前日(3)
ほとんどの人が忙しく動いている王城の中で、暇な人物がアスマ以外にも一人いた。ライトだ。
とはいえ、アスマと違ってライトの場合はやることがないわけではない。アスラから頼まれたベルへのプレゼントを考える必要があったり、騎士としての警備確認等の仕事があったりするのだが、ベルへのプレゼントを考えるという名目で、ただただサボっていた。
一応、ベルへのプレゼントは考えているが、具体的な物を見つけていないだけで、その方向性についてはほとんど固まってきている。ここに来て考え込まなければいけない状態ではない。
しかし、ライトは考えていることにしていた。考え込んでいることにして、その他の仕事の一切から目を瞑っていた。
アスマとは違って、自ら暇に突っ込んで、暇を謳歌している状態だ。この辺りはヴィンセントから受け継いだ性質と言えるだろう。
もちろん、ただ立ち止まって、ぼうっとしているわけではない。あくまで考えている名目なので、考えている風には見える振る舞いをしている。ちょうどいい段差に腰掛け、組んだ足の上に肘を突き、顎に手を当て俯いている形だ。正に考えているポーズをしながら、ライトは頭を空っぽにしていた。
あまりに空っぽにし過ぎていたのだろうと思うが、ライトはしばらく自分の前を人が通り過ぎていることにも気づけなかった。その人が立ち止まったことにも、自分のことをじっと見つめていることにも、しばらく一切気づかずに考えているポーズをしていた。
「おい」
その乱暴な言葉が降ってきても、ライトはしばらく反応できない。乱暴な言葉が降っていることにも気づけない。
「おい。何をしてるんだ?」
そう聞かれても、ライトはただの屍のように返事ができない。そもそも、聞かれていることに一切気づかない。
「無視するな」
ついに言葉ではなく鉄拳が降ってきて、その衝撃でライトは我に返った。流石に物理攻撃を気づかないわけがなく、目の前に人が立っていたことにようやく気づく。
それもとても見覚えのある顔だ。
「あ、シドラスじゃん」
「シドラスじゃん、じゃない。お前は何をしてるんだ?サボりか?」
一瞬で理由を当てられて、ライトは内心ドキッとしたが、そのような素振りは一切見せずに、笑顔でかぶりを振ってみせる。
「そんなわけないだろう。仕事に関して、ちょっと考え込んでいたんだよ」
「本当か?」
「疑うなよ。ほぼ同期の好だろう?」
「そんなものを一瞬で超える不信感をお前は積み重ねているんだがな」
ベルが来てからは違うが、それまでライトはアスマと一緒に行動する悪友的な人物の筆頭だった。他にはエルもそうだが、国家魔術師としての地位が先にあったエルと違って、ライトはシドラスからすると同時期に騎士になった男である。そのライトがアスマを誑かしている状態がシドラスはずっと気に食わないと思っていたに違いない。
それはライトも想像できることで、だからこそ、たまに向けられる敵意のようなものをライトは苦笑いで受け止めることしかできなかった。
「お前は何してたの?殿下の稽古は?」
「今日は警備体制の確認のためになしにしてもらった。お前は確認したのか?昨日変わったことくらいは聞いただろう?」
「ああ、それね。いいの。俺はどうせアスラ殿下の護衛だし」
「そうだとしても、衛兵の配置とか知っておいた方がいいことは多いだろう?」
「別に知っていたって危ない時は危ないし、大丈夫な時は大丈夫なの。寧ろ、知っていることで油断するくらいなら、俺は最初から知らないことを選ぶね」
「猛烈な屁理屈だな」
「それでも、理屈には違いないから」
ここはヴィンセントにも通ずるところなのだが、ライトは決して馬鹿というわけではない。ただ面倒なことが苦手で、楽な方に流れ込んでいるだけで、騎士になるくらいの実力は持っているのだ。
こういう自分を正当化する際には、そのスペックを存分に活用して、シドラスと渡り合うから、シドラスに更に嫌われるというところまで、ライトは理解している。
「お前と話していても時間を無駄にするだけみたいだから、私はもう行く。明日からはアスマ殿下の護衛もあるし、今日の間に済ませておかないといけないことも多いんだ」
「あ、そうだ。お前って結構ベル婆と逢う?」
「急に何だ?」
「質問を質問で返すなよ。ベル婆と逢うか聞いてるんだよ」
「お前のそういうところが嫌いだ」
「知っていることをわざわざ言わない。それでどうなんだ?」
「それなりに逢うが?」
「じゃあ、ベル婆ってアクセサリーとか着けてるイメージってある?」
「いや、あまりないが…」
そう答えながら、シドラスはライトを怪訝げに見てきた。その目の語るところをライトが察しようとする前に、シドラスは思ったことを言葉にしてぶつけてくる。
「まさか、あんなに幼い見た目なのに欲情しているのか?」
「そんなわけあるか!?」
流石のライトも隠し切れないほどに動揺して、思わず立ち上がっていた。シドラスはそれでも疑いの目を向けてきている。
「本当に?」
「本当に!!流石の俺にも好みがある!!」
「どんな?」
「どんな…?」
「年上か年下で言うと?」
「それはどっちかって言うと…年下?」
「やはり…」
「年下過ぎるだろうが!?いや、実年齢を考えると違うけど!!」
