775話 閑話 魔王の所業

 フォブス・ペルサキスは、かつてない程多忙である。


 クリスティアス・リカイオスの死後、シケリア王国で重きをなすようになった。


 政治はアントニス・ミツォタキスが、舵取りを行う。

 軍事ではフォブス・ペルサキスが、最高指揮官となる。


 それだけではない。

 便宜や地位を求める貴族たちの陳情が絶えなかった。

 国王と面会できるほどに家格が上昇したことが要因。

 陳情者は中級から下級の貴族ばかり。

 フォブスは権力中枢への橋渡し役とも見られていたのだった。


 そしてリカイオス死後の動揺が、各地で見られるので対処が必要になる。


 本来なら多忙なはず。


 そのフォブスは、鼻歌を歌いながらゼウクシスの執務室に赴く。


 実際に忙しいのは面会くらいで、それ以外は大まかな指示をだして終わるのだ。

 天才と評されるタイプにありがちな……むらっ気の塊。

 興味がない分野は、わりと大雑把である。

 それでも本質を外さないのが、天才たる所以なのだが……。


 当然、そのしわ寄せが誰かに行く。

 他ならぬゼウクシス・ガヴラスにだ。


『ゼウクシスに見限られたら、私の寿命は半分に縮むよ』


 フォブス本人がそう公言している。

 大雑把な指示を形にして行方を見守るのが、ゼウクシスの役目である。

 そんな殺人的な忙しさを、ゼウクシスは周囲が感嘆するほど器用に対処していた。


 ギリギリのラインでだが……。


 湖で優雅に泳ぐ白鳥が、水の中では必死に足を動かしている。

 それに似た光景だった。


 フォブスはそれを知っている。

 だから余計な仕事をゼウクシスに回さないよう、撥ね付けていた。

 その流れ弾は、アントニスに飛んでいくのだが……。

 それをフォブスが気にするはずもない。


 フォブスの影響は、役人たちにも及ぶ。

 クリスティアスは、なんでも口をだしたがった。

 フォブスは、権限を与えて仕事を放り投げてくるタイプ。

 戦場の流儀を、そのまま行政の世界に持ち込んだのである。


 今までは微に入り、細を穿つ報告が要求されていた。

 報告書の作成が最大の仕事とも言える。


 フォブスは必要な報告だけでいいとした。

 それでいて要点は把握しているので、誤魔化しは出来ない。

 当然ながら権限を委ねられたので、仕事の質と量は増大する。


 つまりフォブス以外は、全員忙しいのであった。


 そんなフォブスが、仕事中のゼウクシスを訪ねるのは希である。

 今回は、理由があった。


 アルフレードからゼウクシスに、手紙が届いたと聞いたからだ。

 どうせ……ダンスが下手なのに強制された、という泣き言だと考えた。

 アルフレードの運動能力が並以下なのは、初対面のときから見抜いている。

 そして上流階級が集まる場では、ダンスは避けて通れない。

 

 そんな時機に手紙とあれば、泣き言に違いない。

 ふたりで笑って、少しでもゼウクシスのストレス発散に役立てよう。

 そう考えたのであった


 フォブスが鼻息交じりに扉を開ける。


「ゼウクシス。

魔王から手紙だって?

きっと楽しい内容なんだろ?」


 言い終えて、違和感に気がつく。

 部屋の雰囲気が違う。

 いつもなら、忙しく働いている秘書連中がいない。


 部屋にいたのはゼウクシスひとりだけ。

 ゼウクシスは、俯いたまま手紙を見て、小刻みに震えているのだ。


 フォブスは来たことを後悔する。

 気付かれないように、そっと部屋をでようとした。

 そんなフォブスに、冷気が襲ってくる。


「ペルサキスさま……。


 万事休すだった。

 だが……この場から離れないと危険、と直感が告げる。


「あ……いや……。

そ、そうだ!

忙しそうだからな。

邪魔したら悪いだろ?」


「構いませんよ。


 見苦しい言い訳は、一瞬で粉砕される。

 こうなるとフォブスに選択肢はない。


 せめてもの抵抗で、扉は開けたままで座ろうとする。

 これならゼウクシスの愚痴は、大幅に抑制されるからだ。


 ところが顔を上げたゼウクシスの目は、と言っていた。

 引きった顔で、フォブスは渋々扉を閉める。


 椅子に座って、小さなため息をつく。

 なんとかこの気不味い雰囲気を、少しでも和らげようと努力する。

 ぎこちない笑顔をつくった。


「珍しく穏やかではないな。

不機嫌の元はそれか?」


 ゼウクシスの額に、青筋が浮かぶ。


「ほかになにかありますか?

ああ……ありましたね。

ペルサキスさまの下半身が、また元気になりはじめて……。

大変でしたよ」


 やぶ蛇だった、とフォブスは臍をかむ。

 禁欲生活も、限界がきていた。

 女性に手をだそうとしたのだが……。

 ゼウクシスに止められることが、数度あった。


「あ……あれは、一時の気の迷いだ!

