2章 魔法士

2章-1:精霊魔法と、科学の魔法理解

 居間を出た命彦まひこは廊下を歩き、お盆を持ったまま玄関から外に出ると、家の敷地内にある別館を目指した。

 ペッタラペッタラと草履ぞうりを踏みしめ、魂斬家の広い敷地内を慎ましく飾る日本庭園に入ると、庭園の景観を維持するために剪定せんていに励む、白い球体状の自立思考型エ-アイタイプ多能機械マルチロボット、公称エマボットとすれ違う。

「いつもごくろうさん」

 命彦がそう言うと、エマボット達はお辞儀するように身を震わせ、主の邪魔をせぬよう、命彦の歩みに合わせて器用に傍を避けて行った。

 白いスイカとも形容できるエマボットは、丸い胴体に縞模様のように見える切れ込みが幾つもあって、上下の半球には、それぞれ切れ込みに沿った4カ所に、多目的腕部が収納されている。

 エマボットの移動や作業は、この上下の半球に収納された計8本の多目的腕部を使って行われるため、外見に反してその動作は蜘蛛くものように俊敏で、軽快であった。

 多目的腕部には、車輪や検知器付きセンサー関節指マニュピレータが付属しており、滑るように颯爽と移動したり、不安定で人間では作業しにくい場所でも、巧みに作業したりすることが可能である。

 細かい作業も得意であるため、エマボットは多くの分野であらゆる雑務を処理していた。

 21世紀も折り返しの年に入っている今の日本では、どの家庭にも必ず3台以上のエマボットがおり、わずらわしい生活雑務を全て肩代わりさせることが可能である。

 魂斬家では、主に敷地内の清掃や家庭菜園の管理、庭園の剪定や敷地内の警備役として、20台近くのエマボットが使われていて、屋敷の各所でその姿を見かけた。

「……おろ? あれは」

 お盆を持って歩いていた命彦が、エマボットの行き交う日本庭園を抜ける間際のこと。

 視界の端に、庭園に面した母屋の雨どいにぶら下がる1体のエマボットが映った。

 地上から8mほどの場所でガチャガチャと多目的腕部を動かし、もがくエマボット。

 屋根の掃除か、雨どいの点検か。作業をしている時に滑ってしまい、多目的腕部の1本が、雨どいと屋根との隙間に挟まってしまったらしい。

(あの程度の問題だったら多分独力で解決するし、自力脱出が駄目でも他のエマボットを呼んで、脱出することはできるだろう……)

 そうは思いつつも、見付けたのにそのまま放置して行くのは少し可哀想に思えたので、命彦はエマボットを助けることにした。

「これ、持っててくれ」

 近場にいた1台のエマボットを呼び寄せ、お盆を持たせると、命彦は呪文を紡いだ。

「其の旋風の天威を衣と化し、我が身に風の加護を与えよ。包め《旋風の纏い》」

 呪文と共に、風の膜が自分を包み込む魔法の想像図を脳内で想い描き、魔力を放出する。 

 自分が放出した魔力を手足のように使って、周囲の空間に同化している力の欠片、精霊を探知し、素早く魔力へ取り込んでいく。

 命彦が欲しいのは、風の精霊であった。

 少量の魔力に、できる限り多くの風の精霊を吸収し、膨れ上がった精霊入りの魔力で魔法を構築して、展開する。

 すぐに命彦の全身を薄緑色がかった魔法力場が覆い、まるで体重が消失したかのように、自分の身体が身軽に感じられた。

 精霊付与魔法《旋風の纏い》。魔法に応じた効力を与える力場、魔法力場を作り出す付与魔法の1種で、風の精霊達を魔力に取り込んで使役し、気流を操作して身軽に移動できる淡く緑がかった力場を作って、その力場で人や物といった魔法の対象を包み込む魔法であった。


 意志魔法や精霊魔法といった魔法系統の種別を問わず、《○○の纏い》と呼称される付与魔法術式は、その付与魔法に特有の魔法的効力を対象へ与えると共に、他者の魔法を打ち破る魔法攻撃力や、他者の魔法から身を守る魔法防御力をも与えてくれる、まさに攻防一体の魔法術式である。

