609話 困った教え子

 宰相ティベリオ・ディ・ロッリに推薦を頼んでいた先生が、ラヴェンナに到着したと報告をうけた。

 応接室にミル、アーデルヘイト、クリームヒルトを伴って、挨拶に行く。


 応接室で待っていたのは、40後半のいかにも貴婦人といった女性。

 銀色の髪に、青い瞳。

 張りはさすがにないが、白い肌でシミ一つない。

 若作りは一切せず、自然に美しく老いるを実現したかのような女性。


 ミルは感心した顔。

 アーデルヘイトは驚いている。

 クリームヒルトは、目を丸くして固まっている。

 嫌悪感からくる驚きではないようだ。

 よほどの人物と見るべきだろうな。


 そして若い頃は、さぞ美人だったのだろう……と失礼な想像をする。

 マガリ性悪婆とは違うなぁ。

 苦労の質も違うのだろうが。


「ようこそラヴェンナへ。

お待ちしておりました。

私がアルフレード・ラヴェンナ・デッラ・スカラです」


 ミルたちも、それぞれ自己紹介をする。

 貴婦人は見事な一礼を返してきた。


「これはご丁寧に。

宰相から推薦のありました、ソフィア・スカッリャ・ペザレジと申します。

アクイタニア流をご所望とのこと、大変光栄ですわ」


 単身でこちらに来たと、報告をうけている。

 勿論、最低限の荷物は持参して、執事を従えているが。


「ペザレジ夫人、単身でこられたのですか?

ご家族がいらっしゃるなら、同伴されても構わないとお伝えしたはずですが……」


 ソフィアは穏やかにほほ笑む。

 羽根つきの扇子を口に当てて笑うが、全く嫌みな感じがしない。

 印象としては人を安心させる笑顔。

 有職故実の先生と聞いて、厳しいタイプを想像していたが……。

 ティベリオの推薦で、それはないか。


「ご配慮感謝いたします。

息子たちは独立しておりますし、主人は先の内乱で遠行しております。

今は老女がひとりだけ。

ですから身軽なのです」


 名前とか詳細を教えてくれなかったからな。

 おかげで無神経な確認をする羽目になった。

 あとでティベリオに、嫌みの手紙でも書いてやるか。


「これは失礼しました。

夫人は王都暮らしが長かったでしょう。

なにか不足があれば、可能な限り対応します」


「ありがとうございます。

ですがせっかくラヴェンナに来たのですからね。

王都の流儀を持ち込む気はありません。

新しい生活も、なにかの運命でしょう」


 これは意外だ。

 乗り気で来てくれたのかな?


「環境を変えられたかったのですか?

それとも新王都が落ち着かないとか……」


「漠然と変えたいとは思っておりました。

この年になると、自分から変えるのは難しいものです。

ティベリオも最初は、別の人を推薦するつもりのようでした。

ところが王宮で、ちょっとした騒動がありましたよね?

その騒動の種をここに送ったことで、ラヴェンナ卿の不興をこうむるのは不本意だったのでしょう。

それでティベリオは、私に打診をしてきたのです。

あの横着者に気を使わせるラヴェンナ卿に、失礼ながら興味がでました」


 ソフィアは優雅に笑ったが、少し面白がる様子が見受けられる。

 当初は、ソフィアに遠慮して違う人を考えたようだな。

 ロマン王子の襲来でそれどころじゃない、と判断して泣きついたのか。


「ああ……。

とばっちりでしたか」


 ソフィアは目を細めて、小さく首をふる。


「相談されたときは、いい切っ掛けだと思いました。

漠然となにか思っても、自分で行動を起こせませんから。

周囲は身軽になっても、心と体は重たくなっていましたわ。

自分でも驚きましたけど……。

人に背中を押されないと踏み出せなくなっていましたね。

それともう一つ……。

息子のためにもなります」


 ラヴェンナへのコネができるからな。

 いまや多くの人たちが欲している。

 ミルたちにしっかり教えてくれるなら、それに見合う対応を息子にしてもいいだろう。

 俺は真面目くさった顔をする。

 

「では、教育については一任……」


 ソフィアは静かに、手で俺を制した。


「全てお任せいただけることは存じております。

そのお言葉は、私の教育方針を聞いてからにしていただけますか?

