854話 アルカディアへの道

「はい。

もう大丈夫ですわ」


 山のように積まれた紙にドン引きするベンジャミン。

 そらそうだ。

 それほど話さないぞ……。


 ベンジャミンは引きった笑みを浮かべる。


「素朴に思ったことなのですが……。

声を保存するマジックアイテム。

これの発明をされては?

ラヴェンナでは多くの発明をされているでしょう」


 キアラは一瞬無表情になる。

 やがて珍しく、口をポカーンと開ける。


「ああああああ!!

そうですわ!!!

なんで今まで考えなかったのかしら……。

少しお待ちくださいね。

ラヴェンナに急ぎの使いをだします!!」


 キアラは慌ただしく、部屋を出て行った。

 ベンジャミンは珍しく、目を細める。


「まだお若いのですね」


「当然ですよ。

私のために、ずいぶん背伸びをしてくれていますから。

本当に助かっています」


「失礼ながら……。

まるで親子のようですね。

ラヴェンナ卿はなんと言いますか……。

年の割に、父性があふれるお方ですから」


 言葉を選んだな。

 顔を見合わせて笑い合ってしまった。


 キアラは息を切らせて、すぐに戻ってくる。


「お待たせしました。

オニーシムには最優先でと伝えましたの」


 思わず苦笑してしまう。


「気持はわかりますが……程々に。

根っからの技術者は、自分のペースを乱されることは嫌いますからね」


 キアラは、少し肩を落とした。


「はぁい……」


 ベンジャミンは、俺たちのやりとりをほほ笑ましそうに見ていたが……。

 軽くせき払いをする。


「そういえば……。

ラヴェンナ卿は、気難しいエンジニアと相性がいいようですね。

新しいことに挑戦したがる人たちは、ラヴェンナにいきたがります」


 特に難しいことは考えていないのだが……。


「単に彼らの働きやすい環境を整えるのと……。

提示する条件を決めたら動かさない。

その程度ですよ。

あとは彼らの結果を、正当に評価する。

そのくらいです。

それより未来の危機について話しましょう。

このままいけば……。

経済も停滞して『よりよいものを、安く』が社会正義のようになるときが来ます」


「それが問題になると」


 問題の呼び水だな。

 それ自体は、悪いことではないのだ。


「違法な手段で安くするのであれば、普通の商人は躊躇します。

それが違法でなくなったら?」


「それは……。

そちらに流れるでしょうね。

そのようなことが実現可能なので?」


 その未来は、確実にやって来る。

 既にラヴェンナでは、その足場が出来つつあるからだ。


「将来、輸送にかかるコストは、大きく改善されるでしょう。

それこそ国を跨いでの長距離でも」


 キアラが驚いた顔で、俺の袖をつまむ。


「お兄さま。

よろしいのですか?」


 機密を明かしてもいいのか。

 それが心配なのだろう。

 だが……じきにわかることなのだ。


「いずれわかることです。

ラヴェンナでは、馬車に頼らない大量輸送を研究中ですよ」


 ベンジャミンの目が鋭くなる。


「そこまで教えていただけたとなれば……。

かなり現実的な話なのでしょうね。

当然……軍事的な運用を考えておいでですか?」


 それは、最初から捨てている。

 鉄道では、臨機応変な輸送に不向きなのだ。

 それに頼ると破綻するのは目に見えている。


「いえ。

大した効果はありませんよ。

随時状況が変わる戦争には向きません。

ある地点までは、大量に輸送出来ても……。

そこからは従来の馬車になる。

それだと物資を腐らせてしまいます。

しかも補給線の防衛が大変ですからね。

だから状況が固定される平時の経済活動に限定されます」


 鉄道線はわかりやすい補給線になる。

 それこそ狙い放題だ。

 だからこそ戦争では、あまり使えない。


 ただ事前準備の短縮には役立つ。

 あくまで開戦前の準備だ。


「なるほど……。

それを公表されるのですか?」


「いずれは……ですね。

今はまだ時期尚早です。

でも確実に公表します」


 ベンジャミンは腕組みをする。


「つまり他国の安い労働力で生産させれば、品物は安くなる……と。

ですが今の状況では、賃金の差はないと思います」


 惚けているのか、未来まで考える余裕がないのか。

 どちらなのだろうか。


「ベンジャミン殿も人が悪い。

アラン王国が解体されると、どうなりますか?