 そのため、付与魔法は魔獣達との戦闘、特に接近戦を行う場合に重宝されており、魔法力場を使用者自身や、装備した魔法具に纏わせる形で、多用されていた。

 精霊付与魔法の場合、魔力に取り込む精霊の種類によって効力に違いがあり、風の精霊を使役して具現化される《旋風の纏い》は、気流の操作によって魔法の対象が行うあらゆる動作を身軽かつ俊敏にするほか、より多くの魔力や風の精霊を魔法へ追加することで、効力を上昇させて力場自体で風を起こし、自由に空を飛ぶことまで可能にした。

 迷宮での戦闘で、自分がよく使う《旋風の纏い》を展開した命彦は、その魔法に思うところがあるのか、少し悔しそうに苦笑した。

「うむ、いつも通り良い感じだ。しかし意志魔法を探求する家系としては、ちょいと悔しい。魔法技術の完成度で見たら、どうしたって意志魔法よりも精霊魔法の方が優れてる。魔法的効力の安定性も高いし、魔力消費量もごく僅かだ。そりゃあ誰もがこっちを使うだろうさ。意志魔法にも、一応精霊魔法に勝る利点はあるんだが……ふふ、仕方ねえか。いよっと」

 全身を覆う魔法力場に、より多くの魔力と精霊を上乗せして風を生み出し、ふわりと浮き上がった命彦は、雨どいにぶら下がるエマボットに手を触れた。

 エマボットは、助けようとする命彦の意図を即座に理解したのか、すぐに動きを止める。

「良い子だ、そのままじっとしてろよ?」

 エマボットを持ち上げつつ、雨どいに引っかかった多目的腕部を引くと、普通に腕部が隙間からスポッと抜けた。どうやらぶら下がった状態のエマボットの自重と体勢のせいで、腕部が雨どいと屋根との隙間に、余計に深く喰い込んでいたらしい。

「簡単に抜けるじゃねえか、このおっちょこちょいめ。ははは」

 楽しそうに笑った命彦は、すぐに着地するとエマボットを地面に降ろした。

 助けられたエマボットが、目のようにも見える2つの空間投影装置を起動して、紙のように薄っぺらい半透明の平面映像を前方に投影し、文字と日本語の発声で礼を述べる。

『マヒコ様、ありがとうございました』

「おう、どういたしまして。次は引っかからねえように気を付けろよ?」

 命彦がそう答えると、助けられたエマボットはすぐに持ち場へ戻って行った。

 その姿を見送りつつ、命彦は自分の身を包む薄緑色の魔法力場を霧散させる。

 精霊付与魔法の消失によって、魔力から解放された風の精霊達がヒュルリと巻き上がり、柔らかい微風が声のように耳を打った。

(……ありがとさん、風の精霊達)

 命彦は力を貸してくれた風の精霊達に、感謝の念を送った。


 精霊魔法は、魔法の使用者が自己の魔力に精霊という力を加えて具現化した魔法であり、使用者以外の力を魔法の材料に取り込んでいるため、少量の魔力でも高い魔法的効力が得られるという、今世こんせいにおいて最も発達した魔法系統であった。

 精霊も、魔力と同じく高位次元世界の力であるが、魔力のように生物の魂から意図的に生み出され、低位次元世界に引き出された力とは違い、そもそも精霊は、高位次元世界で自然に発生して、低位次元世界にまで勝手ににじみ出た力である。

 魔力が高位次元世界に位置する生物の魂より生まれた力だとすれば、精霊は高位次元世界自体が生み出した、世界そのものの力、天然自然の力とも言えるだろう。

 ただ、低位次元世界に染み出た精霊は、その世界の空間を漂う過程で、周囲の空間にある情報を取り込み、独自の性質、地・水・火・風……といった種々の力の性質を獲得して、低位次元の世界に融け込み、一体化した。

 これが魔力と精霊との決定的とも言える違いである。

 漠然とした無形の力であり、どういう風にでも自分の思ったとおりに使える魔力と、力の性質がある程度決まっていて、その性質に沿った事象に対してのみ使える、有形の力である精霊。

 同じ高位次元の力でも、精霊の方がより使い方が限定されるのである。

 この精霊を使って魔法を具現化するために、精霊魔法は精霊の持つ性質に魔法の効力が絶えず左右され、意志魔法のように、多種多様の魔法的効力を使用者の自由に具現化することは難しかった。