勿論、ラヴェンナ卿が前言を翻すとは思っていません。

私個人の我が儘を通すようですが……。

そのほうが、私としても安心できますので」


 線引きはしっかりしているのか。

 それとも口だけ任せると言われて、過去にひっくり返されたことがあるのか。

 俺をいきなり信じろというのも、おかしな話だ。

 ソフィアは俺のことを、よく知らないからな。


「わかりました。

うかがいましょう」


「ありがとうございます。

まず有職故実と言っても、普段使わないのでしょう。

それでしたら最低限でいいと思います。

あまりに完璧ですと、かえって嫉妬されますよ。

半端に覚えていても、不快に思われます。

ご夫人がたにとっては、一時の礼儀でしょう。

王宮が人生そのものである宮廷人とは違うのです。

多少は至らないところがある。

そのほうがよろしいかと思いますわ」


 実に柔軟な考えだな。

 宮廷人という特殊な人間を熟知しているが故か。

 イポリートと毛色は違うが、この人も間違いなく本物のプロだ。


「感嘆はされるが、それ以上のよくない感情を呼び起こすわけですか。

さらにはあら探しまでしかねないと」


 ソフィアは満足げにほほ笑む。

 俺の認識がお気に召したらしい。


「ええ。

その世界に、敬意を払っていることが通じればいいのです。

そこの一員になりたいか……。

ラヴェンナの日常をアクイタニア流に染めるのであれば、完璧に覚えていただきますよ」


 それはまずいな。

 ラヴェンナが特殊でも容認されているのは辺境だからだ。

 それが王宮の作法を、完璧に覚えてきたら……。

 最初は歓迎するが、すぐに疑念を呼び起こす。


 領地などより、特殊性の公認を欲したことは知られている。

 だからその特殊性を捨てるとは思わないだろう。

 入り込んでから、ラヴェンナ式に染めるつもりだと警戒されてしまうな。


 そこまで考えた上での提案か。

 どの分野にも傑出した人はいるものだ。


「見事な見識です。

その方針に異論はありません。

あらためて教育に関して、全てお任せします」


「かしこまりました。

ではご夫人がたに、基本の心構えをこの場でお伝えします。

礼儀とは相手を尊重するためのもの。

これを覚えておけば、道を誤りません」


 ミルたちは真剣な顔でうなずく。

 このあたりは、ラヴェンナでも通じる話だな。


 ソフィアは満足げにほほ笑む。

 そして少し悪戯っぽい顔になる。


「もう一つ大事なことがあります。

貴女たちが作法に疎いと思い、あれこれ押しつける人たちと出会うでしょう。

そんなものを、気にしてはいけませんよ。

一見正しいことを言っているようなので……。

純粋だと惑わされるでしょうけど」


 ミルが不思議そうな顔をする。


「気にしてはだめなのですか?」


 ソフィアは諭すような顔でほほ笑む。


「ええ。

その人の望む形で満足させたとしましょうか。

間違いなく、その人の望みは万人の望みではありません。

それに倣って他の人に不満を持たれた場合は……。

賭けてもよろしいですが、その人は知らんぷりをします。

そんな無責任な人のため尽くしますか? 