ライトはベルへのプレゼントを探していることを説明しようとしかけたが、その寸前でアスラからベルへの秘密のプレゼントであることを思い出す。これをシドラスに話して、ベルの耳に入ってしまえば、アスラの作戦は失敗に終わり、ライトはその責任を取らされるかもしれない。
「ちょっと…あれだよ…いろいろあって、調べなきゃいけないんだよ」
「いろいろ?」
「そう…いろいろだ…」
シドラスは尚も疑いの目を向けてきていたが、ライトがそれ以上は語らないという強い意志を見せると、ついには諦めてくれたようで、近づけてきていた顔を離してくれた。
「もしも、ベルさんの好みを知りたいなら、ベルさんの好みを知っていそうな人に聞くといい」
「誰だ、それ?」
「一人はアスマ殿下だ」
「ああ、それは無理。絶対に無理」
アスマの嘘のつけなさを考えると、それは直通でベルに情報が言っているようなものだ。ライトが理由を話さなくても感づかれるに決まっている。
そう思ってから、シドラスの言葉に妙な含みがあることに気づく。
「ん?一人は?もう一人いるのか?」
「ああ、そっちが本命と言える人がいる」
「誰?」
「パロール様だ」
それは正に目から鱗が落ちるようだった。
☆ ★ ☆ ★
王城の掃除は未だ続いているようだったが、ベルは持ち場を離れていた。もちろん、ライトのようにサボったというわけではなく、事前に抜けることはメイド長にも報告している。
その目的はパロールのところで検査を受けるためだ。パロールと王城専属の医師であるナンシーがベルの身体に異常がないか調べるのだ。
ベッドで寝転んでいる間に、パロールがベルの魔力の状態や魔術的側面から異常がないか確認し、ナンシーが医療的側面からベルの身体が健康であるか判断する。この二ヶ月間、ずっと行われていた定例行事のようなものだが、現時点で異常が見つかったことはない。
そして、今回もそうだった。
「特に問題ないですね」
パロールがそう言いながらナンシーに目を向けると、ナンシーが首肯したことで検査の終了がベルに知らされる。
「これで明日からのお祭りは楽しめますね」
ベルが起き上がり、着崩れた服を整えているところで、ナンシーがそう呟いていた。その一言でパロールは思い出したようにベルに聞く。
「そういえば、ベルさんはお祭りの間どうするんですか?やっぱり、アスマ殿下と回るんですか?」
「やっぱりって…何で、そんな当たり前みたいにみんな言うんだ?」
「え?違うんですか?」
「いや、そうだが」
「やっぱり、そうなんですね」
「パロールとナンシーはどうするんだ?」
「私は久しぶりに師匠と一緒に回る予定ですよ」
「私は急患とかあるかもしれないので、基本的に王城待機ですね」
「ナンシーは回れないのか?」
「そうなりますね。でも、それを分かっていて選んだ仕事なので」
「ナンシーは偉いな。誰かに見習ってもらいたい」
「誰かって誰ですか?」
「候補が居過ぎて誰って言えない…」
こうして話していると、ついに竜王祭が明日に迫っていることを実感してきた。パロールは久しぶりということもあって、ついつい気持ちが膨らんでしまう。
「楽しみですね…」
そう言葉として口に出しても、すぐに気づかないくらいに、それはあまりに自然に零れたものだった。気づいたパロールが恥ずかしくなって、訂正しようとしたところで、パロールは思ってもみなかった言葉を聞く。
「私もだ…」
それはパロールと同じくらい無自覚だったのだろう。小さく呟いた当人であるベルは、自分が呟いたことに気づいた瞬間、沸騰したように顔を赤く染めていた。
「え?今、何て言いました?」
「な、何でもない!!」
ベルは赤面したまま、必死に取り繕おうとしているが、パロールとナンシーは笑みが止まらなかった。口に出すと怒られそうだが、非常に可愛らしい。
「もう終わったんだよな!?」
「え、ええ…ふふっ…終わりましたよ」
「なら、私は仕事がまだあるから!!じゃあな!!」
恥ずかしさから逃れるように赤面したままのベルが部屋から飛び出していく。その姿を見送ってから、パロールとナンシーはついに声を出して笑い出した。
「ベルさん、凄く可愛かったですね」
ナンシーの感想にパロールは笑いながら、大きく首肯していた。見た目も相俟って、とても愛らしかった。それは他の誰かに教えたくなるくらいだったが、誰かに教えたらベルにどんな風に怒られるか分からないので、ここは二人だけの秘密にしておくことにする。
やがて、一通り笑ったところで、ナンシーが笑いを残したまま立ち上がっていた。
「私もそろそろ戻りますね。あんまり遅くなると、お祖母ちゃんに怒られちゃうんで」
パロールはそのナンシーを笑いながら見送り、ベルの検査に使った器具を仕舞おうとしているところで、部屋の扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
そう声をかけると軽く扉が開かれて、ライトが顔を覗かせた。
「失礼します」
「どうしたんですか?」
パロールが聞くと、ライトは申し訳なさそうな笑みを浮かべて、少し腰を低くした。
「お聞きしたいことがあるんですけど」
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