 しかし、魔力に取り込んだ精霊の性質が具現化した魔法の効力に影響を与える、という精霊魔法の欠点は、同時に、精霊の力の性質を理解してその性質に沿った魔法を具現化すれば、精霊を魔力に代替でき、魔力消費量を節約してその魔法を具現化できる、という利点でもあった。

 この魔力消費量を低減して魔法を使えるという、他の魔法系統に勝る利点によって、精霊魔法系統は、今の世界の魔法技術の主流を形成したのである。

 仮に同じ効力を持った魔法を、他の魔法系統と精霊魔法系統とで、それぞれ別々に具現化した場合、効力に対応した精霊を使役できれば、精霊魔法系統の方が、圧倒的に使用者の魔力消費量を低く抑えられた。

 勿論一部の例外もあるが、修練によって誰もが身に付けられる魔法系統では、精霊魔法系統が最も魔力消費量を低減でき、魔力の消費効率に極めて優れている。

 しかも精霊魔法は、精霊の持つ性質を利用して魔法現象を構築するため、魔法の使用者が、脳裏に思い描く魔法の想像図を多少手を抜いて想像しても、ある程度まで魔法的効力が確実に発揮されるという、有用過ぎる利点をもあわせ持っていた。

 おまけに効力が常に安定しているため、精霊魔法は効力持続時間も比較的長く、特に儀式魔法術式を併用して魔法が自動的に周囲の精霊達を取り込み、本来は時間の経過で弱体化する筈の魔法的効力を、自発的に補完するモノの場合だと、効力持続時間は数百年近くまで延長、継続させられた。

 他の魔法系統と比べて魔力消費量を節約でき、その上魔法の想像図が多少曖昧でも、一定以上の効力を常に発揮できる。その上、魔法的効力が常に安定しているため、効力持続時間も容易に長期化させられる。

 こうした利点は、精霊魔法系統に固有の性質であった。

 加えて言えば、現時点で確認されているだけでも精霊の種類は1000種を超えており、今も新種が多数発見されている上、別種の精霊同士を組み合わせて新しい効力を合成するといった、精霊融合魔法という魔法技術も開発されている。

 精霊の持つ力の性質によって具現化した魔法の効力が限定されるという、精霊魔法が抱える唯一の欠陥でさえも、今の世では技術的に解消されつつあったのである。

 意志魔法を好んで探究する魂斬家の者でも、精霊魔法はひととおり幼少期から仕込まれた。

 それは、使用者の精神状態によって効力が勝手に増減する意志魔法より、魔法的効力が常に一定で安定し、使用者の魔力消費量を節約できる精霊魔法の方が、魔法系統としてより完成していて、人類が魔獣達と戦うために用いるべき最有力の武器だと、魂斬家の者も認めているからであった。


 《旋風の纏い》の魔法力場を散らした命彦の傍へ、お盆を持ったエマボットがトテトテと寄って来て、空間に投影した平面映像を介して言った。

『マヒコ様、お疲れではありませんか? 魔法を使って飛行されておられましたが?』

 エマボットが、どこか心配そうに命彦の傍をウロウロした。

 エマボットに搭載された人工知能は、非常に優れた学習能力を持ち、同型機とお互いの経験を伝達して、経験を知識として蓄積し、並列化して、思考能力を高めて行くのだが、実は起動時の初期設定で、この並列化に個体ごとの制限をかけて、個性とも言うべき人工知能の発達度合の差を作ることが可能であった。

 早い話が、エマボットごとに性格を設定することができるのである。

 さっき助けたエマボットは、せっかちで少々抜けているように感じられたが、このお盆を持たせたエマボットは、どうやら主想いの心配性であるらしい。

 そうした個体差、人工知能の差が面白かったのだろう。命彦の顔が自然とほころんだ。

「いや、平気だよ。そもそも飛行した時間がとても短いし、精霊魔法で飛んだから、意志魔法で飛んだ時よりは魔力消費量も限定的で、心的疲労も全然軽い。それよりお盆ありがとさん。もう持ち場に戻っていいぞ?」

