第62話 準決勝《婚約破棄された公爵令嬢 vs 元婚約者》
《聖騎士》レティシアは、準決勝・第2試合が始まるのを待っている。
目の前にある重厚な扉。
その先には闘技フィールド・観客、そして対戦相手である《剣聖》リシャールが待っている。
──自分を婚約破棄したリシャールに、自分の人生を終わらせかけたリシャールに、ようやく報いることができる。
公爵令嬢レティシアは、武者震いしていた。
雪辱を果たす機会が訪れることへの期待。
そして、剣技に優れる《剣聖》との対決への不安。
それらが入り混じり、レティシアの心拍数は少しずつ上がる。
胸の高鳴りにより、彼女は高揚していた。
『──残すところ、あと3試合! この準決勝・第2試合と三位決定戦が終われば、後は決勝戦です!』
「うおおおおおおおおお!」
『──それでは選手入場です! 北コーナー……《聖騎士》レティシア選手、入場してください!』
「うおおおおおおおおおっ!」
「レティシアちゃん! 絶対に勝ってくれよな!」
「私も、同じ女として応援するから! がんばって!」
アナウンスと同時に、重厚な扉が係員によって開け放たれる。
歓声が鳴り響くなか、レティシアは槍を手に持ちながら闘技フィールドを進んだ。
『──続きまして、南コーナー……《剣聖》リシャール選手、入場してください!』
「うおおおっ!」
「俺としてはレティシア選手を応援したいけど、リシャール選手も相当強いんだよな……」
「今までの試合を、ほぼ一撃で終わらせてるしね……対戦相手がいまいちパッとしなかった、っていうのもあるしょうけど……でもやっぱり、レティシア選手にはがんばってほしいわね」
理由はよく分からないが、観客たちはレティシアを応援している。
レティシアはそれがとても嬉しかった。
そんな声に苛立っているのか、リシャールは眉を顰ませながらも彼女に近づいた。
レティシアは握手をするために手を差し伸べるが、リシャールは彼女の手を叩く。
──この男は、自分と握手をする気すらないのか。
スポーツマンシップに則らなかったリシャールに対し、レティシアは不信感を募らせていた。
まあ、最初から不信感しかなかったのだが。
「レティシア、準決勝まで勝ち進めたからっていい気になるなよ? 所詮貴様は女、この僕に勝てるわけないんだ」
「あら、そんなことを言ってしまってよろしいのですか? その『女』に負けるのは、あなたの方なのですよ? 今から発言を取り消すというのであれば、聞かなかったことにしますが──いかがなさいますか……? うふふ……」
「ちっ……! レティシア。貴様は王弟の息子であるこの僕が、手ずからしつけてやる。ありがたく思え」
リシャールはレティシアを鋭い目つきで睨みつけた後、所定の位置に移動する。
レティシアも移動を終え、槍の穂先をリシャールに向ける形で構えた。
「これより、王国武闘会決勝トーナメント準決勝・第2試合を始める。勝利条件は、対戦相手の降参または気絶。体術・魔術の使用は全面的に許可する──始め!」
審判の合図とともに、レティシアはショートランスを前方に構えて突撃する。
相手は剣を用いる《剣聖》
であれば、リーチが長い槍の方が圧倒的に有利。
槍の有効範囲に入ったレティシア。
足を踏み鳴らし、リシャールの心臓めがけてまっすぐ突く。
しかしリシャールは上体を横方向にそらし、槍をかわした。
初撃はあっさりとかわされたが、次こそは当てる。
レティシアは槍を一度引っ込め、またしても突き出す。
だが今回も、リシャールは右にステップしてかわす。
そしてそのまま、レティシアの視界から姿を消した。
──一体どこに……!?
