのだが、その見つからなさは蟻の巣と比較にならないはずだ。
「確かに難しいですが、暗殺ギルドの頭が絡んでいる場合は変わってきますね」
「何だ、それ?女王が直接出歩いているみたいなことか?」
「女王?」
「あ…いや、何でもない…」
ベルは頭の中の蟻の巣を現実にまで展開してしまったと赤面しながら反省した。シドラスに説明するのが難しい上に、少し馬鹿っぽくて恥ずかしい。
「実際に暗殺ギルドのボスが動いている可能性は少ないですよ。ただその場合はその人物を捕縛するか殺害することで、暗殺ギルドの活動を停止させることができます。そうなったら、後は順番に構成員を捕らえることで実質的な撲滅が可能です」
卵が産まれなければ、後は動いている蟻を潰すことで蟻を絶滅させることができる。そのイメージが再度頭の中で膨らんで、ベルはマスクの下で苦笑いを浮かべていた。虎のマスクで顔が隠れていて良かったというものだ。
「まあ、そんなにうまく行くことはないか」
「そうですね。普通はありえません」
「ところで私達はいつまで、ここにいればいいんだ?」
「そういえば、そうですね。そろそろのはずですが…」
シドラスがそう呟き、ライトの消えたという路地を指差したところで、その路地からひょっこりとライトが顔を見せた。虎のマスクを被っているため、ベルやシドラスがどこにいるか分からないようで、大通りをきょろきょろと見回している。シドラスが呆れたような溜め息の音を漏らしてから、そのライトに近づいていくと、そこでようやくシドラスが携帯している剣に気づいたようだった。
「あ…!?これこれ…!!」
シドラスとベルに向かって、ライトは手に持った球体を必死に見せていた。その球体が何か分からず、ベルは首を傾げてしまう。
「あいつは何が言いたいんだ…?」
それはシドラスも同じだったようで、虎のマスクの下から小さな声で漏れ聞こえてきた。球体の中に何かの模様が浮かんでいることに気づいたのは、それから更にライトに近づいた時のことだった。
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