石版の民が、すべてを得ることは不可能です」


 ベンジャミンは驚いた顔になる。

 どうやら失念していたようだ。


「つまり複数の国ができあがると……」


「ええ。

おそらく世界主義が、国を持つでしょうね」


 ベンジャミンは怪訝な顔だ。


「それは避けられないと?」


 そもそもニキアス・ユウ・ラリスが声高に発表していた未来図だ。

 民主主義が世界に広まって、すべての国が経済的に密接につながる。

 そうすることで争いを抑止出来ると。


 今は誰も触れてはいないが……。

 理想郷アルカディアへの道として示された。

 本当に余計なことをしてくれたものだ。


 そこまでビジョンを示されれば、クレシダなら理解するだろう。

 クレシダはきっと悪意に満ちた道を示唆する。

 この反動とも呼べる流行を利用することで。


「難しいと思いますよ。

差別や平等をなくすという流行を利用すると思いますから。

しかも知識階級と親和性も高い。

家庭教師なども多く排出していたそうですからね。

他国にすれば、マトモに思える。

そう世論作りをするでしょうね」


「世界主義国家が、問題になると……」


 問題どころの話ではない。

 だがこれを阻止するために動くのも悩ましい。

 阻止するためには、サロモン殿下に生きていてもらう必要がある。

 人類連合のことを考えるとなぁ。

 こちらのほうが、害悪は大きい。


「ええ。

そこでの人件費は、かなり安いと思いますよ。

元々アラン王国は広大ですが……。

荒廃しきっていますからね。

必然的に賃金も安くなる」


 ベンジャミンは厳しい顔で、首をふる。


「ラヴェンナ卿のお言葉ではありますが……。

それだけだと弱いでしょう。

社会基盤が崩壊していますし、そこでいくら安価だとは言え……」


 飛躍しすぎだとは思うが……。

 俺が思いつくのだ。

 クレシダだって思いつくだろう。


 さて……。

 ベンジャミンにはどう説明したものか。


「そこは流動的ですね。

ただ……。

旧アラン王国が混沌こんとんとされては困ります。

両国共になにがしかの安定化は考えるでしょう。

しかもこの、差別や平等をなくすという流行……。

それを世界主義は最大限利用すると思います」


 ベンジャミンは眉間に、眉を寄せる。

 そう、簡単には納得しないよな。


「王政とは相容れずとも……。

ですか」


 ベンジャミンはそれを最大の問題としているようだ。

 俺は、それが問題にはならない、と考えている。


「王政なら歓迎するとは限りません。

両国とも長い歴史を持っています。

貴種性を維持するなら、新しい王なんて歓迎しません。

雑種の王でもいい……。

とはならないでしょう。

ある意味自分たちの価値を下げることに直結しますからね。

アラン王家の血を継承する王なら違いますが……」


 アラン王国が崩壊して考えることは……。

 両王家がどう生き残りを画策するかだ。

 代わりが存在しない。

 これが1番の近道だと思う。

 少なくとも王家の在り方について、ニコデモ陛下にヒントをだしておいた。

