611話 外側と内側

 アラン王国の件は放置できないが……できることはない。

 あらたな情報と事態の変化を待つしかない。

 つまりモヤモヤし続けている。


 そんなときに、イポリートから午後の茶会に誘われた。

 今日はダンスも、礼儀の稽古もない日だったな。


 いつもならついてくるミルたちが遠慮した。

 休日まで、教師の顔を見たくないようだ。

 オフェリーはミルが遠慮したので、空気を読んでエテルニタと遊ぶことにしたようだ。


 エテルニタはすっかり大きくなった……。

 それどころか普通の猫より、一回り以上でかいぞ。

 俺は抱っこしようとすると逃げるから駄目だが、キアラ曰く重たいらしい。

 最近は本棚の上から皆を見下ろしつつ、昼寝をするのがお気に入りのようだ。

 この前は木登りをして、キアラたちを慌てさせていたな。


 ともかくだ。

 イポリートの屋敷に向かおう。

 小奇麗な屋敷を提供している。

 目の肥えたイポリートに満足してもらえるほど、ラヴェンナの美的水準は高くない。

 割り切ってシンプルにする。

 あとは好きなように飾ってくれ……といった心境。


 ところがイポリートは満足してくれたようだ。


『変に背伸びをして、いびつな美しさを装うよりずっといいわ』


 来て間もないので、装飾は変わっていない。

 庭に通されたが、イポリートとソフィアが待っていた。


 これは予想外だな。

 白いティーカップが並べられており、薄いピンクのテーブルクロスなどお洒落な感じがする。

 このセンスはさすがだな。

 美的感覚が運動神経の、次にない俺でもわかる。


 お互い挨拶を済ませて着席する。

 イポリートにつけた使用人が、お茶を注いでくれた。

 見違えるほどに、お洒落になっている。

 イポリート恐るべし。


 お茶はキアラとは違う味と香りだな。

 これはこれで悪くない。


 さて……。

 ここは世間話をする席だし、聞いても問題ないだろう。


「イポリート師範。

ペザレジ夫人とはお知り合いだったのですか?」


 イポリートは悪戯っぽくウインクした。


「ええ。

社交界は狭いのよ。

そこでソフィアさまと知り合ったの」


 名前で呼んだのであれば、それなりに親密なのか。

 ソフィアが扇で口元を隠しつつ、優雅にほほ笑む。


「ラヴェンナ卿にはお伝えしていませんでしたね。

かれこれ10年来の友人ですのよ。

イポリートがここに来ていることは、ちょっと前に知りました。

ふたりで新しい世界に来たけど、世間は狭いと笑い合ったところですね」


「たしかに世界は狭いようですね。

望外でしたが、おふたりの関係が良好なのは大変結構なことです。

仲が悪いと、足を引っ張り合いますからね」


 イポリートは口の端をゆがめて笑いだした。


「ああ……。

どんなに仲が悪くても、教え子を無視して足を引っ張り合う輩は教師と呼べないわ。

それは教師ではなく、教師モドキよ。

でもねぇ……。

おバカな雇い主には、モドキのほうが相性はいいのよ。

教えるより、雇い主のご機嫌のほうが大事なの。

そんな媚びるモドキのほうが、おバカにはいい教師に見えるわ。

きちんと学ぶ必要はなくて、だれそれに師事したという経歴があれば満足みたいね」


 フンと鼻を鳴らしたイポリートに、ソフィアは苦笑する。


「そう思っても隠すものよ。

アナタのように、そこまで教えることにこだわるほうが少数よ。

隠しきれないから扱いにくい教師って言われるのね。

雇い主と喧嘩も、たまにしていたでしょ?