《剣聖》は剣術のみならず、敏捷性にも優れている。
《アサシン》ほどではないが、こそこそと逃げ回るのが得意な天職でもあるのだ。
──刹那。
レティシアの背後から、剣を振り下ろす風切り音が聞こえてきた。
「くっ!」
レティシアは槍を両手で持ち、頭上に掲げる。
リシャールの振り下ろしは柄の部分でなんとか防げたが、やはりこの男は速い。
レティシアは前方へ駆け出すと同時に、後ろを振り向く。
リシャールもそれに合わせて追いかけてき、素早い動きで剣を何度も振るってきた。
袈裟斬り、燕返し、逆袈裟、燕返し、振り下ろし──
《回復術師》クロードの剣技よりも若干劣るが、しかし天職由来の敏捷性も手伝ってか、《剣聖》リシャールの剣は何本も同時に存在するかのように見えた。
レティシアは槍を回転させ、そのすべてを受け止める。
だが、不利な状況であるのは確かだ。
「槍が使えるからって、《剣聖》である僕に勝てるとでも思ったか。そんなものは女の浅知恵だ。僕は槍術など──とうの昔に克服しているッ!」
そう、リシャールの言うとおりだ。
《剣聖》とは、剣戟の極致に達した者。
そこには当然、槍使いをいなすためのテクニックも含まれてしかるべきだ。
槍使いの最大の弱点は、近づかれれば終わりだということである。
槍は主に穂先でもって攻撃するもので、小回りがきかない。
だが常人であれば、レティシアの槍に阻まれて近づくことはかなわない。
しかしリシャールは一味違った。
彼はあまりにも俊敏すぎたのだ。
別にレティシアとて、近づかれることをまったく想定しなかったわけではない。
それを承知した上で少しでも勝率を上げるため、リシャールと同じ剣ではなく、槍で戦うことを選んだのだ。
だがそれでも、リシャールは強い。
それだけは認めなければならないようだと、レティシアは思い至った。
「くっ──!」
レティシアの身体は少しずつ、リシャールに切り刻まれていく。
一つ一つの傷は浅いし、そもそも闘技場内に仕掛けられた魔術によって、傷はすぐになかったことになる。
だがそれでも、魔術の代償として精神力を持っていかれる。
レティシアの士気は少しずつ下がり始めていった。
リシャールは剣を振るいつつ、大声で叫ぶ。
「ハハハハハッ! いい気味だ! 貴様はここで地を這え! そしてこの僕に媚びろ! 土下座して許しを請え! 『恩着せがましくて申し訳ありませんでした』『見下して申し訳ありませんでした』とな!」
そうだ、リシャールは正しい。
レティシアは幼少期から、リシャールのことなどどうでもよかった。
それでも実家のローラン公爵家と、そして父親のために、彼女は必死になってリシャールに尽くし献身した。
政略結婚の道具としての立場をわきまえ、「レティシア」という一人の少女の人格を封印し、リシャールに奉仕し続けた。
自分よりも他人を優先する心を歪んでいると思う間もなく、苦痛に感じる間もなく、ただひたすらに走り続けた。
だがリシャールはそれを、快く思わなかったようだ。
何でもかんでもレティシアに手伝われたことに、腹を立てたのかもしれない。
レティシアが「私がいないと何もできない」と見下していると勘違いし、激怒したのかもしれない。
それが原因か、リシャールは「ありがとう」と口にすることはなかった。
幼少期のレティシアは、それが不満だった。
自分はここまで尽くしているのにどうして感謝しないのか、理解できなかった。
感謝の気持ちを、一部たりとも示さないリシャール。
レティシアはそんな彼に怒りを覚え、次第にそれは嫌悪や軽蔑に変わっていった。
大人になるにつれて、人から感謝されなくても怒りを飲み込むことを覚えた。
他人からの感謝など、期待するのが間違っていると学んだ。
だがそれでもレティシアは、リシャールに対する軽蔑だけはそのまま持ち続けた。
そしてついに婚約破棄され、更にリシャールを蔑むようになった。
──そう、レティシアは
まだまだ子供だったのだ。
レティシアは「他人のため」と言いながらも、感謝の言葉を返してほしかった。
自分はリシャールのことなどどうでもいいと思いつつ、そのリシャールに愛してほしかった。
その心は偽善だ。
醜悪な自己愛にほかならない。
レティシアは幼少期からつい最近まで、その自己矛盾と戦い続けた。
だが今なら、自分の仄暗い感情を素直に受け入れられる。
リシャールだけでなく、自分も悪かったと今なら認められる。
しかしその上で、レティシアはリシャールを打ち倒さんとする。
己が誇りのために──
「ぐっ──!?」
レティシアはリシャールの腹を、足裏で押し出すように蹴りつける。
リシャールが後退すると同時に、レティシアもバックステップで間合いを取った。
レティシアは腰を落とし、槍の穂先をリシャールの心臓に向けて構える。
一方のリシャールは、狼狽した様子で剣を構えていた。
「レティシア、なぜ貴様は倒れない……? もう何度も斬りつけたはず……何度も貴様の攻撃をしのいだはず……何度も、何度も何度もなんどもなんどもッ! なぜ貴様は、戦いを放棄しない!?」
「私はリシャール様、あなたを倒してクロードをも打ち負かします。それまで私は、負けられない──私はあなたという過去を乗り越えて、新たな未来を勝ち取ります!」
元婚約者であるリシャール。
《剣聖》と「王弟の息子」という2つの顔を持つ彼を倒せば、それだけレティシアに箔がつく。
そしてその上で、クロードと全力で戦う。
レティシアが勝てば、勝者として敗者たるクロードに婚約を持ちかけるつもりだ。
もしレティシアが負けても、王族を次々と下した上で第1位を勝ち取ったクロードは、彼女と釣り合うだけの身分に成り上がるかもしれない。
そうなればクロードも、その気になってくれるはずだ。
なぜなら彼は、レティシアが公爵令嬢であることを理由に抱き返さなかったからだ。
裏を返せば、クロードが成り上がれば万事がうまくいく、ということだ。
──ならば、自分にできることは唯一つ。
それは、リシャールにこの場で勝つことだけだ。
レティシアは決意と誓いを胸に秘め、リシャールに向かって駆け出した。
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