637話 閑話 月並みな男女関係
クリスティアス・リカイオスは悩んでいた。
いつ攻撃をするか。
そこが悩みどころだ。
周囲は野心と欲に駆られて攻撃を示唆するが、責任はリカイオスが負うのだ。
今まではブレーキ役がいた。
アントニス・ミツォタキスとフォブス・ペルサキス。
疎ましく思いつつ、ブレーキ役には助けられていた。
ただ勢い絶頂の時、冷や水を浴びせられ……。
つい遠ざけてしまったことが悔やまれる。
その隙間を、今の側近たちに埋められてしまった。
その側近たちは、より景気のいいことをいうのが忠誠の現れ、と勘違いする始末。
楽は共にできても、苦を共にはできないと感じている。
モデスト・シャロンが玄関から入ってきただけで、あの有様だったからだ。
内心の落胆は隠していた。
今更……落胆しても遅いのだ。
苦を共にできるものたちは、自分が遠ざけてしまった。
頭を下げて戻ってくるよう頼んだら、今度は自分の歩みを止められる。
それを我慢できるなら遠ざけることなどしない。
クリスティアスは、内心迷っている。
自信と警戒がせめぎ合っていたのだ。
いけるのか。
いや、ムリか。
いけるだろう。
危険が大きすぎる。
ところが側近たちは、口を揃えて簡単だという。
周囲の景気のいい話は、セイレーンのような危険へと自分を招く呼び声にも聞こえるのだ。
ふと過去を思い出す。
フォブス・ペルサキスと世界統一について議論したことがあった。
シケリア王国の内乱が勃発した直後。
まだドゥーカス卿との決着がついていない時のことだ。
シケリア王国統一は可能と即答したフォブスが、世界統一となると肩をすくめた。
「オッサン、ムリだ」
フォブスの軍事的分析力に、リカイオスは一目置いている。
「それでは、近いランゴバルド王国ではどうか?」
フォブスはしばらく考えて、再び肩をすくめた
「自分たちより国力の高い相手を倒すんだぞ?
よほどの幸運が舞い込まない限りはな」
「お前が勝てると考える条件はなんだ?」
「アラン王国と手を組んで同時攻撃。
あとは使徒サマの公認もあればいいかな。
最後に王位継承争いで、内乱でも起こればいい。
ただ……」
フォブスの渋い顔に、クリスティアスは疑問を抱く。
これだけで相当有利だろう。
フォブスは天才的な軍事指揮官だ。
一見して不利な状況でも優位性を見いだし、電撃的にそこを突く。
その才知において並ぶ者がいない。
それだけなら警戒の対象になるのだが……。
軍事から離れた途端、脇がとても甘くなるので、リカイオスのライバルたり得ない。
ある意味安心できる配下であった。
この天才が、これだけ有利な状況で保留することが、ただ不思議だったのだ。
「それだけあって、まだ足りないのか?」
「ランゴバルド王国……。
いやスカラ家……。
その分家ラヴェンナだな。
あそこが不気味だ。
まったく強さがわからない」
探りを入れるつもりで交易をはじめたが、フォブスが保留するほどの強さがあるのか。
クリスティアスには実感がなかった。
「気のせいではないのか?」
フォブスは、小さく首を振った。
「それはないな。
強さがわからない
だがヤバイのは確実だ」
「その根拠は?」
「ゼウクシスに見てもらったが、街の発展具合がすごい。
ゼロからのスタートだよ。
あのゼウクシスですら、そんなこと自分には不可能と言っている。
武力にしても騎士団はそんな数が多くなかった。
絶対に隠している戦力がいる。
それであの広いラヴェンナを、たった3-4年で平定だ。
加えてその速度で、なお領内は安定している。
しかも辺境でいがみ合ってきたか、疎遠な連中をまとめて内紛が起こらない。
オッサンの狭い領地でも、諍いは絶えないんだ。
考えられるか?」
フォブスに列挙されると、たしかに不可思議な現象だ。
「小さいは余計だ。
これから広大にするさ。
たしかに普通ではあり得ないな。
あそこはあぶれ者たちの逃げ込む場所で、ランゴバルド王国も長らく放置していたろう。
スカラ家が大量に、騎士団を投入するかと思ったが……。
たしか不平分子を送り込んだはずだな。
不満屋はどこにいっても不満屋だ。
環境がかわって活躍などしない、とお前はいっていたな」
フォブスは渋い顔でうなずく。
「そう。
だが活躍したのは事実だ。
どんな方法でやる気を出させたのか、正直知りたい。
そして不平分子だけを出したのが、大きなポイントだ。
だからスカラ家の軍事力は、まったく低下していない。
開発に金は吐き出したろうが、家が傾くほどじゃないだろう。
それに各地から、最優秀の人材をかき集めたわけでもない。
言い方を悪いが、余りものを集めているだろ。
それでいて彼らが、とてつもなく力を発揮している。
わけがわからない。
魔法でも使ったのかと疑いたくなるさ」
