二日目(3)
アスマと一緒にシドラスと合流したベルは、そこで衝撃の光景を目の当たりにした。
「やあ、ベル婆」
微笑みながら軽く手を上げて挨拶してきたのはエルだ。アスマを迎えに来たシドラスと、何故かエルが一緒にいたのだ。
そこにシドラスの苦悶の表情が合わさるだけで、ベルは頭を回転させる必要もなく、事態がどうなったか分かってしまった。
「エル……お前は…本当に……」
「ああ、ベル婆。その続きは言わなくても大丈夫。自分でそう思ったから」
「なら…もう何も言わん……」
ベルが諦めと共に頭を抱えたところで、アスマが事態を察したようで盛大に喜び出した瞬間からしばらく、ベル達は無事に王都の街に繰り出していた。
とはいえ、祭りの明るさの中にあるのはアスマだけだ。
他はエルでさえ、少々の暗さに侵されている。
「殿下は元気だね」
そう言って笑うエルはどこか青褪めているようにも見える。
「どこから行く?」
そんな雰囲気を全く察していないことが分かる、キラキラとした宝石のような目をして、アスマがベル達に聞いてきた。
ベルとエルは顔を見合わせてから、小さく二つの溜め息を混ぜ合わせる。能天気さに言葉もないが、アスマは今回の祭りの主役でもあるので、本当に言葉がなくなっている側面もある。
あまり小言を言っても仕方がないと思い、ベルがアスマの能天気さに乗っかってやろうと思ったところで、ベルは竜王祭の二日目の知識が全くないことに気づいた。
一日目と何が違うのかと思い、街の様子に目を向けてみるが、大きな変化は見当たらない。小さな変化としては、一日目に比べると開いている店が少ないことだ。
「あれ?というか、店の数が減ってないか?」
「まあ、二日目はね。最終日と違って開いている店はあるけど、一日目と比べると減るよね」
「それに全体的に人が少ない気もする…」
「まあ、まだ時間が早いからね」
「何だ、そのさっきから何かあることだけ分かる言い方は」
「え?ていうか、本当にベル婆は何があるのか知らないの?」
「ああ、お前はそういえばそうだった」
冷静に考えてみると、エルは今日に至るまでアスマやベルと一緒に行動していないので、祭りに関してベルの知識が皆無であることをエルが知るはずもない。
「誰にも教えてもらってないの?」
「シドラスに聞いたら、自分の目で見た方がいいって言われた」
「ああ~。確かにあれはそうだね。俺もそう言うかも…」
エルがそう言いながら、シドラスに同意するような目を送ろうとしたところで、周囲に殺気をばら撒いているシドラスの様子に気づいた。
「ちょっと警戒し過ぎじゃない?」
「そうだな。犯罪者になった気分だ」
「ああ、連行されているみたいね…いや、ていうか……」
「ああ、そうだった。忘れてた」
エルに指差されたことで自分の立場を思い出したベルは頭を掻いた。
その間にアスマは近くの店を一人覗きに行こうとして、シドラスに呼び止められている。
「そういえば、例の作家先生に協力してもらって似顔絵を作るんだっけ?」
「はい。今日、その予定です」
「それができるまで、誰に狙われているのか分からないのに警戒するなんて、シドラス君は真面目だね」
「別に相手が分からずとも、迫る危機を排除するのが騎士の務めですから」
エルとシドラスがアスマの身を守ることを話しているのに、アスマが能天気さを出して、今すぐに祭りを回りたいと不満を漏らそうとしていた。それを止めるためにベルの足蹴りがアスマに炸裂して、アスマが「痛い」と口に出す。
「殿下!?どうされたのですか!?」
その瞬間のシドラスの様子は、今日は大人しくしておこうとベルに決意させるのに十分なものだった。
☆ ★ ☆ ★
アサゴは竜王祭の間も仕事に追われる日々を送る予定だったのだが、昨日の嵐のようなアスマ達の来襲があって、二日目は王城に出向かなければいけなくなってしまった。
幸いにもスケジュールは一秒も無駄にできないほどに切羽詰まったものではなかったので、アサゴは気分転換の一環と考え、王城に出向こうとしていた。
ただし、少しだけ不安なことがあった。
それが王城という場所である。
元々、アサゴは王城どころか、王国や魔術、騎士などとは無縁の世界からやってきたのだ。
ただ似顔絵を作るだけと聞かされているが、アサゴはどのような格好でどのように立ち振る舞えばいいのか全く想像がつかない。
