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 さて、状況は先ほどと打って変わって春子が苦しくなる。

 夏子さんは懐中から拳銃を取り出し、春子に突き付けて言った。


「銃を捨てなさい」


 春子は従い、銃を床に置いた。


「姉さんには人質になってもらうわ。ここを安全に脱出するためのね」


 春子は下を向き、悔しそうに唇を噛んでいた。もう少しで逮捕という所だったんだ、無理もない。

 しかし、少しすると何か思いついたのか前を向いた。その表情はまるで光が差したかのように明るかった。

 春子は突然、自分の着ている服の胸元のボタンを開け、胸を寄せて谷間を強調させ、前かがみになってその強調された谷間を俺に見せつけてきた。


「ねえ、お姉さんとイイ事しましょう?」


 ……な、んだと……。


「悪あがきは止めてくれる姉さん? 永井君も本気にしないで」


「そのイイ事ってのは、もちろんエッチの事なんだよな?」


「本気にしないでって言ってるでしょ!」


 夏子さん、悪いが俺には俺の都合があるんだ。さあ、春子はなんて答える……?


「もちろん、エッチの事よ」


「その言葉が聞きたかった!」


「ちょっと待ってよ!」


 俺の体が無意識のうちに春子さんに近づいているのを、夏子さんは俺の服を掴んで止めた。


「永井君は私とイケない事したくないの?」


「もちろんしたいです」


「待って、永井君は私とイイ事したいんだよね?」


「もちろんしたいです」


 これに夏子さんはため息をついた。


「ねえ、姉さんの側に付くなら私は当然あんたとはエッチしない。分かるよね? エッチはどちらかとしか出来ないのよ」


「な、なんだってーッ!」


「何、今気づいたみたいな顔してるのよ……」


 た、確かにエッチを条件にどっちかの味方に付くというのなら、どっちかとしかエッチ出来ねえ。どど、ど、どうすればいいんだ!?

 この前は夏子さんに決めたが、だからと言って今回も夏子さんだなんて、いい加減な決め方で良いのか? 片方に決めるということは、即ち片方を捨てるということだ。

 だが、俺にこんな魅力的なお姉さんを捨てるなんて、とてもじゃないが出来ねえ……っ! どっちともエッチがしたい……っ!


 俺が将棋のプロ棋士並みの長考をしていると、しびれを切らした夏子さんは苛立ちのこもった声で言った。


「ねえ、早く決めてくれない? もう、こうなったら永井君抜きで――」


 いや待て、それは聞き捨てならない! 俺抜きでは俺がエッチ出来ないではないか!


「駄目だ駄目だ駄目だ! 姉妹で争うなんてよくないぜ。……あと少しで良いから待ってくれ。もう、今決めるから。俺に任せてくれ!」


「あんたはエッチしたいだけでしょ!」


「いやぁ、そんなことないよぉ? やっぱり姉妹が銃なんて、物騒な武装して争うのは良くないと思っただけだよ」


 夏子さんと春子さんは、そろって怪訝そうな顔をする。

 いい加減苦しいようだ、今決めると言ってしまったし、どっちとエッチするか決めなくちゃならない。ああいや、どっちを助けるか決めなくちゃならない。

 あああああ、だが決められん! さっきまで決められなかったことが、今急に決められるわけがない! いっそ、じゃんけんでもしてもらおうか、そうするか? ああもうそれで良いや! 


「……お、俺は……」


 と、ついに俺が答えを言おうとしたその時、突如人を完全に覆ってしまえるくらいの大きな網が飛来。網は夏子さんの方に飛んでいき、最終的に彼女に覆いかぶさった。


「ちょっと、何これ!?」


 夏子さんは突然のことに暴れたが、もがけばもがくほど網が絡まり身動きが取れなくなっていた。

 俺と春子さんは、予想していなかった出来事に呆気にとられた。

 いったいこの網は誰が? そう思っていると、部屋の外に人の気配を一つ感じた。


「そこに居る奴、出てこい!」


 俺がその気配に呼び掛けると、そいつはあっさり応じ部屋に入ってきた。その姿を見た時、俺は驚きを隠せなかった。


「な、中野!? なんでここに!?」


「それは君たちが突入してから、帰ってくるのがあまりに遅いからだよ。何の連絡もないし、我輩が様子を見に来たと言うわけだ」


 知りたかったことから微妙に外れた返事、そしてその返事にもまた新たな謎。まだ頭の整理がつかない。


「なんでお前がこの突入のことを知ってる?」


「それは昨日、君に断られた春子さんが我輩に依頼しに来たからだ」


「なんだって!」


 俺は驚きのあまり開いた口を閉じぬまま、春子さんを見ると、彼女は頷いて中野の言う事を肯定した。なるほど、確かに昨日断った時、他を当たるとか言っていた気がするな。中野に電話したときも妙に忙しそうだった。

