第43話 レティシアの苦しみと救い

 子供の頃、公爵令嬢であるレティシアは他家の令息と婚約した。

 両家の当主が政略のために、二人を引き合わせたのだ。


 レティシアは特段、その婚約者のことが好きというわけではなかった。

 だがローラン公爵家の娘としてその役目を果たそうと、彼には色々と尽くしてきた。

 彼のことを好きになろうと思い、彼のことを深く知るためにたくさん話をしてきた。


 だが結局は、その婚約者を他の女──しかも格下の子爵令嬢に略奪されてしまった。

 王都に呼び出されて婚約破棄を言い渡された時、レティシアは「婚約者を取られた」という怒りや悲しみよりも、「自分の人生とローラン公爵家の未来が絶たれた」という絶望感に苛まれていた。



◇ ◇ ◇



 ルクレール公爵の屋敷にて……


 クロードの王国武闘会出場を認めてもらうために、ルクレール公爵と話をしていたレティシア。

 そんな彼女のもとに、決して会いたくなかった人物が二人も現れた。


「久しぶりだねえ、レティシア──いや、元婚約者さん……ククク」

「レティシア様、元婚約者のあなたが今更、リシャール様のお屋敷になんのご用ですの? うふふ……」


 元婚約者の男リシャールと、新しい婚約者マリー。

 彼らはレティシアに見せつけるかのように、イチャイチャしながら罵倒する。


 リシャールとマリーが、どのように出会ったかは知らない。

 だがある日、王宮にてパーティが行われた際、レティシアは彼らが中庭でキスをしていたのを目撃してしまった。

 しかもそれは儀礼的なものではなく、舌と舌が絡み合うような濃厚でいらやしいものだった。


 レティシアは当然、リシャールとキスやセックスをしたことはない。

 正式に結婚するまで、純潔を守る必要があったからだ。

 それに、そんな決まりがなかったとしても、好きでもない相手とそんな行為はしたくなかった。


 だが、婚約者を目の前で奪われたこと。

 熱いキスを見て釘付けになってしまったこと。

 そして自分の未来が絶たれたというのに、リシャールやマリーに対して怒れなかったこと。


 レティシアがキスシーンを見たとき、三重の意味で嫌悪感と絶望感に駆られていた。

 婚約破棄のとき、相手方の父親たるルクレール公爵からは何度も謝られ、魅力的な交換条件も持ち出された。

 だが、そんなに気を遣うくらいなら婚約を継続してほしかった、という気持ちでいっぱいだった。


 元婚約者のリシャールと、レティシアから婚約者を奪ったマリー。

 レティシアは彼らを見て苦しみを思い出し、その苦しみから逃れるために必死の抵抗をする。


「あなた方には関係のないことです。仲睦まじいカップルには興味ありません。ルクレール公爵閣下に用があってここに来たのです」

「ちっ……!」

「あなたって人は……!」


 もう婚約破棄された時点である意味人生は終わったのだから、多少の無礼をしても何も怖くない。

 そんなレティシアの覚悟がこもった言葉に、リシャールとマリーは射すくめられていた。


「レティシア、一旦落ち着こう」


 ふと、隣にいたクロードの声が聞こえ、レティシアは我に返る。

 その方を振り向くと、クロードが心配そうな表情をしていた。


 そう……今のレティシアにはクロードがいる。


 決して癒せない傷を癒やし、《回復術師》でありながら《勇者》にしか扱えない聖剣を使いこなせる。

 クロードがその気になれば、全ての魔物を駆逐し魔王すらも凌駕することだろう。

 彼は間違いなく最強の器、いつかは国を超えて成り上がる英雄だ。


 国益を差し置いて「真実の愛」を選ぶリシャールよりも、クロードのほうがよほど価値がある。


 だがそんな打算的なことよりも、重要なことがある。

 それは、レティシアがクロードを本気で愛しているということだ。


 婚約破棄された帰り道にオーガに襲われたとき、レティシアは消えてしまいたい気分になっていた。

 目の前で傷つき倒れていく騎士たちを、見殺しにしてしまったのだ。


 当時のレティシアはドレス姿で、さらに刀剣のたぐいは持ち合わせていなかった。

 Sランク冒険者だった彼女だからこそ、今の状態で他の騎士から剣を借りてまで戦っても、討ち死にしてしまうことは理解していた。

 《聖騎士》である彼女の戦闘スタイルは「肉を切らせて骨を断つ」であり、鎧がない状態では圧倒的に不利だった。

 だから加勢したくてもできず、ただひたすらに無力感に苛まれていた。


 そんな時、オーガが瞬く間に倒されていった。