決して自分を曲げないし、考えを隠さないわよね。

おかげで友達も少ないじゃない」


 否定はしないあたりがさすがだな。

 教育に関してのポリシーは、よく似ていると思うが……。

 イポリートは心外といった顔で、大げさに嘆くポーズをとる。


「あら、アタクシだって隠しているわよ。

こだわりについては、ソフィアさまだって同類じゃない」


「成果に興味がない雇い主と教え子なら、それ相応の教え方をするわ。

私が力説しても、徒労に終わってしまうもの。

イポリートは自分に噓をつくのが苦手よね」


 イポリートはチッチッと指を振る。


「普段はもっとうまく隠しているわ。

ラヴェンナ卿の前だから隠さないの。

隠しても見抜かれるわ。

友達が離れていったのは、単にアタクシと付き合うのが面倒になったからよ」


 個性的で、こだわりが強いのはたしかだ。それでも面倒くさいタイプだとは思えないが……。

 聞くべきか否か。

 この場で、わざわざ話題にしたような気がする。

 ソフィアの呼び水に付き合ってみるか。


「そんな理由で、友人がいなくなるのですか?」


 イポリートは一瞬だけ、なんとも言ない表情で茶に口をつける。

 飲み終わったあとは、いつもの表情に戻っていた。


「昔は同じく、ダンスの高みを目指す友人たちがいたのよ。

あるときまでは多少の差はあれ、皆が同じ道を歩んでいたの。

それから何年かたって……。

1カ月悩んだとしても、半歩進めるかわからない領域にたどり着いたときよ。

気がついたら、アタクシひとりだったわ」


「普通の人は、労力と成果をはかりにかけますからね。

技術が低いうちは、やっただけ上達を実感できる。

それなら誰でも頑張れるでしょう。

上達してからが問題ですよね。

多大な労力を費やしても、成果が得られるとは限らない。

つまり自分との戦いになるわけですね。

これに勝てる人は限られます。

だからこそ、高みに登れる人は少ないのでしょう」


 イポリートは自嘲気味に笑って、ティーカップを指ではじいた。


「ラヴェンナ卿はよくわかっているわね。

そう……皆は、もっと低いところで満足してしまったの。

それを否定する気はないけれど、アタクシにはできなかったのよ。

だから皆は、アタクシを見ると複雑な気分になるのね。

アタクシに、そのつもりがなくても非難されている気になるのでしょう」


「自分に厳しい人は、他人にも厳しいと思うのが普通ですね。

もしくは途中で諦めた人を、歯牙にもかけないか。

どちらにしても自分が劣っている事実を突きつけられて、気にしない人はそういませんよ」


「そうねぇ。

アタクシはそんな他人を、どうこういう暇があれば……練習するわね。

それがまた嫌だったのでしょうねぇ。

昔は並んで切磋琢磨していた関係が変わっちゃったのよ。

そんな感情を抱えてまで、友達ではいたくなかったと思うわ」


 ソフィアは優しいまなざしで、イポリートに笑いかける。


「それは仕方ないことね。

元々行き先が違ったのだから、登るほどに道は分かれるものよ。

でも良かったと思うわ。

それでも登り続けて、ようやく本音を漏らせる人に出会えたのでしょう?

私はそんな人がいるとは思っていなかったわ」


 イポリートは照れたように笑って、肩をすくめる。


「ソフィアさまにはかなわないわね。

ラヴェンナ卿、ごめんなさいね。

せっかくお誘いしたのに、暗い話を聞かせてしまって」


 まったく気にしていないのだが……。

 世間話が愚痴になるなんて、よくあることだろう。


「構いませんよ。

イポリート師範の胸のつかえが少しでもとれたのなら、何もいうことはありません」


 イポリートは俺に熱いウインクをしてきた。

 襲わない人だからいいけど……。


「さすがに凄腕のお悩み相談役ね。

ルイの言ったとおりだわ」


 ルイめ。

 あることないことを言いふらしていまいな。

 ともかく、俺に矛先がきては不利だ。

 話題を変えねば。


「ともかく……。

ミルたちは教える側から見てどうですか?」


 イポリートとソフィアは、視線だけで会話をしたようだ。

 イポリートが真面目くさってせきばらいをする。


「そうねぇ。

素直でいい子たちばかりよ。

でもラヴェンナ卿が聞きたいのは、そうじゃなさそうね」


 話題がそらせれば、それでいいのだがね。

 ありきたりな感想は、話が続かない。


「まあ、そうですね」


「ミルヴァさまは、すごく真面目ね。

決まったことを、一生懸命やるタイプよ。

なんでも完璧にやろうとしすぎるわ。

愛にも真剣すぎるから、人によっては重たいと感じるタイプね」


 ソフィアは妙に感心したようにうなずいた。


「相変わらずイポリートの人を見る目はたしかね。

私も同意見です。

もう少し余裕があるといいのですけどね。

皆のまとめ役をやろうと気負っています。

性格なので変えようがありませんけど……。

アルフレードさまが労ってさしあげては?」


 見えないところで、たしかに苦労してそうだ。

 最近は外にかまけて、一番大事なところに注意が向いていないか。

 つい気まずくなって、頭をかいてしまう。


「そうですね。

もうちょっと、ミルを労ることにします」


 イポリートは満足したようにうなずく。


「次はアーデルヘイトさまね。

見た目と全然違って思ったら即行動、感性重視の子ね。

か細くてものすごい美人だから、てっきりオドオドしているかと思ったわ。

たまに暴走しがちになるわねぇ。

その日の気分で、動きにムラがある子よぉ」


 ソフィアは、小さく笑って扇で口元を隠す。

 もしかしてウケたのか?


「そうねぇ。

一つ気になることがあると、そっちばかりに気をとられるタイプね。

3人の中では、最も自由奔放じゃないかしら?