 状況を把握できた俺は、顎を手で押さえて口を閉じた。しかしながら、一度納得がいくとどうでもいいようなことが気になってくる。


「しかし、なんで中野なんだ?」


 俺の疑問には春子さんが答えてくれた。


「それなら私が答えるわ。中野君に依頼した理由は、犯人を捕獲するための特殊ネットを開発して欲しかったからなの。中野君ほどの天才じゃないと作れない代物よ」


「そして、さっき我輩が投げたのがその特殊ネット。一度投げれば自動で対象を追尾し、必ず捕獲してくれる優れものなのだ」


 中野は胸を張って言った。なるほどな。


「だが、中野も良く引き受けたな」


 中野の発明と言えばどれもエロ系だ。服を溶かすとか、透視とか。警察に協力するなんて珍しいこともあるもんだ。


「ああ、君には悪いが実は春子さんにイイ事をしようと誘われてな」


 中野はにやにやしながら俺に言った。

 俺は中野に憐みの視線を向けずにはいられなかった。


「な、なんだその目は? ははん、さては妬いているな君?」


「イイ事ってのは、良い事、つまり犯罪者逮捕のことだぞ」


「事実を受け入れられず頭がおかしくなったか? お姉さんの『イイ事しましょ……?』は『エッチしましょ……?』に決まっているであろうが。常識を知らぬのか?」


 ああ……、どっかで見たことがあるぜ。こんな馬鹿な男をよ……。


「春子さん、教えてやって」


「中野君、永井君が言う事は本当よ」


 俺はこの時、期待から絶望に変わった時の人の顔を始めて見た。




「でも俺は違いますよね春子さん、エッチするって約束してくれましたよね?」


 悪いな中野。俺はちゃんとエッチするって言質を取ってあるんだ。俺は春子さんとエッチするぜ。

 さて、長く苦しんだ選択だったがついにエッチする相手が決まったんだ……っ! 感無量……っ! もうこのまま学校に行こう!

 ところが――。


「駄目よ」


「何で! 嘘ついたのかよ! 警察としてそれでいいのか!?」


「私は、味方になってくれるならというつもりで言ったのよ。でも今回はあなたが味方になる前に解決した。だからエッチもする理由が無いわ」


 な、なんだってーっ! 一理あるようだが完全に向こうの勝手な理屈だ。


「ふん、そうかよ! だったら今から夏子さんを助けてもいいんだぜ――」


 俺はそう言って夏子さんの方を見やる――って、居なくなってる!?


「なんで居ない!?」


「ああ、あの網には捕獲後、拠点に戻るようにプログラミングされてある」


 どこまで優れものなんだよっ! しかも完全にそれが裏目に出ちまってやがる! 

 中野さえ、中野さえ居なければ俺はお姉さんとエッチが出来たのに!


「ちくしょう! 中野! お前のせいだ、責任取りやがれッ!」


「ぐはっ! な、殴ることはないだろう!」


「うーん、永井君が優柔不断なのが悪かったんじゃ……?」


 …………春子は無視。


「殴って何故悪いか! 殴られもせず一人前になった奴がどこに居るものか!」


「それっぽいこと言って、ただの私怨だろう!」


 そう言って中野は俺に殴り返す。


「っ! 空気読めって言ってんだよ! そうしたら、そうしたら俺は今頃、今頃……」


 もしも上手くいっていたら……。俺はそうだった時のことをつい空想してしまった。現状とのあまりのギャップに、今まで感じたことのない悲しみが襲い掛かってくる。

 心に風が吹きすさぶ? そんな生易しいもんじゃない。もっと言葉では言い表せないような酷いもんだ。


 もう一度振り上げた拳を、振り下ろすことは無かった。拳を力なく解き、俺は膝から崩れ落ちた。

 中野が俺の顔を覗き込む。


「おい、どうした永井――な、泣いている!?」


 男泣き。俺はわんわん泣いた。荒れ狂う嵐の海の様に。

 俺は今日、強化人間になってから初めて泣いた――。


 ……もしかしたら初めてじゃないかもしれないけど。


「ずるいぞ、君ばかり泣きおって。我輩も裏切られたのだぞ。よし、我輩も泣く! えーんえんえん!」


「いや私、裏切っては無いけど……」


 俺たちは抱き合った。抱き合って泣いた。

 地下室に、エッチ出来なかった男たちの悲しき泣き声がこだました。さながら誰かの死を悼むかのように……。


「二人してエッチ出来なかったくらいでそんなに泣く?」

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