『……承知しました。では、失礼します』

 自分のことを心配するエマボットに礼を言い、命彦は料理をのせたお盆を受け取った。

 エマボットはゆっくりと移動し、その場を離れて行くが、時折身体ごと振り返っては、命彦のことをジイッと観察している。その様子を見て、命彦は思わず苦笑した。

 どうやらこのエマボットは、余程心配性の性格に育っているらしい。

 エマボットがしつこく命彦の疲労具合を気にするのにも、一応理由はあった。

 実は、命彦は幼少期の頃、意志魔法を使って自宅の敷地内を1時間ほど飛行し、魔力を過剰消費したことで、寝込んだことがあったのである。

 魔法系統の別を問わず、一般的に飛行するための魔法というのは、飛行する速度や時間、距離に応じて、魔力消費量が一気に増えるため、実は相当疲れやすかった。

 ごく僅かに例外とも言える魔法もあったが、飛行できる魔法=魔力消費量が多い、という認識は、どの魔法系統でも基本的に同じである。

 人間より多くの魔力を持ち、魔力の回復も早い魔獣であれば、延々と飛び続けることも可能であるが、人類が魔法で飛行できる時間は限定的で、ごく短時間であった。

 他の魔法系統と比べ、魔力消費量が相当節約できる精霊魔法系統であっても、魔法による飛行で過度に魔力を消費して墜落したり、気絶したりする事例が幾らか確認されているほどである。

 エマボットが命彦のことを心配するのも、当たり前であった。

 というか、主の心配もせずにさっさと持ち場に戻って行ったさっきのエマボットの方が、よっぽど思考能力に問題がある。雨どいに引っ掛かるのも、当然と言えよう。

 ただ、こうした精霊魔法による飛行事故の危うい例は、数時間以上にも及ぶ魔法による飛行の結果から生じたモノであり、今回のように、たった30秒足らずの飛行では、幾ら飛行するために追加で魔力を消費したと言ってもたかが知れていて、心的疲労も僅かであった。

 その意味では、命彦の様子を見ているエマボットの心配も杞憂きゆうである。

「やれやれ……俺が魔法と呼ばれる特殊現象を使ったことは理解できても、どれくらいの魔力を消費したのかや、魔法系統自体の区別までは、さすがに難しいか」

 命彦がお盆を脇に抱え、本当に平気だと、笑って手を振ってやると、ようやく心配性のエマボットは去って行った。

 幾ら人工知能が発達しても、魔力が計測不能である現時点の科学では、人工知能に魔法という特殊現象を完全に理解させることは難しく、当然のことだが、幾つもある魔法系統を、それぞれの特徴を理解して区別させることも難しかった。

 魔力が認識不能である人工知能は、魔法という特殊現象を認識することで、既存の物理法則をくつがえす高次の力がこの世界にはあると、間接的に理解している。

 魔力という力自体は計測不能でも、魔力によって具現化された一部の魔法、物理現象を発生させる魔法は、科学的に認識・計測が可能であった。

 科学的に発生を再現したその物理現象と、魔法という特殊条件下で発生した物理現象とを比較・対照することで、人工知能は魔法の特殊性を認識しているわけである。

 しかし、科学で認識できるのは現状ここまでであり、魔力自体が認識不能である以上、魔力と同じく高位次元の力であり、通常は空間に融け込んで世界と同化している精霊もまた認識不能で、精霊魔法や意志魔法といった、発生した特殊現象は同じでも、力の源泉がまるで違う魔法系統の区別までは、人工知能には無理であった。

 それ故に、心配性のエマボットは、命彦の言葉が事実かどうか自分で判断することができず、繰り返し命彦を見ては、この場を去ることを迷っていたのである。

 エマボットにとっては、魔法で飛行すると人は疲れやすく、飛行時間によっては激しく衰弱する、ということだけが理解できており、どの魔法系統で空を飛ぶと衰弱が軽減されるのか、といった詳しい区別はまだ難しかった。

 短時間の魔法による飛行だったから平気ではあるだろうが、魔法で飛行したことは事実。

 一応注意して、主の様子を見守らねば、という風にエマボットも思考していたのだろう。

「科学で魔法を完全解明するのはまだまだ先かねぇ? まあでも、心配してくれるのはいいもんだ。ついつい可愛く見えちまう。愛着もくし」

 笑顔で心配性のエマボットを見送ってから、目前に見える別館に視線を移し、命彦はまた歩き出した。

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