終章-3:抜かれた心の刃と、決起会の用意
意志魔法の師である祖父の刀士がいつも座る座椅子に座り、頭を冷やすように命彦は目を閉じる。
まるで座禅を組んで瞑想しているかのようであった。
祖母が使う座椅子には命絃が座り、命彦の方をチラチラとうかがっている。
ミサヤは命彦の後ろの畳場に座り、ただじっと命彦を見詰めていた。
メイアと舞子も居間の皮椅子に座り、命彦を見守る。
4人とも命彦が思考を整理していることに気付いているのか、無言であったが、命絃とミサヤは、伝達系の意志探査魔法《思念の声》を使ってやり取りをしていた。
『命彦の表情が随分硬いわ。よっぽど重荷に感じてるのね?』
『無理もありません。幾ら幼少期から日本屈指の魔法士であるトウジ達に、優れた魔法教育や各種高等教育を受けさせられたといっても、マヒコはまだ16歳です。平時の行動が幾らしっかりしていても、こういう時には年相応の脆さが出る。一時的とはいえ、全社員の命を預かっているのですからね? その重さを感じているのでしょう』
『でもその重責から逃げずに、命彦は受け止めようとしてるわ。さっき寝室で固めた決意や覚悟があるから、自分が決めた道を進みたいから、責任の重さに耐えて、どうすれば自分の思う通りに進めるのか、必死に考えてるのよ。よくやるわ。私だったらその重さにつぶれてる。まあ、だからこそ背負うこと自体を拒むんだけどね?』
『マイトがそうやって経営者としての責務から逃げるから、命彦に余計負担がかかるのですよ。ただまあ……私は他者の命を背負うことを
『あら、理解してくれてありがとう。少し意外だったわ。……私としては、こうして年相応の弱さを見せる命彦も、これはこれでいいと思うんだけどね? ミサヤはどう思う?』
『そうですね……私もいいと思います。こういう時でも、いつも通りのしっかりした姿を見せられたら、その方が不安ですからね? 人には脆い部分、弱い部分が、必ずあるもの。だからこそ、一緒にいる誰かを人は必要とするのです。マヒコに弱さがあるからこそ、私達が傍にいる意味がある。こういう時こそ、私達がマヒコの心を癒し、迷わぬように、惑わぬように、その心へ寄り添う必要があります』
『良いこと言うわね? 今回ばかりは私もミサヤに同意するわ。いつも傍にいる私達くらいには、弱ってる姿を見せて欲しいもの。まあ今回は、2人ほど邪魔者がいるんだけどね?』
『緊急時ですから見逃してあげましょう? あの2人も、役に立つ部分がある筈ですから』
『そう? メイアはともかく、舞子が命彦の役に立つことってあるかしらね?』
『それは……未知数ですね』
命絃とミサヤが揃って皮椅子に座るメイア達を見て、小さくため息をつき、視線を命彦に戻した。
命彦は自分をじっと見る4人の気配を意識から消すと、今もふつふつと滾る自分の感情の渦を把握する。
母が傷付いたことの悲しみ。
目の前で母を傷付けられることを許した自分と、そして母を傷付けた眷霊種魔獣サラピネスへの怒り。
母を傷付けた許すまじき敵に戦いを挑み、完敗したという悔しさ。
【精霊本舗】の店員や職人、従業員達を率い、その命を自分が預かることへの不安。
命彦の心の底で、数多の感情が渦を巻き、1つの意志へと次第に集束して行く。
(……そうだ。物事は単純に考えろ。店のことも、俺のこの感情も、全てあの魔獣から始まってる。あの魔獣を、サラピネスを消せば、全て丸く収まる。そうすれば街も守れる。従業員も守れる。俺の心も晴れる。どういう手段を使っても、たとえこの命をかけてでも、あいつを絶対にこの手で絶ち斬り、突き滅ぼす。さっきも寝室でそう決めただろうが。迷ってる場合か? 腰が引けてる場合か? 違うっ! ここは決断し、踏み込む時だ!)