 自然と、そこに行き着くだろう。


 ベンジャミンは納得した顔で、髭をしごく。

 どうやらある程度、実現性はあると思ってくれたようだ。


「もしそこまで、先が見えているなら……。

アラン王家につながる人たちを、片っ端から殺して回るでしょうね。

動機が不明な暗殺は多いですが……。

これが狙いだったと?」


 詳細な情報は入ってこないが、サロモン殿下以外の王族が暗殺されただけではない。

 何人も殺されているのだ。

 被害者の系図を辿ればアラン王家につながると思っている。

 なかには、別の理由も存在すると思うが……。


「アラン王国内で貴人の暗殺は頻発しているでしょう。

あそこの情勢が混沌こんとんとしているので、表沙汰にはなりませんがね」


 ベンジャミンの目が鋭くなる。


「ひとつ疑問があります。

伺っても?」


「どうぞ」


「疑問なのはラヴェンナ卿の態度です。

これだけ見通せてなお、受け身に回っておられる。

早急に人類連合の実権を掌握して、攻勢に転じるべきでは?」


 俺の態度が不可解か。

 まあ、みんなが焦れているからな。

 この理由は、ミルにしか話していない。

 そしてこの場で話す必要もないと思っている。


「どうせ勝手に転がり込んできますよ。

そのほうが、こちらとしてはやりやすい。

注文をつけられるし強権も振るいやすいでしょう。

今主導権を取ると、不始末の責任まで押しつけられます。

それでは面倒なのですよ。

果実は熟せば落ちる。

今もぎ取っては、害虫が多く張り付いていて邪魔なだけ。

それだけのことです」

 

 ベンジャミンはしばし考え込んで、ため息をつく。


「お考え合っての待ちと。

なかなか大変な根比べですね」


「焦って手をだせば思うつぼですからね。

それより本題に戻りましょうか。

魔物の問題が片付けば、人々は元の生活を取り戻そうとします。

そのときに……よりよいものを安く。

とても魅力的に響きませんか?」


 ベンジャミンはなにか言いたそうにしていたが……。

 諦めた様にため息をつく。


「それで世界主義の国の労働力を、安く使って安価を実現すると。

それだけでは世界主義にとっては不都合だと思います。

他国が繁栄しては、不満の元でしょう。

徹底的な情報統制をすると思いますが……」


 果たしてそうかな?

 指導者層は、民衆と同じレベルの生活で我慢出来るのか。


「存外彼らにとって、悪い話ではないのです。

少なくとも指導者層にはね」


 ベンジャミンは真顔になる。


「仔細をお伺いしたく」


「彼らは賄賂を要求します。

賄賂さえだせば違法行為だって目をつむる。

まあ……。

集産主義にとっての法は恣意しい的なので、違法とは賄賂の多寡でしかないのですが。

つまり自分たちだけは、豊かになれるのです。

それが求心力につながるでしょう。

アラン王国の立身出世とは変わりますが……。

芸術や容姿に秀でるのではなく、指導者層に入ればいい。

きっと門戸を開きますよ。

手法としては似ています。

民衆も納得しやすいと思いますね」


「世界はすべてひとつになるはずが、ただ私利私欲を貪ると?