クリスティアスは現時点での結論は保留することにした。
「先のことは、その時考えるか。
仮にラヴェンナ卿が幸運ならいつまでも続かない。
個人の才知で補っているなら、どこかで失点がでるだろう」
フォブスは、小さく肩をすくめた。
「それはアテにしないほうがいい。
むしろラヴェンナ卿の不気味さと恐ろしさに、ランゴバルド王国の連中が気付いていないことが大事だ。
どうせ辺境だと、ろくに見てもいないのだろうが……。
そっちの失点を期待するほうが賢明だよ。
王位継承者はどれも凡庸だしな」
「そうだな。
そちらを期待するとしようか」
会談を終えて席を立とうとするクリスティアスを、フォブスが手で止めた。
「おっと。
この前の答えを聞かせてくれよ。
マガリ・プランケットは何者なんだ?」
ゼウクシスがラヴェンナ卿の知恵袋らしい老婆がいる……と報告してきた。
それが、元々シケリア王国に住んでいたらしい。
クリスティアスには覚えがなかったので、アントニス・ミツォタキス卿に確認したのだ。
「ああ……。
ずっと昔だが、ミツォタキス卿の分家に仕えていた女騎士だ。
その家は、今やドゥーカス卿の与党だがな。
かなり有能だったらしい。
武勇は男勝り、知謀は誰も敵わなかった女傑だよ。
住民反乱で息子を失ってから、突然姿を消した。
あのベルナルド・ガリンドの師匠にあたる存在のようだ」
ペルサキスは小さく笑って、肩をすくめる。
「ああ……。
そりゃさぞかし食わせものだろうな。
ゼウクシスが手玉に取られるわけだ。
やっぱりラヴェンナは敵対するより、味方にするほうが無難だよ」
そんな過去を思い出しつつ、クリスティアスは勝ち筋が見えない相手に、戦いを挑むのは危険だと考えていた。
以前フォブスが言ったアラン王国との共闘が成れば、戦いに踏み出せるのだが……。
ロマン王子は無能だが、使徒の公認があれば簡単には負けないだろう。
そう迷っている時、ヴァロー商会の使いがリカイオスに面会を求めてきた。
これは運命が戦えと
己の野心に突き動かされ、動乱を呼ぶ。
向かう先は、栄光か破滅か。
どちらにしても引き返すことなどできないのだ。
クリスティアスはその使いと会うことにした。
◆◇◆◇◆
クレシダ・リカイオスは優雅に入浴を楽しんでいた。
浴室に侍女のアルファが、グラスを持って入ってくる。
そのグラスには、ワインが注がれていた。
メイド服だが、ブーツは脱いでいる。
「クレシダさま。
いつものをお持ちしました」
クレシダは入浴中の飲酒を、習慣としていた。
受け取ったグラスを軽く回して口をつける。
「ありがとう。
ところでアルファ。
叔父さまの様子はどうかしら? 急に立ち止まられても困るのよね。
立ち止まれる場所など、とっくに越えちゃっているのに」
アルファは表情ひとつ変えずにうなずいた。
「その件ですが……。
ヴァロー商会の関係者が、リカイオス卿を訪ねたそうです」
クレシダは、小さくほほ笑む。
この手を使うのはカールラだろうと考えた。
もしくはボドワンの組織か。
恐らくカールラの示唆だという予感はあった。
ボドワンの組織は、現在クリスティアスとの接触を避けているからだ。
「きっとカールラねぇ。
いいタイミングで、叔父さまの背中を押しに来たけど……。
ロマンなんて汚物を使うようじゃダメね。
はたしてお友達になれるかしら?」
問いかけられたアルファは、小さく首を振る。
「私にはなんとも」
クレシダはワインを回しながら悪戯っぽく笑う。
「彼女はゴール設定が甘いのよ。
使徒に取り入り、操縦して動かせば、望みが達成できると思い込んでいる。
だからそこがゴールなの。
その程度では、お友達になれないわ。
駒としても融通が利かないわね」
「使徒の操縦は普通の人なら夢見るゴールですね」
クレシダは
「
つまり使徒なんて、いつでも舞台から引きずり下ろせるってことなの。
使徒という腐肉に、ジャッカルたちが十分に食らいついたらね。
スパッと切れば、一度のアクションで邪魔な連中は奇麗さっぱり奈落の底よ。
その奈落の底から
きっといいお友達になれるわね」
アルファは
「クレシダさまは随分、ラヴェンナ卿にご執心ですね。
使い捨ての男でなく、ラヴェンナ卿と愛を交わそうとはされないのですか?」
クレシダは濡れた髪をかき上げて、誇らしげな笑みを浮かべる。
「魂で通じ合っているのよ。
それが肉体でつながったら、月並みな男女関係になってしまうわ。
あまりにありきたりで……つまらないもの。
それに肉体を通じて愛を交わす時間が増えて、魂で愛を交わす時間が減るのはもったいないのよ。
第一肉体の快楽なら、そこらの男で間に合うもの。
魂で交わす愛は、
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