信じてくれ!」


 ゼウクシスは、白い目でフォブスを睨んだ。


「断じて気の迷いではありません。

あれはというのです。

ペルサキスさまとキティ嬢の婚約は有効。

そうラヴェンナ卿が明言されたあとですよ。

もし手をつけた女性が……別れることに難色を示したら、どうする気なのですか。

に、どんな借りをつくることになるか……。

おわかりでしょう?」


 ゼウクシスがの呼び名を使うときは、確実にマジギレしているときだ。

 ゼウクシスがマジギレしているとき、フォブスは絶対に逆らえない。

 身分ではフォブスが上。

 個人間ではゼウクシスが上なのであった。


 フォブスは生唾を飲み込む。

 話題を変えないと、泥沼にはまるからだ。


「それはそれとして……。

手紙の内容はなんだ?

ダンスが嫌だとの泣き言じゃないのか?」


 ゼウクシスは、冷たい目でフォブスを睨みつける。


が、そんなこと手紙で書くわけないでしょう。

書いても奥方さま宛てになります。

どうしてそんな寝ぼけた妄想を抱いているのですか」


「いや……。

ほかに話題なんてないだろ」


 ゼウクシスは黙って、手紙を差し出す。

 フォブスは震える手で、それを読む。


「なんだ……これは?

ディアマンディス卿の焼死事件の話か。

恨みを持った者が関わっているとか……。

大した話ではないだろう」


 怪訝な顔のフォブスに、ゼウクシスは冷たい表情を崩さない。


「先を読めばわかります」


 フォブスの表情は、読み進めるうちに険しくなる。


「理不尽な不幸に対して恨みを持つものは、どこにでもいるが……。

それに手を貸す存在がいると示唆しているな。

クレシダか?」


「ほかにいないでしょう。

ディアマンディス卿が最後に会ったのはクレシダ嬢です。

つまり同様の事件が、今後も起こる可能性がある。

そう示唆していますよ」


 フォブスは、小さくため息をつく。


「おいおい。

どうしろというのだよ……。

ってゼウクシスは、に、何か言ったのか?

手紙にこう書いてあるだろ。

『以前に懸念されていた問題の解決方法を探るには、いい機会かと。

今ならでしょうから』って……」


 フォブスは内心、ひどく腹が立った。

 あの魔王め……。

 なんて余計なことを書いてくれたのだ。

 今のゼウクシスに、暇なんて言ったら……。

 確実にブチギレる。

 そのしわ寄せは、こっちにくるのだ。

 下手なダンスでギックリ腰にでもなれと、内心でアルフレードをのろったのである。


のせいで、まったくではありませんがね。

これは情報収集機関を設立しては、と勧めているのですよ。

以前耳目が羨ましいと送りましたから」


「それならミツォタキス卿に言えばいいだろう」


 ゼウクシスはため息をついた。


「ミツォタキス卿の情報収集は、あくまで私的な機関としてやっています。

そこに話を持っていっても、私的に処理するだけでしょう。

結果を他人に報告する義務はありませんからね。

調査だって後回しにしていいわけです」


「それはわかるが……。

どうしてゼウクシスに言ってきたのだ」


 ゼウクシスは、忌々しげに舌打ちした。

 実に珍しい光景である。


「もしが、ミツォタキス卿に示唆して設立した場合……。

周囲からは『ラヴェンナに言われたから』となります。

群臣たちは必要ないと思っているでしょう。

そしてミツォタキス卿も。

設立には抵抗が発生しますよ。

最悪名前だけの組織をつくって終わりです。

私が設立を提案した場合は……」


「ゼウクシスが必要だと言っていたからな。

意味合いは若干違ってくるか」


「あとはペルサキスさまとミツォタキス卿に言った場合……。

国政への介入ともとられます。

群臣の反発は大きいでしょう。

私への場合は、おふたりが反対できます」


 フォブスは苦笑しつつ手をふった。


「いや……。

魔王からの示唆を断るのは難しいぞ」


「いえ。

断る場合、私が握りつぶした形にすればいいのです」


 フォブスは顔を歪めて舌打ちする。


「なんだ……。

その嫌な選択肢は。

握りつぶした場合は、ゼウクシスが魔王の不興を被る。

設立した場合は、ゼウクシスがラヴェンナの手先と疑われるじゃないか」


「だから腹が立つのですよ。

そして示唆がない限り、先延ばしにしている自分にもです。

なにせ……まったくではありませんから!」


 ゼウクシスが同じ言葉を繰り返すのは珍しい。

 よほど根に持ったようだ。

 

「じゃあどうするんだ?」


「これも選択肢はありません。

クレシダ嬢の関与を匂わされて、無視など出来ませんから」


「その話をすれば、ミツォタキス卿も断れないな。

私的な機関を持っていたとしてもなぁ」


 ゼウクシスは苦笑して天を仰ぐ。


「そもそも私的故に至らない部分も多いでしょう。

それを徹底させるなら……。

さらなる資金が必要になりますね。

国庫から、ある程度の支出は必要かと。

そうなれば私的にしておけない。

ミツォタキス卿も公的にするのは嫌でしょう。

だから認めざるを得ないわけです」


「相変わらず悪辣あくらつだな。

ただ……なんとかなるのか?