 その直後に現れたのが、クロードとエレーヌである。

 エレーヌの魔術と、そしてクロードの剣術によって、オーガは駆逐されたのだ。


 一瞬「助かった」と思ったレティシアだったが、傷ついた騎士たちは癒せない。

 中には危篤状態の者もおり、彼女は絶望していた。

 そんな時、クロードは瀕死の騎士に魔術をかけ、完璧に癒やした。


 臣下を見殺しにした罪悪感と、そして無力感に苛まれていたレティシア。

 心が空っぽになった彼女を救ったのは、紛れもなくクロードとエレーヌだった。


 その時からレティシアは、エレーヌと友好関係を築きたいと思った。

 クロードに一目惚れしてしまった。

 そしてクロードに愛してもらうために、レティシア自身から愛情を与えることを決意したのだ。


 そのことを思い出したレティシアは、少しだけ心が軽くなった。


「────いえ……もう大丈夫です、クロード。落ち着きました」

「レティシアちゃん、無理しなくてもいいんだよ……?」

「本当に大丈夫です、エレーヌ。でも、心配してくれてありがとうございます」


 エレーヌがとても心配そうな表情で気遣ってくれたので、レティシアは必死になって明るい声を作って答える。

 エレーヌはそんな彼女の気持ちを理解したのか、手を握ってくれた。

 エレーヌの手は温かく、レティシアは段々と落ち着いてきた。


 そんなレティシアを見て面白くないと思ったのか、リシャールは舌打ちをする。


「ちっ……それにしてもレティシア、無様に成り果てたな。そんな騎士か冒険者みたいな服を着て、下賤の者にタメ口を利かれて──」

「黙りなさい」

「なっ──!?」


 リシャールをマリーに奪われても、怒りを感じる事ができなかったレティシア。

 そんなレティシアはリシャールの言葉に、今まで抱いたことのない怒りを抱いた。

 空っぽの心を満たしてくれた恩人をバカにされるなど、許されざることだったのだ。


「クロードとエレーヌは私の恩人です。リシャール様、今の言葉を取り消しなさい」

「くっ……貴様! 僕は王家に連なるルクレール公爵家の長男だぞ! 王族なんだぞ! 諸侯の娘の分際で、そんな口の利き方をしてもいいと思ってるのかッ!」

「そうですわ! あなたごときがリシャール様に命令できる立場だと、本気でお思いなのかしら!?」

「やめよ、リシャール! 先程までの貴様の発言はあまりにも非常識だ。レティシアが怒るのも無理はない! それにマリー、貴様は子爵の娘であろうが。公爵の娘に偉そうな口を利くでない!」


 激情するリシャールとマリーに対し、王弟たるルクレール公爵は叱責する。

 ルクレール公爵は息子の不貞行為が発覚して以来、レティシアやローラン公爵家のことをいつも気遣ってくれているし、政治的にも便宜を図ると誓ってくれた。

 最終的には婚約破棄となってしまったが。


 父に怒られたリシャールは、「くそっ!」と地団駄を踏んでいた。

 一方のマリーも、悔しそうに拳を握っている。


「リシャール様、発言を撤回しなさい」

「こ、断る! 誰が貴様のような下賤の者に従うか──と思ったが……」


 リシャールは「ククク……」と笑い出した。

 一体何がおかしいというのだろうかと、レティシアは訝しむ。


「この僕と剣術で決闘しろ。勝てたら土下座でもなんでもしてやるよ。ま、貴様に勝ち目はないだろうけどね……ハハハッ!」


 リシャールの天職は《剣聖》で、どの天職よりも剣技に優れている。

 さらに彼は王都で一番の剣使いであり、王宮に仕える騎士たちでも彼に勝てるものはいなかったという。


 一方のレティシアは《聖騎士》で、剣・槍・弓のすべてを使いこなせるが、専門家には及ばない。

 リシャールの言う通り、レティシアには万に一つも勝ち目がない。


 だがレティシアには戦う理由がある。

 自分のプライドを傷つけられた挙げ句、自分の想い人や友達すら罵倒されたのだ。

 リシャールのことを許せるわけがない。


 レティシアは深呼吸をし、リシャールを見据える。


「その勝負、受けま──」

「──俺が相手をしましょう」

「なっ……貴様ッ!」


 クロードがレティシアに割り込み、リシャールの前に出る。

 クロードの背中はとてもたくましく、頼もしかった。


 ──クロードならきっと勝てる。

 レティシアは安心感と、そして自分の代わりに戦ってくれることへの感謝の気持ちでいっぱいだった。

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