彼らの唱える言葉は……。

我々が国を持ってきたときの、キブツ集団に通じるものがあります。

ですが……。

そのようなことになれば、理想もなにもないではありませんか」


 キブツ集団か。

 前にベンジャミンが言っていたな。

 構成員の完全な平等、個人所有の否定など……。

 ある意味で、集産主義に通じるものがある。


 もしくは石版の民のキブツ集団と、使徒の持ち込んだ共産主義が融合したのかもしれない。

 教会には、キブツ集団の情報は残っていただろう。


「思想で腹は膨れませんよ。

それで動けるのは一時だけです。

もしくは政敵を排除するときだけでしょうね。

そのような利益が得られると知れば、皆はその仲間に入ろうと必死になるでしょう。

彼らにとって、物質的な利益はとても有効なのですよ」


 ベンジャミンは大きなため息をつく。


「救えない話ですね。

それで安価な労働力を、他国に求めると……。

ただそれが出来る者は多くないでしょう」


 その一部が問題だ。


「ええ。

一部の金持ちと、世界主義の上層部だけが儲かる仕組みですよ。

安い商品で、他の商人は駆逐されますから。

かくして金持ちは、世界主義と深い関係になる。

そして金持ちは、知識人に援助して……。

世界主義に対して好意的な思想を広めるでしょう。

当然メディアも取り込んでね」


 ベンジャミンは疲れた顔で、頭をふる。


「他の民は、その割を食うわけですか」


「ええ。

安さに釣られて、自分たちは、どうしようもないところまで追い込まれる。

そうなれば、反動で自国優先主義が持ち上がります。

でも恩恵を受けている人にすれば不都合でしょう。

徹底的に弾圧してきますよ。

平等を便利に使っている宗教です。

それはもう、異教徒を弾圧するかのようにね。

どれだけこの流行が浸透するか……によりますが」


 ベンジャミンの眉間の眉が深くなる。


「救いがない未来ですね。

そのとき世界主義は受け身なのでしょうか?」


「いえ。

むしろ積極的に、世界を支配するために動きます。

だからこそ情報を握るでしょうね。

世界主義国家にとって、不都合なことは流させない。

これに多くの人々は従います」


「そう簡単に従うとは思えませんが……」


 ベンジャミンもわかっているだろう。

 認めたくないからこそ、語尾が弱い。


「あるものは、利益のため……。

金を持っている層は、世界主義から得られる恩恵を捨てられない。

なぜなら自分が蹴落とされては、別の誰かに取って代わられるから。

しかも世界主義の労働力なくては、もう成り立たないでしょう。

そしてあるものは、流行している宗教を守るために。

これは金持ちが援助して、味方にするでしょう。

世界主義も協力者には、飴を与えると思いますよ。

邪魔者には、鞭を打つでしょう。

結局のところ……。

利用しているつもりで、世界主義に支配されると気が付かずにね」


 ベンジャミンは降参といった感じで、ため息をつく。


「美しい言葉の流行がとんでもない悲劇を招くわけですか……。

対抗するにはどうすべきなのですか?」


 ある意味で、単純かつ明快な解決方法はある。

 それだけ難しいが……。


「一番簡単なのは、民が貧しくならないことです。

貧しいからこそ『よりよいものを安く』に惹かれてしまう。

これはどうしようもありません」


「それだけでしょうか?」


 もうひとつあるが……。

 こちらの難易度は、遙かに高い。


「もうひとつは、情報を独占させない。

ただ……。

流行に立ち向かうのは難事ですよ。

不遇な環境であればこそ……。

人はなにかを求めます。

そのときになにも考えずに済む、奇麗な言葉と……。

自分で考えろという、厳しい言葉。

どちらを選ぶと思いますか?

信じるほうが、その場は楽になれますよ」


 メディアとて営利組織になるのだ。

 クレシダはその方向で動かしはじめている。

 大義名分としては『権力の監視』なので、権力に属しているのはよろしくない。

 そのような論法だ。

 これには知識人が、熱狂的に賛同している。


 メディアを動かすには、知識が必要だ。

 つまりは自分たちが、世界の支配者になれるチャンスなのだから。


「結局、貧しさがすべての元凶になるわけですか……。

これは世界主義に、ラヴェンナ卿がいた場合の未来図ですよね。

それだけ考えられる人がいるのでしょうか?」


 ベンジャミンはクレシダの能力を、そこまで知らないか。

 なにかを企んでいるが、そこまでビジョンを持って社会を創れない……と考えているのだろう。


「いないと決めつけるほうが危険だと思いますよ。

どちらにしても、世界主義のような集産主義は危険です。

彼らはなんでも、恣意しい的に運用しますからね。

都合がよければ、弱者として振る舞います。

これは平等に訴えかける。

そして都合がいいなら強者としてもね。

それを多くの人は見ないフリをする」


「世界主義ですが……。

ラヴェンナ卿と相対したとき、思ったより幼稚だと思いました。

それでも脅威なのでしょうか?」


 あの一点だけで軽視するのは軽率だろう。


「国家として金を持ったときが、最も危険です。

あらゆるところに浸透しようとする。

あとになって、危険性に気が付いてからでは遅い……と思いますね。

彼らが力を持てば、各地で横暴に振る舞いますよ。

でもそれを糾弾することは難しい。

それは差別的だと非難されるでしょうから。

今まで世界主義のシンパをしていた人たちだって、自分の誤りを認められない。

それが似非えせ知識人というものです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る