設立の話だぞ」


 ゼウクシスは、肩をすくめた。

 どうやらだいぶん落ち着いてきたらしい。

 フォブスは内心安堵あんどする。

 怒り狂っているゼウクシスの相手をするのは心臓に悪いのだ。


「するしかないのです。

このままではランゴバルド王国との諜報能力差が広がるばかりですから」


「ああ……。

国にもいたな。

モロー警察大臣だったか。

かなりの辣腕らつわんらしいな。

ほんと……あそこは嫌な国だよ」


 ゼウクシスの額にまた青筋が立つ。


「それだけで終わるなら、ここまで腹が立ちません」


 フォブスは内心ウンザリする。

 嵐が去ったと思ったのは、気のせいだったようだ。


「おいおい。

まだあるのかよ」


「公的な機関とするには、ノウハウがありません。

必然的にラヴェンナを頼るしかないのです」


「技術指導だな。

それがそこまで問題なのか?

終わったら関係は断てるだろう。

深入りさせなければいいのだから」


 ゼウクシスは大きなため息をつく。


「ペルサキスさま……。

婚約相手を忘れていませんか?」


「あ……」


「関係を断てるわけがないのです。

つまりは協力関係を続けるしかないでしょう」


 フォブスは、渋い顔になった。

 アルフレードの意図がつかめたからだ。


「その場合の力関係は明白だな」


「ええ。

こちらの情報は、かなり相手に筒抜けになります。

それもこちらの金と労力で得た情報を、あの魔王は座っているだけで引き抜けるでしょう。

当然こちらからも、要請は出来ます。

断りなどしないでしょう。

ただ……領内の安定度から、どちらのほうに情報の価値があるか。

どこまでも魔王の所業ですよ。

一見親切なようで、実利を十分に得ている。

国対領主でも、相手のほうが上になるのですよ」


 フォブスはたまらず笑いだしてしまった。


「もう笑うしかないな。

オッサンのように戦争狂でないことが救いだ」


 ゼウクシスは呆れ顔で、ため息をついた。


「ペルサキスさまは、のことを、まだ甘く見ていますね。

が、ラヴェンナの権益を広げるのに、戦争なんて必要がないのです。

港の使用料が好例ですよ。

一見寛大なようで締結してみれば……。

ラヴェンナからの輸入品が安く入ってきます。

それによって国内の産業は、打撃を受けていますから」


 フォブスは驚愕きょうがくする。

 景気は悪くないし、治安の悪化など報告されていないからだ。


「そうなのか?

その話は初耳だぞ」


 ゼウクシスはお手上げといった様子で、肩をすくめた。


「タチが悪いのは、シケリア商人を代表に立てて、こちらの雇用を確保しているのです。

表向きはシケリアの商人ですよ。

しかも雇用条件がいい。

だからシケリア王国独自の産業は大打撃ですよ。

端から見れば、国内の競争に見えますからね。

これでラヴェンナと喧嘩しようものなら、産業は大打撃必至です。

それでもは、こちらの情報収集を控えているから……。

いずれ挽回の機会があると踏んでいました。

ところが我々の知らないことを、何故か知っている。

目立つ形で情報を集める必要がなかった。

それだけだったのです。

その上で将来の情報収集にすら、影響を与えるつもりですからね」


「それなら……。

断ろうか?」


 ゼウクシスは、白い目でフォブスを睨む。


「それが出来たら苦労しません」


「何故だ?」


「人類連合ですよ。

協調してやっていくことが建前です。

それで断ったら、どうなりますか?

ラヴェンナ卿に離脱の大義名分を与えるようなものです。

あのクレシダ嬢ですら、手を焼いているそうですからね。

ラヴェンナにとって不利益となれば、遠慮なく離脱するでしょう。

それも辞さない態度でいますから。

失敗の責任は私だけじゃない。

ペルサキスさまにも及びますよ」


 フォブスは額に、手を当てて天を仰ぐ。


「では……。

受けるしかないのか」


「だから腹が立つんですよ。

どちらにしても、は損をしない。

如何わしい人類連合の大義ですら利用しているんです。

なにより……」


「まだあるのか?」


「私はまったくではありません!!」


 知る限り、ゼウクシスの人生はじめてとなる三重言だ。

 フォブスは内心呆れてしまった。

 暇だと言われたことが、1番しゃくに障ったと悟ったからである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る