第70話 世界最強を目指す者、恋愛成就を望む者

 レティシアは俺との距離感が非常に近かった。

 公爵令嬢であるにも関わらず、だ。


 食べ物を「あ~ん」して食べさせてくれたり、スキンシップしてきたり。

 レティシアが悲しいことを思い出して、泣きながら抱きついてきた時、俺が抱き返さなかったことに激昂したり……


 レティシアは単に他人との距離感が近い人だったと、そう信じたい。

 そう、信じたかった。

 だがあいにく、彼女が他の男にそういう態度を取っているのを見たことがない。


 ということは、レティシアは俺に対して特別な感情を、恋愛感情を抱いていたということになる。


「なぜ私の気持ちに気づいてくださらなかったのですか!? 今までたくさん、アピールしてきたではないですか!」


 ──それは、目の前のことに必死過ぎたから。

 今にして、そう思う。


 俺は「世界最強の冒険者」を目指し、ひた走ってきた。

 子供の頃からただひたすらに剣を振ってきた。

 周りからバカにされても、その悔しさをバネにして修練に励んできた。

 ことごとくを凌駕していき、強さを証明してきた。

 それは今も変わらない。


 俺は剣を振るいながら、レティシアに気持ちをぶつける。


「気づいてあげられなかったのは、申し訳ないと思っている。だが俺は、世界最強の冒険者になると決めた。そのためにずっとがんばってきた──だから、それ以外のことを考える余裕がなかった!」