見た目からはまったく想像できなかったわ。

でもものすごく、根気強いわよ。

こうと決めたら、テコでも動かないと思うわ」


 感情が先走って暴走するタイプだからなぁ。

 昔を思い出して、遠い目をする。

 そしてとても、頑固で諦めが悪い……。

 俺の遠い目が面白かったのか、イポリートが小さく吹き出した。


「ラヴェンナ卿は骨身に染みているようね。

それなら矯正しないの?」


「アーデルヘイトは私のお人形ではありませんからね。

それに立派な一個人です。

他人に迷惑をかけない限りは、口を出す気はありませんよ」


 イポリートは妙に感心した顔でうなずく。


「そのくらい他人に干渉しない人でないと、ここの統治は無理かしらね。

干渉しないけど無関心とは違う。

絶妙のバランスよねぇ。

最後はクリームヒルトさまね。

あの子は……そそっかしいわね。

最初だけは慎重よ。

でもいったん動きだすと、そのまま突進するタイプ。

止まるまでは人のいうことを聞かなくなるわね」


 後見人のテオバルトが苦労しまくっていたらしいからなぁ。

 俺への感謝の手紙は、クリームヒルトがどうしたら暴走しないか……こと細かに記されていた。

 マニュアルのようで見たときは吹き出しそうになったな。


 ソフィアは意外そうな顔をして、小さく笑った。


「私はまだ、そこまで見ていないわね。

かなり慎重な子だと思っていたけど、これから暴走するのかしら。

気をつけておくわ」


 なんか苦労をかけそうだ……。

 保護者の心境で、俺はふたりに軽く頭をさげる。


「この先お手数をかけると思いますが……」


 ソフィアは優雅な動作で、軽く手を振った。


「平気ですよ。

ただ怠けたいがために口答えする子たちを、沢山見てきましたから。

その子たちに比べたら、素直でとても教えやすいですよ。

貴族には我が儘なご令嬢が多いですからね」


 イポリートも笑いながらうなずいている。


「3人とも個性が強いけどまとまっているのは、ラヴェンナ卿がいるからね。

いなかったらバラバラになるんじゃないかしら。

それでもアーデルヘイトさまとクリームヒルトさまは、わりと相性がいいと思うわ。

アタクシのカンだけどね」


 もうそこまで見抜いているのか。

 大したものだな。

 思わず、感嘆のため息が漏れる。


「お見事ですよ。

実際そうでしたから。

あのふたりは、元から仲がいいですね」


 イポリートはティーカップを、口元に運ぶ。

 静かにカップを置いてから、妙に感心した顔で笑った。


「個性の強い女性とは、ラヴェンナ卿の相性はいいみたいねぇ。

逆に自主性を尊重されると辛いタイプは駄目っぽいわね。

ある意味辺境領主に、ピッタリの性格だったのかしらねぇ」


 ソフィアもティーカップを、口に運ぶ動作は優雅そのもの。

 これまた音もたてずにカップを置いて、イポリートに小さく笑いかけた。


「そうね。

ここの女性は、大なり小なり自分を持っているわ。

そうでなくては生きていけなかったでしょうけど」


 イポリートは同意のうなずきをしてから、少し真顔になって俺に向き直った。

「まあ……それよりよ。

アラン国王が倒れたのよね?」


 少しだけ待ってから、この情報を公開した。

 知らない国の王が倒れても、当然反応は薄い。

 ラヴェンナ内部には、いつ公表してもいい内容。


 待った理由は、情報伝達の早さをよそから警戒されないためだ。

 ある程度、よそと歩調をあわせてみた。

 ちょっとだけ早い、と思われる程度を狙ったわけだ。


「ええ。

お知り合いですか?」


 イポリートは苦笑して、肩をすくめる。


「踊り子で国王に会うのは難しいわ。

見目麗しい女性の踊り子じゃないと、お目にかかることはできないわね。

ラペルトリ嬢なら、御前で踊りを披露した経験があるはずよ。

あの人の踊りには憧れたわねぇ。

しなやかで美しい、と見とれたもの。

事故にあって踊れなくなった……と聞いたときは残念だったわ。

ラヴェンナ卿とお知り合いなのでしょう?」


 ゾエを知っているのか。

 イポリートはアラン王国の出身だったな。

 踊り手同士、知っていてもおかしくないか。


「ええ。

書状のやりとりをしていますね」


 イポリートは俺に、意味ありげなウインクをする。


「その話を聞きたいところだけど……。

本題に戻るわね。

国王が倒れた理由はわからないわ。

でもね……もし王が倒れたとき、アラン王国がどうなるか。

それを考えるヒントならあげられるわよ」


 ソフィアも扇を口に当てて、小さくほほ笑む。


「そうね。

アラン王国に知人がいます。

招かれたことも何度かありますわ。

あそこの国は、外側と内側で……見え方がまったく違うのです。

私も驚きました」


 元でも雇い主や友人のことを、他国の人間に教えていいのか?


「教えていただけるなら有り難いですが……いいのですか?」


 イポリートはチッチッと指を振る。


「別に個人の秘密を漏らすわけじゃないからね。

アタクシの知っている王国の価値基準を教えるくらいよ。

それなら不義理にならないでしょ?

そこまでしか助けてあげられないけどね。

昔の雇い主の情報を漏らすとかは絶対にできないわ」


 それは道理だな。

 個人情報などの機密は教えられない。

 そういうほうが信用できる。


「そこまでしていただかなくても結構です。

つまり普通の考え方では、あの国を見誤るのですか」


「そうよぉ。

ちょっと話は長くなりそうね。

お茶のお代わりを持ってきてもらいましょう」


 イポリートがベルを鳴らすと、使用人がやってきた。

 ラヴェンナではベルを使っていなかったが、イポリートが持ち込んだらしい。


 感謝しつつ、印象に残った言葉がある。

 外側と内側では見え方が違う。

 それが気になる。

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