命彦が、躊躇い、戸惑う己自身を自ら叱咤する。
決意が、覚悟が、意識がまとまり、命彦の思考を一気に
自分にかかる重責の重さも消えて、すべきことが頭に羅列され、優先順位が確定する。
どうにもトロトロ動いていた命彦の頭脳が、急速に回転を始めた。
〔武士〕の果断さと、〔忍者〕の冷静さを持って、命彦はまず敵を分析する。
がしかし、弾き出した結果は、口惜しいモノばかりであった。
(今の俺じゃ、逆立ちしてもあの眷霊種魔獣を滅ぼすことはできねえ。さっきもミサヤが寝室で言ってたように、俺1人じゃ駄目だ……そもそもあいつは、最初から俺の戦い方に合わせてくれてた。多分力を計るために手加減もしてた筈だ。つまりは接待戦闘で負けたってこと。その上で底を見せてねえ。ヤツの力にはまだ上がある。それも計算に入れる必要があるぞ? ……負けたのも当然の話だ)
どれだけ自分が修得した魔法を駆使しても、脳内の仮想戦闘では勝算が見えず、
(分かっていたことだ、相手は至高の魔法系統を使う魔獣。神の力を使う眷霊種魔獣だ。俺1人で勝てるんだったら、祖父ちゃんや祖母ちゃんが苦戦するわけねえ)
そそり立つ神霊魔法という壁は、意志魔法と精霊魔法、源伝魔法まで修得した命彦でも、突破することが極めて難しい壁であった。ただ、希望はある。
眷霊種魔獣は【魔晶】の出現から30年余りの間、世界各地で数百体が確認されており、討伐された者も多くいた。討伐された眷霊種魔獣は、そのほとんどが人類側の神霊魔法の使い手、【神の使徒】との交戦で討たれているが、ごく稀に【神の使徒】以外が眷霊種魔獣を討伐したこともあったのである。
実際日本でも、過去に数十体の眷霊種魔獣が討たれているが、そのウチ1体は、命彦の敬愛する2人の魔法の師、祖父母が討伐した個体であった。
(思い出せ……昔話を聞いた筈だ。祖父ちゃんと祖母ちゃんはどうやって眷霊種魔獣と戦い、討伐した? ……そうだ。戦略を練り、億単位の開発費を注ぎ込んだ魔法具を湯水のように使いつぶして、ありったけの状態異常の魔法攻撃や、弱体化の呪詛をかけた上で、気心知れた腕利きの魔法士達と共に袋叩きにしたって言ってた)
目を閉じて、無表情だった命彦の顔がピクリと動いた。
(手段を選ばず、打てる手は全て打つ。やりよう次第では人間にも僅かに勝算はあるってことだ。まず自分の持つ武器を確認し、敵を討つために不可欠である武器を認識する。そして、敵を討つために不可欠である武器から、自分の持つ武器を引き、足りねえ武器を洗い出す!)
またピクリと表情筋が動く。口角がゆっくりと吊り上がっていた。
(足りねえ武器を把握すれば、それを揃えるのみ。あと必要とされるのは、実行の意志だ。絶対に斬る、この俺の手で。逃がさねえ、許さねえ、好きにさせねえ。俺をキレさせたことを、魂魄の一片にまで刻み込み、後悔させてから、斬り消してやるっ!)
命彦が剣呑さを宿した目を見開いた。今後の予定が決まったらしい。
背負うモノが増えたことで、かえって原点を見詰め、自分がどう行動すべきか定まった命彦は、さっきまであった緩い雰囲気が急に影を潜め、餓狼のように野性味のある雰囲気を纏っていた。
舞子の微かに感じていた違和感が、前面に表出した瞬間である。
寝室で決意と覚悟を持っても、具体的に自分がこれからどうするべきか模索していたからこそ、命彦は怒りを、想いを押し込めて、いつも通りの自分を演じていた。
しかし今、原点回帰によって今後の自分の行動が具体化され、命彦は目的と目的達成に至る道を思い付いた。
模索していた解答にたどり着いたのである。それゆえに、押し込めていた想いが表出した。
鞘に収まっていた日本刀が、この一瞬、抜身の真剣を晒したように、舞子には思えたのである。
「命彦さんが……ギラギラしてる」
思わず言う舞子を無視して、楽しそうに命絃とミサヤが口を開く。
「寝室で打ち上がった新しい刃が、鞘に納まってる間に研がれてたみたいね? 良い顔をしてるわ」
「はい。サラピネスとかいう眷霊種魔獣には、存分に後悔してもらいましょう。マヒコを本気で怒らせたことを。明確に目的意識を持ち、敵を斬ることに思考を最適化した状態のマヒコは、勇壮かつ果敢、冷徹かつ狡賢、加えて物凄くしぶといです。私でも勝てる気がしませんからね」
不敵に笑う命彦へ、見惚れるように視線を送り、命絃とミサヤは頬を紅くしていた。
畳場の座椅子から立ち上がった命彦の全身からは、活力が発散されていた。
眷霊種魔獣対策で思い付いたことでもあるのか。
自然と吊り上がる口角が、凄みのある笑みを作る。
「……」