「ではなぜ、世界最強を目指すのですか? 今のままでも十分強い──いえ、もう世界最強と言っていいくらいではありませんか!」

「それは、俺をバカにしてきた人々を見返すためだ。そして世界中に、俺の強さを知らしめるためだ!」

「ならばもう、がんばる必要なんてありません。私が、エレーヌが、それにルイーズ王女殿下だって、みんながあなたを認めていますから!」


 確かに、レティシアの言うことは正しいのかもしれない。


 レティシア・エレーヌ・ルイーズ王女の三人は決して、俺の天職 《回復術師》を嘲笑ったりしなかった。

 俺の実力を目の当たりにした時、素直に俺の強さを認めてくれた。


 公爵令嬢や王女といった位の高い少女たちに、俺は認められきた。

 更にはレティシアの父親であるローラン公爵、王弟であるルクレール公爵、そして国王陛下でさえも俺に目をかけてくれている。

 そして今、俺たちの試合を観てくれている観客にも、俺の実力を見せつけることができたはずだ。


 確かにレティシアの言う通り、俺はもうがんばる必要はないのかもしれない。

 みんなに認められたのかもしれない。


「私と結婚しましょう! そして幸せな日々を過ごしましょう! もう世界最強の冒険者を目指していたときのような、窮屈な思いをしなくて済むのですよ!?」

「それでも俺は──」


 ──戦い続ける。


 常に上を目指す。

 もし俺が世界最強になったとしても、挑戦者を募り待ち続ける。


 それが茨のような道のりだったとしても、その道を己の剣で切り開く。

 少なくとも俺が「世界最強」と称えられるまでは、それを張り続ける。


 だから俺は今、レティシアと結婚する気にはなれない。

 恋愛に現を抜かすつもりもない。


「俺は一番になりたい──いや、絶対になるんだ!」


 一番になるまでは、本当の意味で人々を見返したことにはならない。


 確かにレティシアの言う通り、一番を目指すのは窮屈だ。

 「世界最強にはなれないかもしれない」と考えることだって、一度や二度ではない。

 たとえ一時的に一番になったとしても、すぐに追いつかれる可能性だってある。

 いつかは気力・体力ともに衰え、戦えなくなる日が来るに違いない。


 それでも俺は、死力を尽くして凌駕する。

 限界まで戦い続ける。


 たとえそれが、地獄のような道のりだったとしても──


「私にとっての『一番』はクロード、あなたです! それでも、ダメなのですか!?」

「気持ちはありがたい。嬉しいよ。でも、俺は──」


 俺は石畳を踏みしめる。

 そして渾身の力を振り絞り、一気に剣を突き出す。


「みんなにとっての『一番』になる!」

「ぐうっ──!」


 俺の剣が、レティシアの胸を貫く。

 俺が剣を引き抜くと同時に、闘技場に設置された自動回復魔術が、彼女の傷を瞬時に癒していく。


 だがその代償として、レティシアの精神力は根こそぎ持っていかれたはずだ。

 もはや彼女に、戦う気力など──


「はあああああああっ!」


 ──刹那。

 俺はレティシアに、鬼気迫る表情で右腕を掴まれる。

 そして彼女は両手剣を右手で持ち、勢いよく振りかざしてきた。


 レティシアのどこに、そんな気力があるというのだ。

 最後まで戦い抜こうとする彼女の心意気に、俺は驚くとともに感服する。


 だが残念ながら、その心意気は報われない。

 なぜなら勝つのは俺だからだ。


「ぐっ!?」


 レティシアの剣が俺の肩口に接触する直前。

 俺は彼女の胴にドロップキックを食らわせつつ、掴まれた腕を振りほどいた。


 レティシアはドロップキックの勢いによって後ろに下がる。

 体勢を崩しており、隙だらけだ。


 俺は体勢を整えたあと、石畳を蹴る。

 そして瞬時に間合いを詰め、剣を構える。


 レティシアも俺の剣を迎え撃つべく、腰を落として剣を構える。


「──世界最強の冒険者に、俺はなる」


 俺はすれ違いざまに、レティシアの胴を斬る。

 金属と石が接触する音が、背後から聞こえてきた。

 レティシアは剣を、手放したのだ。


「──はい……がんばって、ください……これからもずっと、応援していますから……」


 か細い声とともに、レティシアは膝を折って倒れる。

 俺はその声を聞いて、少しだけ心が痛くなった。


 審判は右手を高く掲げ、俺の勝利を宣言する。


「レティシア選手の気絶を確認。よって王国武闘会・決勝戦の勝者は、《回復術師》クロード選手とする!」

『──決勝戦で見事勝ち残ったのは、《回復術師》クロード選手です! 優勝、おめでとうございます!』

「うおおおおおおおっ!」

「いい試合だった!」

「二人とも、よくがんばった!」

「クロードくん、優勝おめでとうっ! レティシアちゃんも……カッコよかったよ……!」


 俺はアナウンスと、観客やエレーヌの歓声を聞きながら、しゃがみ込む。

 そして石畳に突っ伏しているレティシアに触れる。


「《光よ、彼の者に癒しを》」


 俺は回復魔術を施すとともに、レティシアに魔力の一部を与える。


 魔力と精神は密接に結びついている、というのが魔術学の定説だ。

 たとえそれが、非魔術師系の天職の持ち主だったとしても。


「──ううん……」

 

 闘技場内の魔術によって、精神力を根こそぎ奪われたと思われるレティシア。

 俺が回復魔術を行使した上で魔力を与えた途端、彼女は息を吹き返した。


 俺はレティシアに手を差し伸べる。


「大丈夫か? 身体は、どこも悪くないか?」

「大丈夫です……ありがとうございます」


 レティシアは顔色が優れない様子だが、俺の手を取って立ち上がる。

 その後、俺たちはしっかりと目を見据え、固い握手を交わす。


「あの……私の想いを、聞いてくださいませんか……? なぜあなたを好きになったのか、試合中は言えませんでしたから……」

「想いを聞いたとしても、それに応えることはできないと思う──申し訳ない」

「それでも構いません……ダメ、でしょうか……?」


 レティシアはとても悲しそうな表情をしている。

 そんな顔で頼まれれば断れるはずもないので、俺は「分かった。聞かせてくれ」と返事した。


 レティシアは深呼吸をして、語り始める。




 レティシアと俺との出会いは、都市ローランの城壁の外に広がる平原だ。

 彼女を乗せた馬車がオーガに襲われていたところ、俺とエレーヌに助けられた。


 当時のレティシアは、無力感と罪悪感でいっぱいだったらしい。

 今まで実家のためにリシャールに尽くしてきたのに婚約破棄され、実家に報いることができなくなってしまった。

 さらに、オーガに襲われたときは武具を身に着けておらず、「肉を切らせて骨を断つ」という《聖騎士》本来の戦いができなかったため、騎士たちを見殺しにするしかなかったという。


「──その時、クロードとエレーヌが私を助けてくださいました。空っぽの心を満たしてくださいました。それが、クロードに恋愛感情を抱いたきっかけです」


 俺はレティシアの言葉を、とても嬉しく思う。

 彼女はただの少女ではなく、才色兼備で人柄も家柄もいい少女だ。

 あまりにも完璧すぎて、俺には釣り合わない。

 それでも俺のことが好きだというのなら、嬉しくならないはずがない。


 だがそれと同時に、「ただの人助け」と思ってやってきたことが、俺の想像以上に他人に影響を与えていたことを知って、驚いている。

 俺にとっては一つの些細な出来事であっても、レティシアにとっては大切な出来事だったということだ。


「出会ってからも、あなたには色々と助けられました。それに準決勝でリシャールに勝てたのは、あなたのことを考えながら戦ったからです。クロード、あなたは私の心の支えだったのです……」


 レティシアはうつむき加減で黙り込む。

 もう言いたいことは言い尽くしたのだろう。


「君の気持ちはよく分かった。だけどすまない。それには応えられない──世界最強の冒険者になるまでは、結婚するつもりはない。それにレティシア、君のことは『主君』であり『友人』であり『仲間』としてしか見ていなかった。一人の『女性』としては、見ていなかったんだ」

「そう、ですか……」


 レティシアは少し考える素振りを見せたあと、俺をまっすぐ見つめてきた。


「──それでも私、絶対に諦めませんから」


 レティシアは瞳を潤ませながらも、力強い声で言う。


「あなたが世界最強の冒険者を目指すというのなら、私は傍でずっと支えます。そしていつかもう一度、プロポーズします。あなたが執念を持って世界最強を目指すのと同じく、私も信念を持ってあなたを想い続けます」

「そうか……」


 俺は、そう相槌を打つことしかできなかった。

 「一生かかっても世界最強になれない可能性だってある」「別の男を見つけたほうがいい」など、レティシアを気遣うような一言はいくらでもあるはずだ。


 それに俺自身、本当にレティシアと結婚しても良いのか分からない。

 彼女は公爵令嬢で身分差があるし、それに何よりエレーヌのことが気がかりで仕方がない。

 俺は誰とも恋愛する気にも、結婚する気にもなれない。


 だがレティシア自身が俺とともに道を進むと決めたのなら、俺からとやかく言うことはない。


「でもその気になったら、いつでも私にプロポーズしてきてくださいね? 『誓いを破った軟弱者』なんて言うつもりはありませんから……ふふ」

「ははは、冗談を言う余裕があったんだな」

「あははっ!」


 レティシアは大声で笑う。

 俺はそんな彼女と固い握手を交わし、闘技フィールドを去った。

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