場合によっては失礼だからと言われて帰らされたり、もしくは処刑されたりしないかと考えたら、心の底から不安になるのだ。
しかし、アスマのことを考えると、それも考え過ぎのような気がしてくる。
アスマはアサゴの知っている王子の振る舞いとはかけ離れていたし、ベルは王子であるはずのアスマを粗雑に扱っていた。
あれを見る限りは堅苦しいしきたりどころか、アサゴが常識として持っている礼節の類が機能しているのかも怪しく思えてくる。
とはいえ、アサゴの少しばかりの不安が消え去るわけでもないので、できる限り落ちつかせるための深呼吸をしてから、アサゴは家を出た。
「すみません」
不意に声をかけられたのは、家を出たアサゴが王城に向かおうとしたところのことだ。
アサゴより年上だが、まだ若い男で、見た目よりも幼く聞こえてくる声が耳に残った。
「ちょっとお聞きしたいんですが」
「何ですか?」
「今日の目玉って、何時くらいからなんですかね?どれくらい待てばいいのか分からなくて」
流石のアサゴも今日の目玉が何を指しているのかくらいは分かった。作家としての仕事を始めてからも、取材の一環として祭りは見たことがあったので、その時の記憶が引っ張り出される。
時間を確認しようと時計を出してから、アサゴはその時の記憶を思い浮かべた。
「確か、あと一時間後とかですよ」
「ああ、そうなんですね。まだそんなにあるんですね」
「王都は初めてなんですか?」
「ええ、実は。この祭りの期間を狙って、ここに来たんですよ」
「そうなんですね」
それはこの時期になると良く聞く話だった。アサゴは竜王祭に一度しか参加したことないが、その中で見られるものや行われることの魅力はそれだけでも分かった。遠方からでも参加してみたくなるのは必然的と言えるだろう。
そう考えていると、男がアサゴの顔をジロジロと見ていることに気づいた。
「何ですか?」
「いえ。貴方はこれから、どうする予定だったんですか?」
「少し用事があったので、出かけるところでした」
「ああ、用事が…」
男の探るような目がアサゴは気になって仕方がなかった。
まさか自分が作家のアーサーであることがバレたのではないかと、アサゴは急激に心配になる。今までに数回しかバレたことはないが、その数回でも厄介なことになったのだから、今回もしバレていたら、また厄介なことになるかもしれない。
そう恐れていたアサゴだったが、どうやらバレているわけではないようだった。
「すみませんが、方向が同じなら、途中までご一緒してもよろしいですか?」
「え?僕と?」
「はい。一人旅なもので、少し寂しいんですよ。お時間がある限りでいいんで。ダメですかね?」
少し照れ臭そうに笑う男を見ていると、アサゴはどうにも悪い気がしてきて断ることができそうになかった。
少しだけ迷ったが、やがて首肯する。
その動きを見たことで、男の表情は明るいものに変わっていた。さっきまでの探るような目は隠れ、朗らかな笑顔を浮かべている。
その表情を見ているだけで、アサゴは男の探るような目が緊張の表れだったのかもしれないと思った。アサゴが王城に対してそうだったように、男もアサゴに対して理由のない緊張を懐いていたのかもしれない。
そう考えると、アサゴは急にさっきまでの自分が恥ずかしく思えてきた。自分が作家のアーサーであるとバレているなど、自惚れにも程があったのだ。
自分の顔を襲ってきた熱量によって、アサゴの顔は真っ赤に染まる。
それを誤魔化すために、アサゴは男から顔を背けて、一緒に並んで歩き出した。
「しかし、話には聞いたことがあるのですが、実物を見たことがないので、これから見られるのが楽しみですね」
男はどこか弾むような声でアサゴに話しかけてくる。アサゴは未だ顔が真っ赤なままだったので、そのことに気づかれないように顔を逸らしながら話していた。
「そ、そうですね。あれは毎年見ている人でも楽しみにしている人がいるくらいですから。そうではない人なら、尚更でしょうね」
「ああ、やっぱりそうなんですね」
その声は少し低く聞こえた気がしたが、アサゴは未だ顔を染めていたので、男がどのような表情をしているのか確認することができなかった。
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