口を出すのはラヴェンナ卿ではないのですから。

なにより貴女たちのために言っているのではないのです。

ただ自分の承認欲求を満たすため……。

そう覚えておいてください」


 これは実力のない人が言ったら、滑稽なセリフだな。

 サマになっているのは、かなりの自信と実績があるからか。

 ミルは眉をひそめて、小さく首をふった。


「それはちょっと……。

アルがいうなら聞くし、絶対に知らんぷりなんてしないわ。

そんな身勝手な人がいるのですか?」


「自然に惚気られるのは羨ましいですね。

残念ですけど一部いますよ。

そのように押しつける人に……突出した実力があるわけではありません。

突出した現状への不満は持っていますけどね。

ステンドグラスで、一つだけ厚みと形が違うものが混じっている……と思ってください。

滑稽でしょう?」


 ステンドグラスはたしか、着色ガラスの小片を結合したものだったな。

 ある程度の秩序がそこには存在する。

 厚みが突出してはなぁ……。

 ミルは一瞬顔を赤くしていたが、すぐに感心した顔でうなずいた。


「それはたしかにいびつですね。

先生の言われる礼儀の世界は……ステンドグラスのようなものなのでしょうか?」


「礼儀にかかわらず社会がそうですね。

全てのガラスは色も形も違います。

でも調和することで、一つの世界になるのですから」


 アーデルヘイトが身を乗り出した。


「そんな社会に、私たちが一時的にでも入って大丈夫なのですか?」


「平気ですよ。

客人として、訪問先に敬意を示すのです。

それを拒むほど閉じた世界ではありません。

貴女たちは、有職故実とは無縁の生き方をしてきたのです。

それが最低限の作法を身につけていれば、誰の目にもわかります。

周囲を不快にしないように、懸命の努力をしたのは明白。

基本でも簡単なものではありませんからね。

その前提を考えることすらできない者は、偉そうに人に講釈などする資格はないのです。

まず鏡の前に立って、自分に講釈すべきでしょう。

貴女たちが疎いと知って反論されないから押しつけるだけ……と覚えておいてください」


 言い方はソフトだがなかなか手厳しい。

 そんな輩が嫌いなのだろう。

 俺も嫌いだが。


 口ではよかれと思ったというが、その本音は全く違うわけだな。

 そんなヤツは、大体不満をため込んでいるだろうな。

 無視しても、元々浮いた存在だから構わないのか。


 予想外の毒のこもった発言に、ミルたちは目をぱちくりさせている。

 完璧に覚えようと意気込んでいたのに、肩透かしをくらったかな。


 儀礼の世界も侮れないな。

 これだけの見識を有していることが驚きだ。

 つまり俺自身、どこか軽視していたのだと反省せざる得ない。


 これは、大した人だなぁ……。

 拍手したい気分だよ。

 俺はソフィアに一礼する。


「恐れ入りました。

私は何一つ心配なく、大切なミルたちを託せます」


 ソフィアは笑って首をふる。


「ラヴェンナ卿も、さらりと惚気られますのね。

奥様たちに愛されている理由が、少し分かった気がします。

ともかく……お褒めのお言葉は、その成果が見えてからでしょう。

そのときにいただきたいと思います。

それより一つお願いがありますわ」


 惚気たつもりはないのだが……。

 ただの事実だと思っている。


 それにしても、大した自信だ……。

 むしろ中身のない称賛を嫌う人か。


「なんなりとどうぞ。

私ができることでしたら」


「ラヴェンナ卿にしかできませんよ。

ティベリオに書状を出して安心させてあげてください。

私の教え子の中で、最も不真面目でした。

ところが……最も私の教えを実践できているのです。

そんな我が道を行く怠け者ですら、ラヴェンナ卿にだけは気を使っていますからね」


「わかりました。

すぐに感謝の書状を出すとします。

困った教え子ですね」


 ソフィアは俺の物言いが面白かったのか、優雅に笑う。


「困った教え子ですか。

あとひとりいます。

カルメンは当然ご存じでしょう。

あの子はとても優秀です。

でもあの子は、道具として覚えたようですね。

心は全くこもっていませんが、所作は完璧です。

これでは文句も言えません。

本当に困った教え子でしたわ」


 カルメンらしいな。

 変装技術の一つとして覚えたのだろう。

 真のプロに所作は完璧と言われるのであれば、道具としては十分か。

 それだと教師としては不適格だろうな。

 きっと完璧を求めて、ミルたちが音を上げてしまうだろう。

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