舞子は、物凄く黒い笑顔で、酷薄に笑っている命彦を見て、無言で頬を引きつらせた。
明らかにさっきまでと違う雰囲気に、別人かとさえ舞子は思う。
さっきまでの困り顔はどこかへ消え、
メイアもようやくか、といった感じで淡く笑っていた。
瞑想というか、命彦が考え込んでいた時間は、僅か15分程度である。
そのたった15分で、命彦の雰囲気はガラリと違っていた。
戸惑う舞子を無視して、命彦はメイアに言う。
「メイア、ソル姉に伝えてくれ。宴会は行う。但し、俺の快気祝いじゃねえ。打倒眷霊種魔獣のための
凄まじいことを言う命彦に、舞子が唖然として驚いていると、メイアが苦笑して問いかける。
「そう言うと思ってたわ。でも、アレと戦うってことは、私達が義勇魔法士として戦場に出るということ。その場合、魔法士戦力の一部として、私達にも持ち場や任務が与えられる筈よね? それらを放棄してでもアレと全力戦闘を行う場合、重罰を避けるために予め都市自衛軍や都市警察に、根回ししておく必要があるわ。そこはどうするの?」
「空太と勇子経由で、風羽一佐と鬼土警視長に話を通す。どうせあっちも、折を見てこっちと話をする機会を持とうとする筈だ。その機会を利用する」
「命彦はあの眷霊種魔獣とまともに戦った唯一の人間だもの。確かに情報収集の意味では、軍と警察も話はしたいでしょうね?」
「ええ。軍にせよ警察にせよ、マヒコの話す情報には相応の価値を見出すでしょう。現場の情報は、ミツバからある程度伝わっているでしょうが、戦っている間のマヒコ達の思念会話の内容までは、ミツバも聞けませんからね?」
命絃やミサヤの発言に小さく首を振り、命彦が続けて語る。
「軍や警察も、あの眷霊種魔獣が俺達を狙ってることを知れば、対応を考える筈だ。義勇魔法士として依頼所へ登録すれば、俺達も防衛戦力に数えられ、戦場へ出られる。そうすりゃ、眷霊種魔獣の方から俺達を襲撃しに来るだろう。それを迎え撃ち、討ち取るだけだ」
「眷霊種魔獣のしつこさは折り紙付きです。しかも今回は、これと決めた獲物への襲撃、マヒコとメイアへの襲撃に横槍が入り、一度失敗している。そのことから考えても、マヒコ達が優先的に狙われる可能性が極めて高い。その眷霊種魔獣のしつこい習性を知っていれば、軍や警察も命彦達の言い分を聞き入れる可能性がありますね? 再戦の機会も得やすいでしょう」
「ああ。軍や警察に根回しして事前許可さえもらえりゃ、あとは梢さんを抱き込んで、義勇魔法士を統括する依頼所所長の立場から、独断行動を可能とする任務を作り出してもらえばいい。そうすりゃ、持ち場も任務も気にせずに、全力で眷霊種魔獣と戦える。軍も警察も戦力不足のこの現状だったら、使える戦力は全て使うだろ。それに……」
命彦はサラピネスとの会話を思い出した。
(アイツは思念で言ってた。貴様らとミズチとの戦いを見ていた者がいた、と。その者の記憶を我は転写した、と。もしかして……関西迷宮に出現した眷霊種魔獣も、関東や九州みたく複数いるんじゃねえのか?)
命彦が一瞬の思考から脱し、言葉を続ける。
「軍と警察の幹部である2人には、相談したいこともある。いずれにせよ、眷霊種魔獣は総じてしつこいから、一度襲撃に失敗してる分、必ずまた俺達の前に現れるだろう。そこを伝えて、俺達が眷霊種魔獣と自由に戦闘できるよう、説得する」
「分かったわ。ふうーやれやれ……私も戦場に出るとはね」
「当然だ。お前、ウチの店の人間だろうが? 言っとくが、あのサラピネスとかいう眷霊種魔獣の主目的は、神霊魔法を使うメイアだぞ? 俺のことを前菜とか言ってやがったし。そもそも俺を焚き付けといて、自分だけ後ろにいるつもりかよ? 次期【神の使徒】だろう? 今こそその力を使えよ」
「気軽に言ってくれちゃって……まあいいわ、付き合ってあげる。しっかり守ってよね?」
「おうよ。その代わり、お前も俺を守れよ?」
「はいはい、ふふふ」
どこか嬉しそうにメイアが笑って立ち上がると、命絃とミサヤが警戒の色を目に宿す。
その2人の反応に気付かず、命彦はメイアが居間の扉に手をかけた時に言った。
「ソル姉には、まず宴会の用意を再開するよう伝えてくれ。腹が減ってる子どもらもいるだろう。当初の予定通りに宴会を開きたい。あと、開宴の挨拶は俺がする。役目を果たす、と言えば、ソル姉も分かってくれるだろう」
「りょーかい。どういうことを言うのか、楽しみにしてるわね?」
命彦に淡く笑いかけ、メイアが別荘階の居間を出て行った。
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